スポーツブレーク45・ミニ小説〜若くして引退した男

スポーツブレーク45・ミニ小説〜若くして引退した男

(なんでも掲示板 06年12月 投稿済)

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ミニ小説〜若くして引退した男 投稿者:スルッとKANTO 投稿日:12月 9日(土)20時16分38秒


それは突然の引退会見だった。
日本のプロ野球で高卒でいきなり最多勝を奪い、その後7年間連続最多勝という
華々しい記録を打ち立てたエンジェルズの松山昭介の記者会見である。

日本シリーズ終了後の緊急記者会見とあって、
記者たちは「大リーグ挑戦志望会見に違いない」と決めてかかっていたが、
フタを開けてみればわずか26歳での引退会見であった。

「引退の理由は何ですか?故障かなにかですか?」
それに対する答えは記者の想定外だった。

「充分お金を溜めたので、悠々自適のセカンドライフを送りたいのです」

確かにこの7年間で、年俸合計は15億円に達していた。
最高税率が徴収されても、お釣りが来る金額である。

しかし、記者会見に参加する者の想いはただ一つ、
「勿体無い」であった。

それはファンも同感であろう。

彼ならばあと10年は体力的にも活躍できる。
そうすれば名球界入りは確実だし、本格右腕の彼ならば
日本最高スピードレコード(夢の160キロ)をマークすることも不可能じゃない。
最多勝日本記録だって塗り替えられる。

何よりも、新球団エンジェルズに取って、悲願の初優勝は彼なしでは不可能なのである。

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しかし、彼の見方は違う。

「サラリーマンの生涯年収の数倍のお金を手にした。
 なぜこの先、プロ選手を続ける必要があるのか?」
多くの大選手が、使いきれないお金を稼いで、その上まだプレーするのが
彼には「信じられなかった」。

「必要なお金だけを稼いで、あとは遊んで暮らせばいいじゃん。」
それが偽らざるホンネであった。

そもそも、現役時代から彼は他の選手とは違っていた。
外車に金を使い、銀座で豪遊する他の選手と違い、彼は国産車1台しかもってないし、
そもそもあまり酒を飲まない。

稼いだ年俸は株式や投資信託、外貨預金で堅実に運用していた。
彼を評して「日経を読むプロ野球選手」と半ば奇異なモノ、という
表現がなされた。
実際、日経新聞を購読していた。

彼の計算では、「もう引退しても問題ない時期」なのである。

そして、彼がこのようになった理由は、恐らく小学校の時に父親が
「過労死」してしまったことだろう。

「死ぬほど働いても、何の意味もない」
それが父の死から得た彼の「教訓」であった。

・・・・・・・・・・

電撃引退から5年が経過した。

各テレビ局から「野球解説者に是非」「タレント活動を」との誘いが
ひっきりなしだったが、全て断った。

今では日本を離れ、某東南アジアのリゾート地で、妻と2人の子とで
「悠々自適」の生活である・・わずか31歳で。

この地では、誰も彼の「過去」を詮索しない。
それがむしろ心地よかった。
日本でも、5年もブラウン管に登場しなかったら、忘れ去られていることだろう。
風の噂では、松山に去られたエンジェルスは最下位を低迷した挙句に
身売りされたらしい。

そんなある日、彼の子供が泣いて帰ってきた。
理由を聞いてみると、
「お前の父ちゃんはなにをやっているんだ?
 1日中ブラブラしてるじゃないか。
 お金を持っているのかもしれないが、無職の父ちゃんなんてかっこ悪い」
といじめられたのである。

ストレートに聞かれた。
「なぜパパは働かないの?」

この質問が、彼にはショックだった。

・・・・・・・・・・・・

その1年後、新人入団テストに挑戦している彼の姿があった。
5年間のブランクはあまりにも大きかった。
贅沢三昧で体がなまりきってしまったが、彼は再びプロを目指す。
その理由は・・・「自分の存在理由を確かめたいから。」



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