「青が散る」、ドラマで舞台を東京圏に移した弊害

7月14日
病院で「優駿」読んだ影響で、図書館の「青が散る」読了/これ、原作は関西を舞台としてるのに、テレビドラマは東京に舞台変えてるんだよな/名古屋舞台を東京舞台に変えたヤヌスの鏡と同じ/これ、東京舞台にしたら、色んな意味で「無意味」なんだが

7月15日
青が散る」原作の追手門大学は、「茨木市」にある。これがポイント/茨木市は、所謂「阪神文化圏」に位置してない。この小説の頃は、「大阪北摂の新興都市」/他方、「テニス」という文化は、阪神間の文化/実際、原作「青が散る」では、主人公は香櫨園テニスクラブとかに「遠征」してる

つまり、この「青が散る」というのは、「阪神文化圏のスポーツであるテニスに、大阪の新興都市、北摂文化圏が殴り込む」というダブルミーニングの意味合いがある/そういう微妙な文化圏のすれ違いの妙があるのに、舞台を東京に移したら台無しじゃないか?

しかし、「青が散る」の追手門大学テニス部学生、ことごとく遊ぶ場所は「梅田」なんだな/小学校時代を茨木市で過ごした自分は、「青が散るで、茨木市が描写されてる」と思い込んで読み進めたが、大学周辺以外は全く茨木市は登場しない

ということは、追手門大学の学生は、JR茨木とかで遊んだりしない、ということか。宮本輝が在籍してた50年前は兎も角、今でもそうなのか?

あと、追手門大学テニス部のメンバーは、自宅が大阪市内だったり、阪神間だったり。逆に言えば、自宅が茨木市だったり高槻市だったりする学生が一人も登場しない/これは宮本輝の時代がそうだったということで、今では地元率が高くなってる?

追手門大学は、もともと高校まであったのが、新たに大学を新設して、同時に高校以下も茨木市に移転してきた。その関係で、宮本輝の時代は、学生の大阪市内率・阪神間率が高かった?

青が散る」で面白いのは、「大学1期生は、先輩がいない」という当たり前の事実/つまり、「邪魔な先輩がいない、何でも出来る」のが1期生の特権/これ、大学1期生に限らず、ベンチャー企業とか明治政府とかも同じだよね?

例えば昭和初期の「満州」なんてのは、国家・社会が「1期生」だった訳で、満州入植者は、先輩のいない社会で「のびのびやってた」訳です/今の日本の閉塞感は、こういう「1期生の組織」が少ないからなんだろうな

青が散る」、主人公が「野田阪神」に住んで、ヒロインが「阪急六甲」に住んでるなんて、設定が絶妙ですよ/舞台を東京化したことで、そういう絶妙さを崩してしまったTBSが憎い

野田阪神から阪急六甲に行くのって、やはり梅田を回って行くのが近道なのか/野田阪神から新在家まで行って、そこから山に向かって歩いていく方が早いんじゃないか?

主人公の「野田阪神住み」というのは、大阪市内のテニスの聖地「靭公園」にチャリ圏内、という意味でも「絶妙」なんですよ

あと、「青が散る」、神戸が割と登場するのに、茨木市から近い都会、京都はあまり登場しない。教授の葬式で登場しただけ/つまり、テニス文化は阪神文化圏のもので、京都は関係ないということ。

@itoppppo 「青が散る」の場合、「ヒロイン=阪急神戸線」「主人公=大阪市内の阪神」という設定に加え「舞台=大阪の新興都市茨木市」という第三の設定もある訳です。この茨木市のポジショニングを、果たして東京都市圏のどこで再現できるのか?

@yume8izumi あっ「青が散る」の当時は、JR東西線は開業してませんでした/確かに今ならJR一択だな

北摂は阪急とも阪神とも違う」、これは生粋の北摂人である自分が、タイガースファンにもブレーブスファンにもなれなかった理由/そしてガンバサポになった理由/追手門大学って、ガンバと繋りあったんじゃなかったか?

青が散る」、茨木の街は全く登場しなくて、代わりに梅田がしばし登場する/梅田の地下街がよく登場する。自分は以前から「梅田の世界に誇れる観光資源は、地下街だ」と力説してるが、まさにその通り

@itoppppo 市制施行は戦後間もなくですが、市が急成長したのは大阪万博の頃です。やはり「新興都市」と言えるのではないかと。実際、追手門大学も万博とかを見越して進出したんでしょうし