「学問でも判らないことがある」ことこそ、義務教育で教えるべき

9月24日
知的虐待の典型例。「低学年で習う漢字の名前の子は、漢字ばかりでカッコ良くなり」「高学年で習う漢字が混ざる名前の子は、ひらがな混じり記載を強要され、カッコ悪い名前とバカにされイジメられる」らしい / “名前でも、習ってない漢字は使…” http://htn.to/cMLebpnA
義務教育で「習ってない漢字は、自分の名前でも、書いてはいけません」と知的虐待する理由は、「間違った書き順を、自己流で習得されたら、かなわないから」だそうな/スーパー暴論だが、そもそも「漢字の書き順を、義務教育で教育する必要が、本当にあるのか?」。このワープロ、いやスマホの時代に
あと、「習ってない漢字は、自分の名前でも、書いてはいけません」な義務教育の理由に「他のクラスメートが、その漢字を読めないから」というのもあるらしい/が、「自分の知らない漢字がある」という事実を知らしめる、むしろその方が「教育」なのでは?
教育、というか学問というのは「世の中に知られてることを教える」よりも「世の中には、まだまだ学問でも判らないことが、あるんだ」「だから、科学者が日々研究するんだ」ということそのものを教えることこそ学問だと思う。クラスメートの名前の漢字を知らないのは「知らないを知る、学問への第一歩」
よく考えたら、義務教育で「これは、現代の科学でも、よく判ってません」とか「これは、現代の技術でも、まだできません」「現代の医学でも、まだ治りません」と「学問の限界」を教えることは、皆無だよな/将来の科学者を輩出するには、むしろ「学問の限界の存在」を義務教育で教えるべきでは?
@rougerepublique 「佐藤」は「佐」も「藤」も教育漢字(小学校過程で教える漢字)じゃないので、ひらがなのママになる、、
義務教育内に「学問の限界」を正しく教えないから、大人になってからEM菌とか水素水とかのエセ科学に、引っ掛かるようになるのでは?
小学校1年で習う漢字の名前の児童もいる、5年で習う漢字の児童もいる、中学校で習う漢字の児童もいる、いろんな名前の児童がいるから「多様性・ダイバーシティ」だと思うのだが、ニッポンの義務教育は画一的養成施設だからなあ