「年賀状の戦後史」読書ノートと感想

【1月30日〜のツイートを転載】
次は「年賀状の戦後史」/読後感の第一印象は「全逓ってスゴかったんだなあ」。短期間に膨大な作業が発生する年賀状業務を「人質に取って」、全逓は合法サボタージュ闘争を繰り広げ、昭和3040年代は年賀状が正月に着かないのが当たり前だった
サボタージュ例:残業命令に従わずに定時で帰る、年賀状バイト君に仕事教えない、バイト君に地図渡さない/全逓サボタージュは、逆に郵便自動仕分け・郵便番号システム導入の原動力になった
全逓の闘争を「応援」するために、何の関係もない国鉄動労が半日ストやったりしてる。何でもあり/当局側もサボタージュを郵便法違反で刑事告発したり、第二労組を組織したり、何でもアリ
当局側には「そもそも、年賀郵便と言うシステムがあるから、全逓にオモチャにされる、年賀郵便を止めよう」と言う極論もあったとか
今の若い人に「全逓」と言っても、知らないだろうなあ。そもそも「逓」を読めるかどうか
因みに全逓対策で導入された郵便自動仕分けシステムを請け負ったのは東芝。当初分かりやすさ重視で「郵便番号は市外局番を流用」案もあったが、郵政幹部の「エースナンバーである1番台は東京だろう」と言う鶴の一声で、1番台が東京になった
今はデフレの世の中で物価が上がらない、郵便料金も上がらない/昔は物価上昇に郵便料金が追い付くのに必死。但し当時は郵便料金引き上げは国会承認マター。国会審議が遅れると郵便料金改訂が年末になり、「年賀ハガキ印刷が料金改訂に間に合わない」可能性も
そのため、国会審議を睨みながら「旧料金でハガキ印刷すべきか、新料金でハガキ印刷すべきか」、郵政省が悩む場面が多々。あまりにも国会審議が遅くなると見切り印刷。1976年賀状がそうだったらしい。郵政大臣は「年賀状は旧料金適用になるよう期待する」の異例談話を出した
なんか、税率引き上げが正式に決定しないと顧客にアナウンスできない住宅業界みたいだな
年賀状にお年玉クジを付けるアイデアは大阪の民間人が出した。そのアイデアを採用した郵政大臣は今の小沢一郎の父親
戦後の貧困期だったので、寄付金付けて貧困対策に回すアイデア。寄付金付き年賀状販促の為にお年玉クジ付けた。宝くじの応用/しかし「寄付金付き年賀状だけだとなあ」と言うことで、寄付金無しお年玉にも宝くじ付けた/そうすると寄付金なしばかり売れてしまい、寄付金ありが売れ残り
大阪の提案した民間人は、「なぜこんなアイデア出したんだ!」と現場の郵政職員に恨まれたらしい。多分「自爆営業」が発生したんだろう。年賀状自爆営業の歴史は古い/仕方ないので提案者は、寄付金付きを大量に自腹で購入し、売って回ったそうだ
昔はGHQに追放された「追放切手」があったらしい。絵柄が反動的な切手(戦前製作)は使用禁止
神社が絵柄の切手は「国家神道を想起させる」として使用禁止
そう言えば「人物をかたどった切手」って、ありそうでないなあ。明治天皇の切手とか東郷平八郎の切手とか/国民栄誉賞対象者の切手とかノーベル賞受賞者の切手とか、あってもいいのでは?
明治天皇の切手」なんか作ったら、畏れ多くて消印できない、畏れ多くて切手の裏側を舐められない、と言うのはあるかも
切手の図柄で多いのは風景とか。年賀の場合郷土玩具だったりする/で、「今年はどの地方の郷土玩具を採用するか?」で政治家が介入。鈴木善幸郵政大臣時に岩手県の郷土玩具を図柄採用させた
記念切手辺りは政治家介入当たり前。ルーツは田中角榮佐渡国定公園記念切手を発行させた辺りから/最近はそういう政治家介入を聞いたことない。切手趣味業界が廃れたせいか、大臣が小粒になったせいか?
これは推測だが、戦前は体制翼賛的図柄ばかりで、戦後GHQが反動図柄切手を追放して「図柄の自由化」がされたことが、多様な切手図柄を産んで、記念切手ブームを生んだのでは?/映画「三丁目の夕陽」に切手収集が描かれてなかったのは不自然、と筆者は言い切る
つまり切手図柄に社会性、世情が反映される
戦後は日本の文化が全否定され、「漢字を止めろ」とか、挙げ句は「日本語を止めろ」な暴論も/その流れで「干支は時代錯誤な風習だから止めろ」な議論も/年賀郵便図柄は、かつては干支だった。「保守的」批判も起こった
年賀寄付金の配布権巡り郵政省と厚生省で縄張り争い/寄付先に「結核患者」「小児マヒ患者」「被爆者」がある辺り、時代を感じる
東京五輪開催が決まり、年賀郵便寄付金を五輪資金に回せないか?論が出たらしい。結局別建てで寄付金付き切手を作ったらしい/今回の東京五輪はどうするのか?五輪資金用宝くじとか発行しないのか?
自分が小さい頃、親が封筒裏側の凾代わりに「複十字シール」を貼ってた。結核寄付金払うともらえたらしい。募金したら赤い羽貰えるようなもの
今や郵便は終わコン。電子メール版の複十字出来ないか?「このメールの発信元は、アグネスじゃない方のユニセフに1円寄付金支払ったことを証明します」的な。
昭和の50年代辺りまで、年賀状の裏側は無地だった。人々は100部程度の年賀状の裏面印刷を外部印刷屋に頼んでた/枚数少ないから割高/そこで関西の業者が、数千枚単位で一括購入し、まとめて印刷してバラ売りを始めた。
人々は「個別に印刷するよりはトータルで安く」印刷済年賀状が手に入った。一括印刷なのでコストも安く業者も儲かった/しかし派手に買い占めた為、「年賀状が買えない」の苦情が郵政省に来た/郵政省は業者封じ込めの為に「予め裏面を印刷した年賀状」を1983から発売開始
しかし末端の郵政職員にとっては、この一括購入印刷業者は「確実に売上に貢献してくれる有難い存在」だったらしい。要はこの業者がいたお蔭で自爆営業しなくて済んだ
この後この手の業者は淘汰されるが、その理由は郵政省の対抗策だけじゃない。家庭でも100部程度が割安に印刷できるグッズが普及したことの方が大きい/要はプリントゴッコのことだが/プリントゴッコって、もう生産停止してるんだな
プリントゴッコが生産停止してるから理想科学も左前なのかと思ったら、BtoB市場で健在なんだな。孔版印刷機市場国内シェア6割占める
年賀状が初めて売れ残ったのは1989。理由は言うまでもない/郵政省は、この年の年賀状の印刷枚数コントロールをかなり迷ったらしい。容態を睨んで印刷
また、容態睨みながら「年賀状出すべきか、出さざるべきか」迷った人が多く、12月30日とか31日とかに投函した人が多かったのも、この年の特徴。従って、元日配達出来た年賀状割合は例年より少なかった
この年にくじ付き年賀切手を郵政省は企画したが、「諸般の事情」で企画中止
年賀状見送った人向けに「寒中見舞い郵便」を郵政省は1989年1月5日に発表。「1月10日から売り出します」/元号法制定以後、原則年賀ハガキや切手には元号が入っていたが、この時は「元号を入れずに制作」したらしい。右翼的批判をするならば、「崩御に備えた郵便を企画するのは不敬」
1989お年玉切手シートは「昭和64年」が印刷されたレア物らしい
忘れてたネタ。郵便に関する国際条約で、切手の発行国名をローマ字で入れなければならなくなった。1.NIHON、2.NIPPON、3.JAPAN。ジャパン案は早々に消え、ニホンかニッポンかが残った
郵政省は「正式な日本の読み方」を文部省国語課に照会したが、文部省側は回答出来なかった/結局郵政省は独断でニッポンに決定。理由は「東京五輪でニッポンを使用したから」
しかし「日本銀行券」に「NIPPON」と印刷されてるから、政府系機関は「NIPPON」に統一すべきでは?
企業はニホンだな。ニホンテレビ、ニホン生命、ニホン大学、JR東ニホン