★戦前の5大電力のうち3社は大阪本社
(宇治電、日電、大同)
★5大電力会社時代・・・社長は豪遊しまくり
★国策会社「日本発送電」
民社党委員長佐々木良作:日本発送電の1期生
★当時の東洋経済:経済自由主義を標榜し、経済国家統制に反対
(インテリ浪人の吹き溜まり)
一時石橋湛山が社長を勤める
★阪急電車も電力供給していた
★過剰電力から産まれた企業
昭和電工、日本軽金属(東電の子会社だった)
★福沢諭吉の養子「福沢桃介」
大同電力の電力王、日清紡も設立。
愛人の川上貞奴を発電所に連れ込み
★戦前:電力会社はアメリカに外債借りまくり
★戦時中に中国で発行される日本語新聞・・・
軍部・警察の検閲がゆるやかで報道の自由が比較的あった。
敗色濃厚であることが新聞から判読できた
★戦後直後:電力労働組合「電産」が労働運動の中心に
∵高学歴多くて理屈も言える
佐々木良作が活躍
★電産・・・「エンゲル係数」「物価スライド制」という概念を日本に普及させる
★戦後:国内では電力国営化・1社化が世論の主流
松永の「分割民営」は少数派
→GHQの「日本を資本主義陣営に組み入れる」の意思が、
国営でなく分割民営にさせた
★九電力発足:人材の再配置が大きな課題となった。
(いい人材は東電に行きたがった)
結局松永がGHQの威光をバックに人員配置を強行
★関西電力:石炭確保で苦労
(石炭会社の本社が東京。その影響で石炭傾斜配分の恩恵を東電が受けた)
→自力電力の開発として「黒四」開発を行う。
又、石油火力を初めて尼崎発電所に導入
★占領中:公益事業委員会、証券取引委員会がGHQ指令でできたが、講和後になくなる
生き残ったのは公正取引委員会のみ
★全国1社派(分割反対派)があきらめきれずに議員立法で造ったのが「電源開発」
大野派が中心になり、佐々木良作も関与。
★電源開発の初仕事「佐久間ダム」
土木工法に大幅に機械化を導入し、革命を起こした
★海軍の短期現役兵制度:これで有為な人材を殺さずに済んだ
★ドイツ:1社で原子力をマネジメントできる会社がない。
(国内に発電会社が400もあり、全て小規模)
→各社共同で原発を運営する
★高度成長期:電力投資不足
設備投資体力がない北陸電力等のために再々編論議起きる。
★東北電力:火力技術者が不足。分割時は1つも火力が無かった
→九州電力から技術者を連れてくる。
★東北電力・北陸電力・・・体力無く、先行値上げに踏み切る
→料金格差と問題視される
河野一郎氏:再々編論者
対する吉田派が分割評価派
★東北電力を東京電力に、北陸電力を関西電力にくっつける再編案
★九電力発足時:関電の人事は安定したが、東電の人事は抗争絶えず
(東電人事:電力分割派VS全国1社派の政界論争の影響を多大に受ける)
★「木川田・芦原・横山体制」(電力3巨頭)
中部電・横山氏が「木川田氏と芦原氏の調整役」になっていた
★マルクス経済学の有澤廣巳:原子力産業会議会長を務める。
当時の社会党を原発賛成に導く
★原子力運営
電発による運営論=河野一郎
九電力による運営論=正力松太郎
結局日本原子力発電は電源開発20%、九電力40%、その他40%の出資割合に。
★松永:池田隼人のパトロン
★昭和40年代の雰囲気・・・「東電はLNG、関電は原発」
東電が原子力を本格推進し始めたのはオイルショック後
★関電美浜、東電福島第一:故障続きで稼働率悪い
この故障を教訓にした「国産原発」の島根は好成績
★東電:当初沼津で、後に富士で火力発電を計画したが、
「田子浦ヘドロ問題」で挫折
★オイルショック:社会的に「石油業界バッシング」「商社バッシング」が起こる
★木川田氏:値上げを後回しにする
→バッシングの矢面に立たなくて済んだ
★日本軽金属:石油ショックで銀座の本社を手放した
→跡地に入ったのがリクルート
★チェルノブイリ前夜:社会党が原発容認に傾き掛けた
(日中原子力協定問題)
→チェルノブイリでパーに。
★麻生太賀吉:吉田茂の女婿として九州電力入り
一方で吉田側近の白州次郎は東北電力へ
白州次郎:外国技術を積極的に導入
(送電工事にヘリを採用、マイクロ通信を導入)
★北陸:日銀は金沢にあるが北陸電は富山にある
★中国電力:桜内幹雄・・・桜内義雄議員の兄
出雲電力出身
★四国電力の宮川竹馬:住友共同電力と喧嘩する
四国の電力の半分以上は住友が開発した
★九州電力:九州水力・熊本電気・東邦電力の争いの影響
とりあえずシャッポとして麻生太賀吉を据えておく