旧帝大も中高一貫も、受験科目を減らせ

10月5日
受験関係者の話/文部科学省は大々的に「2020年から、大学入試を改革する、記憶重視の入試から、思考力や人間力重視の入試に切り替える」/だが、2020年にそこまで抜本的改革をするなら、そろそろ具体案が出て来て然るべきだが、一向に具体案が出て来てない

なので、大学受験関係者の中では、「確実に、大学入試の変更は、数年遅れる。早くて2024年以降だ」とか「センター試験に記述式の割合を増やすだけで、お茶を濁すだろう」という観測がされていて、「本格的改革は、なされない」との見方が多数派らしい

高等教育にも「流行り廃り」があり、今は「アクティブラーニング」が全盛/でも、数年前には「キャリア教育」がもてはやされていたらしい/今、「キャリア教育」を口にする教育関係者はあまりいない/どうせ、アクティブラーニングもそうなる運命に

教育関係の報道は、多分に観測気球的報道も多く、実現するのは半分もない/読売だったか、「義務教育を5歳から」という報道をしてたが、一向に実現の気配なし/日本のように安定した、保守的な社会だと、「義務教育の1年前倒し」というだけで、物凄く労力がかかり、反感を買う

そう考えると、GHQが「義務教育を6年➡9年にしろ」というのは、物凄い改革だったワケです。GHQじゃなきゃ、できなかった

前にもツイートしたが、小学校は戦前から地域に根差し、地域コミュニティの核だった。地域保守勢力は小学校区が核となった/一方で、公立中学校は「後から」入ってきたから、地域保守との仲がしっくりこなかった。結果、公立中学は、どちらかというと「革新」側に振れていった

文部科学省の「仮想敵」は日教組だったが、すっかり弱体化してしまった。敵が弱体化してしまうと、文部科学省の存在意義が弱まり、霞ヶ関での地位が低下する/なので、新たな仮想敵を作り出そうとしてる。それが「Fランな文系私大」であり、「首都圏中高一貫私立」である

公立の小中一貫校構想は、首都圏中高一貫への「妨害」だからなあ。

まあ、N能研なんかが「公立教育は時代遅れで質が悪いです。これからは私立です」と保護者に洗脳しようとしてるのも、ポジショントークだったりするのだが

日本的な「中学受験競争」「大学受験競争」って、識者は「ガラパゴスで時代遅れ、欧米を見習え」と言いますが、アジアを見渡せば、日本的な受験が普及してるのだが。ソウルの受験熱は、東京が逃げ出してしまうくらいに過熱してる

ノーベル賞が間もなく発表される/ノーベル賞を取れるような人材の輩出には、大学受験科目そして中学受験科目を少なくした学校を増やしたらどうか?「ウチの受験科目は数学だけです」「ウチは理科だけです」

私立大学は結構科目減らしてるが、国立大学は英数国が必須だからな。「受験科目が数学だけ」なんて尖った旧帝が、一つくらいあってもいいのに。/「国語能力はさっぱりだが、数学は異常」なんて人物じゃなきゃ、ノーベル賞は取れない

そして、大学入試以上に問題なのは、首都圏中高一貫の受験科目。殆どが国算社理の4科目受験/だから、首都圏中高一貫出身の「エリート」は、良く言えば「バランスが良い」、悪く言えば「個性がない」

灘中学出身者が、良くも悪くも「個性的」なのは、あそこは受験科目に「社会」がないから。だから、ある意味で「社会性に乏しい、個性的な人間」が多い/首都圏のいわゆる難関中学で、受験科目が4科目未満な学校はゼロ