7月30日
よく欧米を描く小説で、「社交界」を描くシーンがある。アッパーミドルクラスの男女が集い、男性が「お嬢さん、僕と一緒に踊りませんか?」とエスコート/こういう社交界って、日本にも戦前はあったのかも知れないが、少なくとも現代日本には皆無だよね/欧米から見たら「何故?」となる
アメリカの写真家が、現代日本の社交界を取材しようと、東京中を必死に捜しまくったが、ついに欧米みたいな「社交界」を見つけられなかったらしい。彼にとってはカルチャーショックだっただろう。(元ネタ増田悦佐)
逆に言えば、現代日本で、アッパーミドルの「社交」はどこであるのか?例えば慶応大学の男子学生と聖心の女子学生の合コンなんかも、その辺の「鳥貴族」なんかでやってしまうのが現代日本/ハーバードなんかだと、学生パーティとかでダンスを踊る場を用意してるのだろうが
慶応大学と聖心大学の合コンも居酒屋レベル、獨協大学と○○短期大学の合コンも居酒屋レベル/そういう意味では、日本の男女交際では、欧米レベルの「経済格差」は、そんなに可視化されていない
六本木ヒルズ辺りでは、IT成金のパーティとかがあるんだろうが、そこでのパーティは、欧米の社交パーティみたいなフォーマルさ、様式は備わってないんだろうな。
欧米だと社交パーティが根付いてるから、ダンステクニックを男女ともに身に付ける必要があるが、社交パーティが殆どない日本で、ダンスを義務教育で必修科目にする必要が、果たしてあるのか?
日本の理解が中途半端な外人ジャーナリストが、「日本の非婚少子化は、日本に男女間社交パーティがないからだ」仮説を唱えそうだな。
伝統的な日本の社交界は「料亭」で、そこに参加できるのは男性だけ。女性は女将と芸者だけで、ましてや「夫人同伴は、有り得ない」/だから、カップル参加が常識な欧米社交界とは水と油
東京は「先進国、それなりにアッパーミドル人口がいるのに、社交界が存在しない都市」だが、では「北京」「上海」「香港」「シンガポール」「ドバイ」には「社交界」は存在するのか?私見では存在しない気がするのだが
日本の場合、勘違いIT成金は「なんちゃって社交パーティ」を開催するが、真の大金持ちである地主さんが「人見知り」してしまって、その手のパーティを拒絶するからなあ