戦前の小学校学芸会劇事情

11月15日
戦前の学芸会は「日本兵が中国兵をやっつける劇」/日本兵役は有力者の子弟、中国兵役は貧乏人子弟。わかりやすすぎ / “戦前の昔の尋常小学校の学藝会というとたとえばどのような演目をやって... - Yahoo!知恵袋http://htn.to/wzuckSZ

今日は子供の小学校の学芸会。戦争をテーマとする劇も/戦前の小学校、義務教育課程の学芸会って、どういう内容だったのか?と思って調べたら、案の定/戦前の学芸会では「シナ軍をやっつけろ」になり、戦後の学芸会では「戦争はいかん」にコペ転

「そもそも、戦前に義務教育課程で、児童劇なんてあったのか?」という素朴な疑問を抱いた/なので、子供の劇の最中、「戦前における学芸会の歴史、児童劇の歴史」を検索していた。何やってんだ自分

調べると、オッペケペの川上音次郎が児童相手の演劇を始め、坪内逍遥が「児童自らが演劇する児童劇」を提唱し始めたことがわかる。そして師範学校付属小学校や、成城小学校をモデル校として、徐々に「児童自らが演じる劇」が広まっていったことが、(子供が演じる劇を横目にみながら)わかる。

「宝塚少女歌劇団」の成功が、学校への演劇普及に大きな役割を果たしたらしい。劇というものが、身近になる/しかし、劇のポピュラー化・大衆化に危機感を抱いた文部省は、いきなり1924に「学校劇禁止令」を出したそうだ。これにより、成城小学校以外で劇は演じられなくなった

知恵袋にあった「尋常小学校の学芸会で、皇軍がシナ軍をやっつけた劇をやりました」とあったが、そういう劇は「文部省公認」だから、むしろ奨励されていた、ということだろう/旧華族の酒井美意子の本を読むと、タカラヅカの「頽廃」が、華族子弟に及ぶことを学習院が危機感感じていたことがわかる

その意味では、1924のいきなりの「学校劇禁止令」というのは、タカラヅカに対する文部省の」警戒感が生んだんだろうなあ/宮沢賢治の「演劇活動」というのは、この「学校劇禁止令」という背景を合わせて考えるべし。文部省を敵に回した活動を、賢治はやってた訳だ

・・・というようなことを、子供の激に触発されて調べた。大変興味深い/で、子供の劇の内容は、どうだったか、あまり関心なし。

×激、○劇

学芸会と戦争と言えば、金八先生の特攻隊エピソードを思い出すあなたは、立派な中年です。