錦織選手がテニスの山の手ブランドを打破した

http://twilog.org/shinjukujiro/month-1409/allasc-2

9月7日

錦織選手については、危うく「テニスの王子様」という恥ずかしいあだ名が付きかけた/エアーKというまともな愛称が世界標準になって良かった

なぜ「テニス」は「金持ちのスポーツ」のイメージがついてるのか?用具代負担では野球用具の費用負担と大差ないのに、テニスだけ「金持ちスポーツ」のイメージが強い

多分今の天皇の「軽井沢のテニスコートの恋」が、テニスのイメージをアップさせ、同時に「金持ちスポーツ」の印象を植え付けた

さらに松岡修造の存在が大きい。阪急グループの御曹司だからなあ

めぞん一刻」の影響も大きい。金持ちの三鷹さんはテニスコーチ。あのマンガを読んで「テニス=金持ちスポーツ」のイメージを強化された読者は多い筈

めぞん一刻が連載されている丁度そのころ、宮本輝の「青が散る」がテレビドラマ化された筈。確か主演は石黒賢だったと思うが、あのドラマも世間に「テニス=金持ちスポーツ」のイメージを世間に流布させた。

あと、テニスって、80年代までに「都会スポーツ」それも「山の手のスポーツ」のイメージが固まった。青が散るの原作は大阪茨木の追手門学院との説もあるが、山の手エリア/一方、相撲って「ド田舎の競技」なイメージがある

なので、我々世代までは、テニスは「金持ち山の手エリアのスポーツ」の先入観が出来た。/テニスブームは「青が散る」や「めぞん一刻」の80年代がピークで、その後尻すぼみに。それ以降の世代は、徐々に「テニス=金持ちスポーツ」の先入観を薄めていった

徐々にテニスについて「金持ち山の手」のイメージが薄れていった矢先に、「島根県出身の」錦織選手の100年ぶり快挙。つまり、これ以降の世代は、テニスについて「都会のスポーツ」の先入観を持たず、純粋にスポーツとして楽しむ可能性がある。

つまり、錦織選手の活躍の「社会文化的な意義」は、「テニスは都会山の手エリアのお遊びだ」の固定観念を、戦績であっさり打破した点に真の意義がある。師匠である「都会山の手エリアの御曹司である松岡修造の戦績を超えた」ことで、「テニスは山の手の道楽である」の観念を打破した。

一昔前なら、T大とかW大とか、女子大と「テニスサークル」を作っていて、でもその中身は実質は「ナンパサークル」「彼女作りサークル」だったりしていたのだが、四半世紀たった今でも、ナンパテニスサークルは健在なのか?/T大はT京女子大辺りと、W大はN本女子大辺りと合同サークル

マンガ昔話を書くと、往年の名作マンガ「BANANA FISH」のサブキャラであるエイジも、確か島根県出雲市出身という設定だった記憶がある。エイジは陸上の選手「だった」という設定

山陰のスポーツ選手って「琴桜」と「隠岐の海」のイメージが強かったが、錦織が加わったわけだ。

錦織が全米オープン優勝したら、さっそく改造内閣が「国民栄誉賞を授与する」に100ペセカ。

米子から出雲市まで実質的に同一経済圏なのに、空港が2つもあるのは分散してしまって無駄な気がする。

明日の東証は、錦織関係で山陰銘柄が上昇するだろう、と書こうとしたが、山陰銘柄って山陰合同銀行しか思いつかない・・・

ちなみに「山陰」という語感が暗い、として、「北陽」という地域名に改名しよう、な運動fがかつて起こったらしい