読書ノート・播磨

【播磨】
旧石器時代:瀬戸内海は陸地だった
 播磨灘は「大平原」
 隠岐島も地続き。
★物部VS蘇我:一時物部が勝利
 ⇒崇仏派は播磨に逃れる
★古代の「七道」:幅員10mあった
★古代:16キロ毎に「駅」設置が原則
 播磨は10キロ毎に設置した(それだけ重要だった)
書写山の鬼:正義の鬼
天台宗の三大道場:比叡山伯耆大山、そして書写山
★小野市付近:東大寺の荘園
黒田官兵衛:毛利攻め拠点として三木より姫路がベターと見抜き、自らの姫路城を秀吉に差し出す
中国大返し:中間点の姫路が兵站的に重要に
★官兵衛:関が原が長引くと予想し、九州を平定して、東西両軍以外の「第三極」を作るつもりだった
★播磨守:官職の出世コース、ここを経なければ公卿になれない。
池田輝政 関が原で活躍
「美濃か播磨、好きな方を選べ」と家康に言われ、予想に反して播磨を選ぶ
(家康のホンネは「播磨を選べ」、それを輝政は知っていた)
★池田一族:姫路・岡山・鳥取の3城に展開
 西国からの防衛ライン結成
★姫路城:「美しくなければ城じゃない」
大阪城=黒、姫路城=白
★螺旋構造:江戸城=右巻き、姫路城=左巻き
西鶴が小説の舞台として描いた5都市
 江戸、大阪、京、鹿児島、姫路
皿屋敷物語:「更地屋敷物語」
 江戸時代版「地上げ」の恨み
★姫路池田藩:木綿専売で藩財政建て直し
★他藩の改革:商業仲介者には利潤与えず
 姫路の改革は利潤渡す
渋沢栄一:播磨改革に注目
版籍奉還(朝廷に藩領を奉還):姫路が最初
★戦国期の城:黒が普通(目立たなくする)
池田輝政〜維新まで10家系が入る
 1)池田氏
 2)第一次本多氏
 3)奥平姓松平氏
 4)第一次松平氏
 5)第一次榊原氏
 6)第二次松平氏
 7)第二次本多氏
 8)第二次榊原氏
 9)第三次松平氏
 10)酒井氏
★姫路城内の美術品:官軍が接収して行方不明
★姫路城:大濠で囲われ、米軍レーダーには海に見えた
 ⇒焼夷弾投下されずに、姫路城は戦災免れる
★1993姫路城の世界遺産指定:当時戸谷市長が全国文化遺跡都市連盟会長だったことも作用
★明治政府:佐幕だった姫路に厳しい
 「姫路県」一週間で「飾磨県」に変えさせられる
★当初旧藩御役所で県政⇒あまりに老朽化
 新県庁落成、落成の数日後に廃県
★明治当初の税収
 摂津=8.7万円
 但馬=4.5万円
 丹波=3.9万円
 淡路=3.8万円
 播磨=22.6万円とダントツ
★播磨県廃県の真因
 西国(=西郷隆盛)からの防御ラインとして、太平洋〜日本海
 またがる大県でブロックしたい、という内憂対策?
★他の合併県は相次いで分離成功
 徳島(+高知)
 宮崎(+鹿児島)
 香川(+愛媛)
 鳥取(+島根)
 福井(+石川)
 奈良(+大阪)
 飾磨県だけ分離NG
加東市酒米試験地・・・山田錦の純血種保管
 (通常栽培だと異種が受粉して徐々に品種が変わる)
山田錦の酒:ひと夏越してからも味が落ちない
 古酒にできる
★昔の灘の酒造家:茨木の米を使った
 ⇒これが山田町藍那に来る
山田錦:六甲山系が南からの海風をブロック
 一種の盆地気候
 ⇒大粒になる
揖保川:当時としては先進的なパラペット堤防
 従来の土盛り型:用地嵩み、移転住宅増える
 ⇒薄いコンクリのパラペット擁壁で堤防にする
★大半はコンクリ擁壁にするが、一部は眺望採光のために空けておく
 洪水時にはそこに畳をはめる「畳堤」
 揖保川長良川、そして五ヶ瀬川
★播磨の文化人:柳田國男和辻哲郎美濃部達吉
★日鉄の新工場候補地:堺、海南、尼崎、大塩
 この中から広畑が選ばれる
 高さ65mの高炉は当時世界最大
★第10師団
 平時4,000人有事10,000人
 当時の姫路の人口=3.5万人
★1951警察予備隊が姫路に
 大半の都市は予備隊ノー
 姫路だけ誘致に積極的
★明石〜赤穂の「播磨広域行政都市協議会」(昭和36)
 ⇒明姫幹線建設など
 しかし明石が神戸のベッドタウン化したため、昭和48年に解散
★播磨:天才が人文を目指すが政治を目指さない
 (大物政治家少ない)
横尾忠則:西脇出身
 高田賢三KENZOブランド):姫路出身
藤岡琢也菅原洋一トータス松本明和電機桂米朝長谷川滋利松浦亜弥
★経済人:マルハの中部幾次郎、多木化学の多木久米次郎