昭和30年代までヒマな庶民は皆無だった

小田嶋隆先生が、「今の日本はネット社会で、退屈な時間が存在してなくてヤバイ」的ツイートしてる/私見だが、過去において「退屈な時間」が日本人に存在してたのは、昭和30年代以降の豊かな時代だけじゃないか?それ以前は、一部の金持ち以外は退屈を感じること出来ない程毎日死ぬまで勤労

「もういくつ寝るとお正月」という歌がある。あの歌の「正月を待ち焦がれる気持ち」というのは、「正月は一年365日の中で、唯一退屈が許される日」だから。それは子供も同じで、子供も農作業手伝いや子守りで360日は忙しいかった

金持ち階級を「有閑階級」と言う。まさに字面の通りで、退屈を満喫できたのは金持ちの特権だった。/だから、日本国民の大半が「退屈な時間」を享受しえたのは、歴史上では高度成長以降のごく一部の期間のみ

家電製品だって高度成長以前はなかった訳だから、朝早くから夜遅くまで家事にも追われてた/小田嶋隆氏ほどのインテリが、そういう事実を知らないとも思えないのだが

これも私見だが、12歳〜15歳で「第二次反抗期を迎える」のが、さも人類の心理発達学の常識みたいに語られるが、これも人類の長い歴史では「12〜15歳でも働かなくて済む現代社会だから出てきた現象」で、江戸時代の12〜15歳に反抗期なんてなかったと思う。皆働いていたから

世の中には不思議な人がいて、「江戸時代はエコ社会だ」とか「昔の人々はストレスなく暮らしてた」とか言う。乳幼児死亡率が高く、平均寿命が今の半分な社会に戻りたい、という神経が理解できない/小田嶋氏の「昔の人は退屈を満喫した」ツイートも、「昔は良かった幻想」なツイートだと思う
で、高度成長は日本史上初めて「退屈を庶民にまで広めた」訳で、サブカルチャーなどは「退屈の普及」が産み出した産物。
退屈というのは、「文化を消費する余裕を生み出す(=映画やテレビの視聴)」のと同時に「文化を生産する余裕を生み出す(=サブカル、同人誌)」

小田嶋氏は「現代人は退屈が不足していてヤバイ」とツイートしてるが、自分は別にヤバくないと思う。昭和30年代以前の「退屈が不足していた昔の日本」に戻るだけ

ただ、サブカル的には「退屈の不足」はヤバいだろうね。今の子供世代(21世紀生まれ)は退屈が不足してるから、将来サブカルを生み出す基礎力は不足してるのでは?

日本の場合、物質的豊かさの実現(=国民総有閑階級化)と情報革命実現(=多忙社会)との間に30年程度、丁度一世代分のタイムラグがある。多分、小田嶋氏も自分も、この世代に属する/その世代に属すと、「世の中有閑が当たり前」と勘違いする

一方、中国とか東南アジアとかは、物質的豊かさの実現と情報革命はほぼ同時で、ノータイムラグ。つまり、有閑世代が生まれない/多分、そういう社会ではサブカルは生まれないと思う