読書ノート 姫路・商業・コンビニ・食農(小泉)

【堀川元市長の本「21世紀のふるさと姫路を語る」】
★元警察官僚
★戦後、播磨工業整備特別地域に指定されたことで
 姫路の工業が成長
★高知のはりまや橋:播磨商人が作った
 それくらい播磨商人は財力があった
山陽道全線開業で姫路の高速道路インフラが充実した
神戸港をわざわざ経由しなくてもいいように、もっと播磨港を拡充すべき
★播磨エリア:人口も純生産額も、岡山県に匹敵する規模
 (⇒だから空港が必要)
★JR:航空各社と競合する都市にはサービスを向上させる
 (新幹線本数アップ、格安キップを出す)
 現状、新幹線の姫路への扱いは冷淡
 (のぞみもあまり止まらない、格安キップない)
 ⇒JRに危機意識持たせるためにも空港が必要
暴れん坊将軍のロケ地=姫路城
 時代劇で「江戸城」という場合、多くは姫路がロケ地
★素麺:龍野が本場と思われるが、実は結構姫路市内でも生産される。
★幕の内弁当:姫路が発祥
★タケノコも特産だが京都産と比べてブランド力がない
姫路市内:大型ホテルが不足
 ⇒折角世界遺産あるのに、大型国際会議を招致できない
 ⇒ドーム型ホテル構想(村山註:この計画は頓挫)
★姫路城:殿様が次々と入れ替わったから、文化が育たなかった。
★戦後、姫路城内・練兵場跡地に闇市出現(お城マート)
 原市長がお城マートを容認した。
 これが後のイーグレ


聞き書き・姫路の戦後史 焼け野原にともった灯】
★第十師団:賀陽宮も入営された、という「由緒正しい」師団
★師団長舎⇒GHQが接収
 それを石見市長(原市長がGHQ追放され、その後任として着任)が
 カトリック淳心会に引渡し
★石見市長:姫路駅〜姫路城の「50m通り」を計画・実行
 大陸育ちなので、大陸的な都市計画を実施
 しかし、50m通りが実現した後は、道路や都市計画に関心を示さず、
 文化宗教に傾倒し始める。
 寺院がある書写山へのロープウェイ建設、戦没慰霊施設構想、
 手柄山へのモノレール構想・・・
 結局、その他の道路は後回しになり、姫路の道路網の遅れに繋がる。
※村山註:この石見市長、なにか宗教的背景がある人物なのか?
 だからGHQは原市長を追い出し石見市長を据えたのか? 
★石見市長:神姫バスにバス増便申請したが聞き入れてもらえず
 ⇒市営バス作る
★陸軍に「十研」という施設があった。
 (陸軍第十技術研究所)
紫電改も作った川西航空機姫路製作所
 ⇒その後は住宅地になり、「川西台」という地名にその名を留める
★飾磨:戦前は独立した自治体で、盛り場も多かった。
 当時の大成建設社員語る。
 「ダム工事の打ち上げは姫路じゃなく飾磨でやった。
  盛り場は飾磨の方が大きかったから」  
飾磨港:石炭の積み上げで大活躍
 国鉄:大阪鉄道管理局のみならず、福知山・米子・和歌山の
 鉄道管理局も飾磨港からSL用石炭を搬入していた。
 なので飾磨線も大活躍で、単線でも黒字。
 飾磨港:全国港湾ランキングで、過去は16〜17位だった。
 岡山県広島県にも、飾磨港以上の港湾はなかった。
★・・・という飾磨の豊かさに目をつけたのが、空襲を受けた姫路
 GHQに頼み込んで、飾磨を強制合併するよう働きかけ。
 ついでに広畑や網干も巻き込んでの「大姫路市」誕生
ヤマトヤシキ:実は戦後生まれ
 大和旅館の息子が、神戸銀行向かいの土地の地権者に
 土地貸してくれと依頼し、かつテナントも集めて百貨店始める
★因みに山陽マートは戦前からあり、ヤマトヤシキ開業後に対抗して百貨店に衣替え
★二木氏が戦後「フタギ」創業。
 後に三重の岡田屋と合併してジャスコに。
ヤマトヤシキの北側にダイエーできる。
 (村山註:今のボンマルシェの場所か?)
★姫路:戦後、GHQと闇市で急速に復興
★夜久義重・新興書房店主語る。
 「播州の百姓は豊か。辞書も実用辞書が売れる」
★戦後スグは、姫路も地元新聞紙が多かった

【兵庫の優良企業100社・日刊工業新聞特別取材班編】
姫路市内の企業抜書き
※その他「兵庫の個性派企業100社」という本もあり

★グローリー=印鑑照合システム、手書き処理OCR指紋認証、ICカード読み取り
★アユミ工業=真空封止
★池上機械=製綿機械
★富士スチール工業=金物、搬送用ロボット
★富士ブレード=塩ビパイプ用のこぎり
★寶角ギヤー=歯車
★ヤスナ設計工房=FAロボット等の設計
★三相電機=モーター
★西芝電機=船舶用電機
★日本技術センター=設計
★応緑=住宅ドア
★佐和鍍金=メッキ
★ヤヱガキ酒造=手作り純米酒、バイオ
テクノスジャパン=ITシステム設計
★ニッテクリサーチ=環境測定分析
★兵庫分析センター=排水ガス分析
★平和=教材システム販売

【商業本】
★SCの新潮流として「ライフスタイルセンター」に注目すべき
 (小規模、やや高年齢ターゲット、高単価、核テナントがない、「商店街の良さを取り入れた」)
 LALAガーデンつくば
 若葉けやきモール
 成城コルティ
アメリカ:空いているSCが「快適」として好まれる
 日本:空いていると「寂れている」と敬遠される
アメリカ:フルライン・ホールセラーという卸業者がいる
 全種類扱う
 (Cf:日本では、例えば菱食は食品しか扱わず、スズケンは医薬しか扱わない)
★ソリューション・ホールセラー
 アメリカでは卸業者が小売の経営指導もする
 日本の卸はメーカー寄り(というか、メーカーの子会社が多い)だが、アメリカの卸は小売寄り
★日本で卸が強い理由
 スーパー各社が出店投資を優先させた
 →仕入れは卸に頼った
ウォルマートは、卸業者機能部も自社で賄っている。だから巨大。
アスクル:町の文具屋を敵とみなさず、エージェントとして活用
★スーパーの成長:「百貨店法」で百貨店にハンデがあったことに助けられた
 →大店法へ衣替えで大ダメージ
大店法対策の新業態としてコンビニが誕生
大店法のせいでスーパー各社は
 「出店できるところなら、兎に角どこでもツバ付け」という発想に陥り、採算を考えなくなった
★150坪のロードサイドショップ:大店法が産んだあだ花
 「150坪、つまり495?なら500?未満なので出店自由」
 「一方、大店法で郊外にはスーパー(=競合相手)はできない」
 →どんどん出店
 90年代に入って、大店法が緩和され、郊外SCが出来ると、
 ワンストップじゃないロードサイドショップは衰退
★コンビニ:大店法でスーパーが24時間休日営業できなかったことにも助けられる
大店法非関税障壁としてアメリカの槍玉に上がったことから撤廃
 →(ウォルマートの思惑通りに)郊外型SCが日本にも90年代以降普及
★百貨店の経営統合:ハゲタカからの買収防衛の色彩も強い
 (含み資産が多い百貨店は魅力的)
★スーパー=この16年で面積1.66倍
 にもかかわらず売上=0.88倍
 1坪当たり売上効率が恐ろしく低下
 むしろ百貨店の方が1坪当たり売上効率の悪化度合いは低かった
★アパレル=プラザ合意以降の80年代後半、一斉に生産拠点を海外シフト
 →原価大幅ダウンしたが、売値はバブルでむしろ値上げ
 →大儲け
 ユニクロは、原価に対して適正値付をしただけに過ぎない
ドンキホーテ:売り場に極力権限委譲
 マニュアル化された総合スーパーの売り場コンセプトをことごとく否定
★百貨店:根本的にアウトソーシングが進まず従業員が多い
 小さい百貨店でも数百人
 一方、大規模SCのスタッフはせいぜい数十人
 人件費をSC並みにダイエットできれば、
 土地建物が自前で家賃負担がない百貨店は高収益になるはず
コストコ:売上の7割は「会員年会費」
★まちづくり3法:1万?で網掛け
 →1万?未満のNSC(ネイバーフッドSC)が急増する?
★2012年にまちづくり3法は見直しが予定される
 →どうなるか?
★2000年以降の大規模SC急増の一因:ファンドマネーの流入の影響
 「需要があったから増えた」わけではない
★先進国と比較すると、圧倒的にパパママ零細ストアが多い日本
 →猛烈な勢いで減少、1日に64店が廃業
 もう廃業はストップするか?否。
 アメリカのSCの普及率から考えると、もっと日本の零細商店は廃業し、SCが増えると考えるのが自然
アメリカのSC数=5万弱
 人口比で考えれば、日本には2万のSCがあっておかしくないのに、実際は2,800(10分の1)
 一方、商店街数=17,000
 17,000+2,800≒2万ということで計算が合う
★今後、商店街の半分(8,500)が消滅し、その分SCが8,500増える、としても、違和感ない?
★2割の優良顧客が8割の売上を生む
 (ロイヤリティ高い顧客)
 →データ管理でロイヤリティ高い顧客を優遇すべし

【コンビニ】
セブンイレブン日商63万円
 ローソンやファミマより15万円多い
セブンイレブン=売上げの7割は食品
 オリジナル商品は全商品の6割
★新商品=毎週100品目
 1年で7割入れ替わり
★しっとり味のおにぎり
 中高年が好む味、具も渋め
★ふっくら度は空気含有量
★開発パートナー:日本デリカフーズ協同組合(NDF)
 現在90社
 チームMD:セブン側担当は2〜3年で入れ替え
 ∵「固定観念を持たせない」
ツナマヨおにぎりのシーキチンは特製シーキチン
★関西ローカル味付けおにぎりがある
★夏場は、ダイエットのために雑穀おにぎりが売れる
 (水着が着れるように・・・)
 

【小泉東農大教授】
奄美アメリカの占領が短かったため、伝統食が残る
 沖縄:伝統食がアメリカ占領で破壊された
★中国:大学医学部の医学教育の10%は食育教育
★日本の一般家庭にフライパンが入ってきたのは戦後(「焼く」文化がなかった)
★日本人の若者が「キレ」やすくなったか、の定量分析
 某社の入社時性格テストで、この数十年間の変化を見る
 ⇒これを以って、小泉教授は「若年層がキレやすくなっていることが
 定量的に確かめられた」としているが・・
★納豆:江戸時代はご飯に掛けず、納豆汁にして食べた