司馬遼太郎「余話として」

7月1日
一行ネタ/司馬遼太郎によると、「杉」がそれなりの木材として評価されるようになったのは茶道のお陰らしい。それまでは高級木材はヒノキのみ/茶道の茶室で、庶民材の杉を使用したので、連られて杉も評価上昇

一行ネタ/司馬遼太郎によると、西郷隆盛の本当の名前は西郷隆「永」だったらしい。隆盛は彼の父親の名前/西郷が東京不在時に、正式名を登録する必要があり、部下が名前を取り間違えて登録してしまったらしい

西郷の弟は、西郷「隆道」、リュウドウだったが、これを「ジュウドウ」と聞き間違えて、そのまま従道で登録されてしまったとか

司馬遼太郎に言わせれば、「革命家は、馬面」で、「日本の調整型政治家は、丸顔」らしく、「最近の日本人は丸顔ばかりになった」と司馬遼太郎は嘆いてる

司馬遼太郎によると、剣法家は東国に多く、西国には少ないらしい/宮本武蔵が有名になったのは、彼が「西国に珍しい剣法家だったから」で、もし武蔵が東国産まれなら、ここまで有名になれなかったのでは?が司馬遼太郎

司馬遼太郎によると、中世日本は方言が分化しまくっていて、相互に意志疎通が難しかった。その為に「室町言葉」という「標準語」が作られ、明智光秀は室町言葉を駆使して外交を担ってたらしい

で、室町言葉は、江戸時代になると武家共通語となり、参勤交代により地方にも伝わっていく/しかし京都と大坂は参勤交代の対象外/関西弁が根強く残ってしまったのは、参勤交代が無かったから、というのが司馬遼太郎

司馬遼太郎曰く「東日本では義経記がウケ、西日本では太平記がウケる」/たとえば文学の売れ行きでも、東日本と西日本で違いがあったりするものなのか?

司馬遼太郎はさらに続けて「義経記がウケる東国」が「太平記がウケる西国に、幕末に負ける」ことになったとの仮説を提示/「長州は楠木正成である」とのプロパガンダを長州自らが西日本に流布したので、長州は西日本民衆の支持を得て倒幕に成功した、が司馬遼太郎の仮説

以上、司馬遼太郎「余話として」