帝国主義とオーストリアの没落

10月12日
一行ネタ/「帝国主義の時代」みたいな本を読んでる/ヨーロッパの同盟対立関係と、植民地での対立関係って、相関しないんだな/ビスマルクは、ヨーロッパでは「フランスを孤立させる外交」を展開したが、アフリカでは「植民地で先行するイギリスを孤立させるため、フランスに協力」

これって、「東京本社ではアライアンス結んでるA社とB社が、関西では激しく対立してる」みたいな話なんだろうな。欧州外交と植民地外交が別で進行

あと、植民地侵略は、現地の指揮官が、ある意味「自由裁量」で、どんどんアフリカ大陸を横断して行ったりしてたんだな。子会社社長が、本社の了解なしに、どんどん事業を展開するような感じ

因みに、この本なんかは、数十年前発行で、最寄りの図書館の本。「近所の最寄りのシャビーな図書館」でも、いくらでも読書の幅は広げられる

アフリカの植民地化って、実は「20年間の間に、一気に進んだ」らしい。1875時点では、アフリカ大陸の10%しか植民地になってなかったのが、1895時点では90%が植民地に/自分は「50年程度掛けて植民地化されたイメージ」があったので、眼鱗

この本読んで思ったのは、「何故、19世紀の大国だったオーストリアが、アフリカ植民地競争に、参加しなかったのか?」/オーストリアより国力少なそうなベルギーですら、アフリカに植民地を持ってたのに、何故オーストリアは持てなかった?

ヨーロッパの没落の歴史で言えば、最も「没落」したのは、多分オーストリアなんじゃないかな?今や、オーストラリアと間違えられるレベル。どうしてこうなった?

@aka1you 自分もそう推測はしてますが、誰か歴史学者とか経済学者で、「何故オーストリアはこの200年で衰退したのか?海がないからか?」という研究をしてほしい

でも、海が無いスイスも、植民地こそ無いものの、経済的にはキラリと光って発展してるよね?/戦後について言えば、オーストリア経済圏の東半分が東側になったのが大きいんだろうな

ビスマルクが「凄かった」のは、普仏戦争で、「フランスを、トコトンまでやっつけなかった」点、との記述に目鱗/ビスマルクは「フランスをやっつけ過ぎると、徹底抗戦して泥沼化してしまう」という計算をしてたらしい

ビスマルクが求めていたのは、「ドイツ帝国の国家承認をしてくれる政治体制が、フランスに存在してくれること、戦後のフランスが、ドイツを承てくれること」であり、「フランスの無政府状態は、望んでなかった」/シリアの無政府状態を招いた現代のオバマ等は、ビスマルク以下