ファインコートと飯田産業は建売の常識を変えた

90年代初頭の、分譲戸建(いわゆる建売)の供給データを見ると、茨城県とか埼玉県とか千葉の先とかが、ゴロゴロ。23区は勿論、西東京とか府中とか都下も殆どない/つくづく、都下そして23区で建売を始めたファインコートや飯田産業は、住宅文化を変革してスゴイ、と思う

80年代の「住宅供給」は、大規模宅地造成と同義。「区画数が数百で、駅からバス便」というのが「マイホームのデフォ」だった/「別に区画数が数百なくてもいいじゃん、区画数が数十でも、都心に近い方がいいでしょ?」と価値観の転換を迫ったのがファインコート

飯田産業はもっと突き抜けていて、「区画数は数戸でいい、別に街並みがなくたって、数戸供給で安く供給できれば、それでいい」/いずれも、当時の都市計画の教科書を否定する考え方。80年代の教科書は「バス便大規模マイホームが、住宅の王道」

で、20年以上経過した今、教科書通りの大規模団地が高齢化に苦しむ一方で、ファインコートな建売はそこまで苦しんでない。街作りの教科書に逆らったファインコートや飯田産業の勝ち

結局、欧米的なゾーニング都市計画の「使い勝手の悪さ」が、80年代大規模団地を死に追いやった。畑や大和ハウス的ロードサイド(ユニクロサイゼリア)の隣に飯田産業な4区画戸建がある、西東京的風景の方が、街づくりで可塑性に富む

まあ、ファインコートについては、「マンション用地部隊が見つけてきた土地の中で、マンションに不向きな土地を、建売にする」という用地供給側の事情もあったと思う。郊外バス便団地向けの専用用地部隊を用意するより、1つの部隊でマンションも建売も仕入れられる方が効率的。

@GundariumAlloy 昔の田園調布とか成城学園とかは、結構「都会も自然も」の二兎を追った人の住まいだったと思うのですが、今だと想像もできませんが、当時の田園調布や成城の周囲は田畑だった。

@Merci_mmm 零細業者の1棟現場とかは、バブル前からありました/一部上場企業が、街中に複数現場を建売して、コンスタントに供給していくビジネスモデルは、90年代のファインコートや飯田産業から

@Merci_mmm 同世代が固まってるから、高齢化も同時に進んで、将来悲惨になる