コミックブレーク12・紅天女は日本の宗教タブーに挑む

コミックブレーク12・紅天女は日本の宗教タブーに挑む
(なんでも掲示板 03年08月 投稿済)

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  未完の名作「ガラスの仮面」の劇中劇、「紅天女」であるが、これは実に「深い」。

  「神道」を象徴する梅の精、「紅天女」と、仏師「一真」の物語であるが、
  一真は真の仏像を彫刻する為の名木を探しており、それで「神の木」である
  紅天女に目を付ける訳である。
  で、紅天女は「人間であって人間でない」存在で、まあこの辺が
  紅天女を演じるマヤや亜弓が苦労する理由なんだが、この「紅天女」と
  「一真」が恋をする訳で、「恋を取るか、宗教を取るか」という命題に行き着く。
  (因みに紅天女は「恋」をしてしまうと神性がなくなってただの木になる)

  で、通常の見方であれば、「恋と宗教の葛藤」であろうが、別の見方をすれば、
  「神道と仏教の葛藤」でもある。
  
  戦後でこそ、神道と仏教は「共存関係」にあるが、明治時代〜戦前は
  「廃仏毀釈」として神道が優遇され仏教は冷遇された。
  (当然、釈迦や仏陀より、「現人神」の天皇の方が上位であった)
  江戸時代は、仏教が優遇され神道は冷遇された。
  時代を遡って飛鳥時代には、それこそ仏教派の蘇我氏神道派の物部氏
  戦闘があった。
  (飛鳥時代の葛藤については、マンガ「日出処天子」が判りやすい)

  一部の右翼に言わせれば「日本本来の宗教は神道であり、仏教は邪教」という
  ことになるだろう。

  紅天女は(というより「ガラスの仮面」は)、作者がアイデアに詰まっている為に
  最後がどういう結末なのか、明らかにされていない。
  それも判る気がする。仏師「一真」の勝利、としてしまえば、
  それこそ美内すずえは右翼に刺されるかもしれない。

  ガラスの仮面の結末は、それこそ日本の1500年にも亘る「神道と仏教の葛藤」に
  真正面から取り組む大テーマなのである。

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