【8/10⇒9/4 過去の事件日の天気の集団記憶変質】

8月27日
★1945年8月15日は「青空だった」と皆思い込んでいるが、実は雲の地域が多かったことを、作家の誰かが調べてた。「青空に蝉での玉音放送」が「絵になる」から、皆記憶を集団変質させてしまった
★「当時の人間が漏れなく玉音放送聞いてた」も思い込み。今話題の「はだしのゲン」では、夜になっても灯りが窓外に漏れてる、つまり空襲対策の灯火管制をしなくても良くなったのをゲンが見て、「戦争が終わったんだ」と悟るシーンがある。つまりゲン(=作者中沢氏)は玉音放送を直接聞いてない。
★しかし、「8月15日は晴れてた筈た」の思い込みを最初に疑った作家は偉い。なかなか気付かない
★「赤穂浪士の討ち入りが雪の中」も思い込み。舞台の演出上、「雪」という設定が盛り上がるから、後世の演出家が勝手に雪を降らせ、それがいつのまにか「史実」と誤解されるようになる/それを知らずに「この時期に雪が降るとは、当時は温暖化していた」とバカ正直に論文書いてた科学者がいたらしい
★日本は多雨地帯だから、歴史的事件のうち4〜5件に1件は、雨の中で発生した計算になる。だが、「雨中」と認識されてるのは桶狭間の戦い程度じゃないか?他にも雨中の戦いはあるが、記録に残らないと「晴れ」として扱われる
★最近の出来事だって、「言われなければ誤解しちゃう」ことがある。例えば阪神大震災時、被災地は真っ暗だった(日が短い季節)が、仮に震災体験記を、日の長い季節に、それも経度の関係で日の出が早い東京人が読めば、「真っ暗だった」と気付かずに読書して違和感残る。震災後生まれだとさらに。
★「大震災の帰宅難民対策は、勤務先〜自宅ルートで考えればいい」も思い込み。自分は震災時、反対方向のビッグサイトに行っていて、エライ目にあった。頑張って徒歩帰宅したが
★ドラマのシーンとか、4〜5回に1回は雨のシーンがなければ計算があわないが、雨降らせるセット作る手間が惜しいから、ほとんど晴れの前提で撮影してる。
★マンガのシーンなら、ドラマみたいに雨降らせるセットが不要だから、もっと雨のシーンが多くて然るべきだが、そうなってない。やはり「物語舞台のデファクトスタンダードは晴れの天気」と言う常識が、作者にも読み手にも存在する?
★そういう意味で、「晴れてたか」「暑かったか寒かったか」「今朝何たべた」と言う日常ネタと、歴史的事件が同時記載される市井のブログは重要