「団地の時代」

6月25日
団地の時代」という本に、皇太子(現天皇)がひばりヶ丘団地を視察するエピソードが載ってる。つまり、当時のひばりヶ丘団地は、最先端で「国策」だった/今をときめくタワマンを、皇族が「視察」するようなことは、ないのか?

団地の時代」の中で、重松清がバイトしてた多摩ニューの塾で、子供たちが「自宅の階数、広さ、駅への近さを自慢し合う」光景が紹介されていたが、これ今の湾岸タワマンの塾でも見られる光景なんだろうか

一行ネタ/西武沿線が60年代に団地供給ラッシュだったのは、「丘陵造成が不用な団地適地が、西武沿線にしか残ってなかったから」/平野を開発し尽くすと、70年代は丘陵の多摩ニューとか港北ニュータウンの造成をせざるを得なかった

ところで、東急の多摩田園都市構想、今から思えば、「なぜ多摩ニュータウン並みに、高層マンションを計画に組み込まなかったのか?」とも思う/そんなことしたら田園都市線がパンクしてしまうが

西武沿線エリアは、東急田都とか小田急と比べても「平地」が多い/だから、飯田グループのパワービルダーの巣窟になったんだろうな

重松清が「高架鉄道パラドックス」を語ってた。昭和な時代は、東京の私鉄は地平走行が多く、空かずの踏切が無数にあった/一方、山陽新幹線とか東北新幹線とか、新幹線高架が地方に出現。現代的鉄道インフラが、首都圏より先に地方に出現した、と重松氏は語る

西武池袋線の地下鉄乗り入れが70年代とか80年代とかに実現していれば、西武エリアの地位は今よりもかなり向上してたのに、と悔やまれてならない