徒歩圏的小図書館は、シニア男性の居場所として有用

10月10日
図書館は「徒歩圏内、自転車圏内」に立地してるかどうかが最大に重要。一人当たり蔵書数などの指標にはあまり意味はない/小中高生が、親のクルマじゃなく、自分の意思で図書館に行けるかどうか。 / “「図書館無縁層の発生」と言う地方問題 -…” http://htn.to/yGF5k8

ここに例示されてる「宮崎市の図書館」とか「高松市の図書館」なんてのは、無駄に蔵書数を誇ってるだけで、「図書館から半径1キロ圏内の小中高生」の数と「圏外の小中高生」の数を比較したら、圧倒的に圏外小中高生の方が多い訳で。圏外小中高生は、図書館習慣が身に付かない

だから、宮崎市は中央図書館の蔵書数を10分の1にして、その分、サテライトな分館を宮崎市内に10箇所出店した方が、遥かに「小中高生に、使いやすくなる」

ところが何故か、公共図書館の世界では、「市民一人当たりの蔵書数の多寡」が、図書館行政の充実度の指標みたいに勘違いされてる。そうじゃないだろう

そんな独りよがりな指標がまかり通ってるから、宮崎市とか高松市の図書館関係者が、自らの手柄を高めるのはカンタンです。蔵書数だけでもリッチにすればいいだけ/真に市民に読書習慣付けて貰うには、市民の動線に図書館を置くべきなのに、そうしてない

武雄市図書館については、蔵書の扱いとかいろいろ言われてるが、「ゆめタウンの隣」という動線については、素直に評価していいと思う。元エントリーの通り、「図書館初体験」な層の呼び込みに成功した/東京の価値観で、「あれは公共図書館じゃない」と評価するのは、無意味

自分は以前、大阪市内の2箇所に住んでた。いづれも、最寄りの図書館は「自転車で、10〜15分」/多分、宮崎市高松市よりは、「近くに図書館が、存在してた」/だが、大阪在住時代は、あまり図書館を使わなかった。「自転車で15分」だと「わざわざ、図書館の為だけに行く」となる

で、東京23区で数ヶ所住んでみたら、「徒歩圏内に、図書館が存在」してるんだよね。これなら、「コンビニのついでに、図書館に立ち寄る」ことが増え、図書館の利用頻度が数倍、数十倍になった/東京と大阪だけでも、図書館利用頻度で格段に差がつく

まあ、「大阪時代に、図書館の近くのマンションを借りれば(買えば)良かったじゃないか」と言われたら、それまでなんだが

家の近くに図書館があれば、「そんなに図書館に興味がない人が、洗脳されて、図書館を利用するようになる」効果も出てきたりする。自分がそうだった

宮崎市とか高松市の図書館は、だから、「わざわざ、図書館まで足を運んでくれる、筋金入りの本好き」が利用者を占めてるんだろうな。それはそれで愛されてるんだろうが、カジュアル感は、ない。

海老名市のツタヤ図書館の分類トンチンカン問題は、確かに「いかがなものか」とは思いますが、ツタヤ的図書館を全否定する必要も、ないと思う/世田谷区とかだと区内に10は図書館はあるだろうが、うち半分をツタヤ図書館にして、半分を従来的図書館にして、利用者に選ばせるのは、アリなのでは?

因みに「ニュータウンは黄昏れて」は、買った本じゃなく、図書館で借りたんだな/あっ、のらえもん様の本は、ちゃんと買いましたよ

ちょっと無責任な言い方しますが、武雄市的な図書館がイヤな人は、隣の伊万里市の図書館を使えばいいんですよ。相互利用が可能なのかどうか、知らないケド/武雄市図書館と伊万里市図書館でペアになって、図書館観光を売り出せばいい

@Tokyo_of_Tokyo ごめんなさい、部署で回し読みしていて、戻ってくるのがもう少し先になります、、/我ながらセコイ会社だ、、

武雄市長も、伊万里市の図書館が、別の意味合いで「進化した」から、「じゃあウチは、違う進化を遂げよう」となったんじゃ、ないかな?伊万里市図書館が存在してくれてたから、武雄市図書館は、「安心して、冒険できた」

あと、宮崎市にしても高松市にしても、「県立図書館と市立図書館の役割分担」の問題があるわけでして。現状、「第二市立図書館」的な使われ方してる/浜松市とか松本市なんかは、県立図書館が県庁所在都市にしか存在してないことに、不満かんじてると思う

@saitohisanori 確かに、「ないのが当たり前だと、不満に思わない」。図書館が徒歩圏内に無かった大阪時代の自分がそうでした/「図書館が徒歩圏内に当たり前のように存在してる23区」を経験してしまうと、元の世界(大阪とか)には戻れない

「県立図書館が存在しない松本市民は、それが当たり前だから、そもそも不満にすら感じない」なツイート。これがまさに武雄市図書館の立ち位置/図書館のことを「意識すらしなかった武雄市民」が、ツタヤ図書館の開設で、「図書館のことを、意識するようになった」。これだけでも大きな収穫

大阪も東京も、一見どちらも大都市ですが「図書館密度」みたいな細部において「利便性の質的な差異」が発生したり。東京的な図書館密度を知った人間は、大阪市内のスカスカ図書館密度は「許せない」/人によって許せない内容が変わる。「コミケが無い大阪は許せない」「ラーメンが無い大阪は許せない」

だから、仮に又大阪転勤になれば、「図書館が徒歩5分以内に存在するマンション」が自分にとっての必須条件に「格上げ」される。図書館の魅力を知らなかった、前の大阪時代は、そんな条件はなかった

まあ、自分の場合、大阪が「許せない」のは図書館密度だけだから、まあ対処のしようがある/コミケの魅了を知ってしまった大阪出身東京人とかが、大阪に出戻るのは、難しいだろうな

湾岸タワマンな話をするなら、今は大阪の「北区」「中央区」「西区」「福島区」「浪速区」「天王寺区」辺りは、タワマンラッシュな訳で、タワーマンション的なライフスタイルなら、(東京じゃなくても)大阪でも味わえないことは、ない

でも、東京湾岸特有な「知的マッチョ」「向上心のないやつは、許さない」な雰囲気は、大阪都心は皆無ですな。「知的マッチョじゃなきゃ、許せない」な人は、大阪では暮らして行けない

まあ、東京の図書館密度を評価してるのは、タイミング的に子供が出来たタイミングと重なってるのも大きい訳です。子供がいたら、デカイ図書館なんかには大した価値は無くて、「ヨチヨチ歩きでも気軽に行ける距離にある図書館」というのが、圧倒的に重要になる/それでも出生率が低い23区、、

話が逸れるが、「(絵本コーナーがある)図書館が近くにある魅力」みたいなのを取り込んだのが「キッズスペースを中に取り込んだ大規模分譲マンション」なんだな。 数年間しかお世話にならない、と分かっていても、その魅力は乳幼児の親には「タマラナイ」

大阪って、何気に「中途半端」/クルマで移動するには都会過ぎる。かといって、電車バスだけで移動してると、図書館アクセスみたいな部分で抜けが出てくる。東京の圧倒的な図書館網には、敵わない

そう考えると、名古屋みたいな「大都市なのに、クルマが当たり前」な社会が最強な可能性も/因みに、名古屋の出生率は低くない

@M_znu まあ、既に書いてますが、自分の場合は「子供との利用」が前提だったりするので、カーペットコーナーと「かいけつゾロリシリーズ」があれば、まあ満足したり。カーペットコーナーで子供の相手しながら、夏目漱石とか真保裕一とか、どこでも必ず置いてある本を読みます

自宅の近くの図書館は、まあ気晴らしの読書だから。仕事系の本は、そもそも買いますから。

「都内の図書館は、密度は多いのは認めるが、ショボい」という複数のツイートが散見されますが、図書館相互の蔵書取り寄せサービスを、知らないのかな?中央区にいながらにして、杉並区の本の取り寄せが可能

「これでいいのか、日本の特別地域」というユニークな地域本は、何故か杉並区がかなり揃えているので、自分は杉並区から蔵書取り寄せサービスを使って、自分の区の図書館で受け取って読んでます

村上春樹ばかり揃えようとする図書館に疑問」なツイートもあり、これは同感。今だと「火花」辺りを揃えてるんだろうな/自分はむしろ「近所の図書館に埋もれてる本を、自分流の読書法で掘り起こし、世にヒットさせる」のが楽しみ。「ニュータウン黄昏」は、まさにその方法で、自分がブレーク仕掛けた

「その辺の近所の図書館の本」というのは、案外バカにしたもんじゃないですよ。スカスカな嫌韓本しか並んでない駅前書店より、遥かに「読める」本が、並んでる

仮に「ツタヤ図書館が、嫌韓本の類しか並んでない」のなら、かなりヤバイという話になるが、さすがにそこまで酷くはない筈

嫌韓本って、「10種類の嫌韓本があったら、」それを10人が買ってるんじゃなく、「たったひとりのネトウヨが、10種類全て買ってる」イメージがある、

10月11日
大阪市内の自転車分担率な話があったな。新大阪にいる頃は、淀川が邪魔していたから、梅田までチャリという発想はなかった/淀川の南側に住んでしまえば、確かにキタもミナミもチャリで行けます(笑)

「北区中央区福島区西区浪速区天王寺区でタワマン急増」と書きましたが、そのタワマンからチャリでキタとかミナミとかに行ってしまうのが、大阪タワマン文化です(笑)。見栄もへったくれもない

東京湾岸だったら、カッコつけて、駐車場から外車取り出すんだろうが、ケチな、もとい合理的な大阪人は、「チャリの方が早いやんか。機械式駐車場は出し入れに時間掛かってあきまへん。その間に、チャリが着いてしまうやんか。」/「いらち」な大阪人には、機械式駐車場の出し入れも待てない

ところで、湾岸タワマンから銀座や大丸有の時間感覚は「同一生活圏」な感じですが、湾岸タワマンから渋谷新宿への時間感覚は「一時間は見ておく」な感じなので、「同一生活圏じゃなく、隣町に行く」な感じになる

大阪市内のタワマン〜神戸三宮」の時間距離と、「東京湾岸のタワマン〜渋谷新宿」の時間距離は、実はかわらないんじゃないかな?

阪神なんば線開業で、一気にセントラル大阪と神戸の時間距離が縮まった/大阪セントラルなタワマンなら、40〜50分で三宮に行けるのでは?

ツタヤ図書館が「地域住民の溜まり場」としては機能していて、でもそれは「図書館の役割じゃない」な神学論争/高齢者とかが「病院を溜まり場」として利用して無駄に医療費無駄遣いしたり、逆に溜まらずに引きこもって孤独死されるより、図書館で溜まってるほうが「健全」

海老名図書館にはBGMが流れてるらしいが、図書館マニアからすれば「あり得ない」/イージーリスニングなBGMが、ボリューム小さく流れてる分には、アリだと思うのにだが

うちの近くの図書館は、定年した高齢者の「溜まり場」になりつつあり、でもそれも「徒歩圏内に沢山のサテライト分館を整備した23区の福祉政策の成果」な気がする。徒歩圏内に図書館がなければ、クルマがない23区の高齢者はやって来れない

因みに、図書館にやって来る、というか数時間たむろってる高齢者の7割、いや9割は男性。女性高齢者はあまり見かけない/やはり、定年退職した男性は、家には居場所がないんだな/図書館というのは「他人に話しかけちゃいけない場所」だから、孤独な高齢者男性にとっては、実に都合のいい場所

徒歩圏内にサテライト図書館が存在してる23区な高齢者は「居場所」が確保できるが、そういうのが徒歩圏内にない、宮崎や高松の高齢者男性は、わざわざクルマに乗って市立図書館県立図書館に出掛けてるんだろうか?

まあ、今の「ちょっと古ぼけて、くたびれた図書館」という感じが、会社を定年退職した男性には、丁度居心地がいいんだろうな。23区内の徒歩圏的なサテライト図書館が、いきなりオシャレなツタヤ図書館に改装しちゃったら、男性高齢者には居心地悪くなる

三井が仕掛ける「モチイエ女子プロジェクト」、「モチイエ女子は、インドアで読書してそうなペルソナ」という分析らしく、読書好きな女子にアプローチしてパークリュクスを売るんだとか

ツタヤ図書館とモチイエ女子@三井不レジのコラボとか。

この前のモチイエ女子イベント、司会の側から女子に対してセクハラ的な質問があり、一部の女子が憤慨してたらしい。「ブラの洗い方はどうしてます?」とか

女子は老後でもシェアハウスして暮らしていけるが、老後男子はくたびれた徒歩圏図書館に毎日通い詰めるしかない、、

「ブラの洗い方」のセクハラ質問、結果は「ネットに入れず、そのまま洗う」が多数派で、だからモチイエ女子は「ズボラ女子が多い」が三井不レジ的な結論らしい/余計なお世話じゃ

「高齢者の居場所として図書館を使うのは不適切、ブックカフェを作ればいい」な反論があるが、ブックカフェって、「コミュニケーションを求められる」のが、男性高齢者には苦痛。くたびれた図書館は、コミュニケーション能力を要求しないのが良い

宮崎市とか高松市の男性高齢者だと、それなりに地域に溶け込んで、居場所の確保の必要性が薄いから、23区みたいに「シニア男性の居場所として、徒歩圏内に小規模図書館網を整備する」必要性が乏しいのかな?

男性高齢者がパチンコ屋に出入りしてるのは、あれは「遊びたい、勝ちたい」というより、「パチンコ屋だと、居場所代わりになる」というのが実際なんじゃないかな?パチンコ屋はコミュニケーション能力を求められない

だから、ゲームセンターがシニア顧客増を狙うのは、「男性高齢者の居場所代わり」という観点なら、いいんじゃないかな?パチンコほど散財しないし

@boreford 地方の「良い点」は、家に余裕あるから、蔵書スペースが確保しやすい点ですな。蔵書1万冊とか、地方なら可能だが東京では無理

@momozou 昔なら雀荘が高齢者の居場所にもなってたが、麻雀もそれなりにコミュニケーション求められるからなあ/あとは囲碁と将棋とか

つまり、「そんなにコミュニケーション能力を求められない、退職シニアの居場所」を、三鷹とか市川とかの郊外住宅地エリアで供給できたら、これビジネスとして大ヒット間違いなしなんです。社会的意義も大きい(引きこもり&認知症防止になる)

今だ、パチンコとかゲーセンとかにシニア高齢者がたむろしてると、「寂しい老人」的な哀愁が漂ってる。そういう哀愁を伴わない、明るくて、でもコミュニケーション能力が不要な居場所の仕掛けは、何かないかな?

その意味では、都会のミニ菜園事業って、アリなんだろうな。コミュニケーション能力はさほど必要ないし、パチンコとかゲーセンよりは、前向きなイメージでもある、/三鷹とか市川に、シニア高齢者の居場所としてのミニ菜園事業キボンヌ

高齢者の登山ブームも、健康作りの側面もあるけど、「山が居場所」という側面も、あるんだろうな。

よく定年退職なダンナが「リタイアしたら、田舎に移住して晴耕雨読したい」と言って奥さんに反対される。あれはつまり「居場所を畑にしたい」ということなんだな。畑はコミュニケーションを求めない/ただ、田舎社会はコミュニケーションを求めてしまう。このギャップを知らない人も

高齢者の居場所確保争奪戦で、一番有利なのは「娘をもつ高齢者」ですよ。娘の子供つまり孫の所に行くことで、居場所になる/それでも、出番は「おばあさん」の方が多い。「おじいさん」の出番は少ない

そもそも子供や孫のいない高齢者は仕方ないにしても、悲惨なのは「息子しかいない高齢者」ですよ。孫がいても、孫の家族は寄り付いてくれないし、こっちからも行きにくい


「男性高齢者に、コミュニケーション能力が不足してる」というより、「日本の男性高齢者に、コミュニケーション能力が不足してる」が正しいんだろうな。海外とくにラテンな男性高齢者とか、昼間から酒場で楽しそうだ