「山梨のぶどう」は戦後の歴史。それまでは桑畑だった

10月29日
一行ネタ/子供の社会の本を見て、「山梨県は、昔は養蚕&桑畑が盛んでしたが、今は果樹園が盛んです」とあって驚いた。山梨のぶどうって、せいぜい戦後以降の歴史しかないのか!/桑畑は群馬〜多摩の、八高線エリアしかない、と勝手に思い込んでた

社会の教科書だと、「扇状地は水はけが良すぎるので、水田には向かず果樹園になりました」的に書かれてるが、これは後付けの理屈なのか?つまり、養蚕桑畑が衰退して、代替作物として仕方なく果樹園に転換した、というのが「正しい社会科教室」なのか?

博多の辛子明太子も、捕鯨が禁止されて、仕方なくの代替食品製造だったらしい

そう考えると、農作物の特産も、30〜50年のレンジては変化していって、今は水田なエリアも、30年後には別の作物が作られてるかもしれない/教科書が追い付けるかどうか知らないが

11月4日
先週「山梨のぶどう栽培は、実は戦後になってからで、養蚕が衰退したから代替作物として栽培開始されたと知り、ビックリ」とツイート/「実は愛媛のみかんも、養蚕代替作物で戦後からの歴史」というツイートを見て、さらにビックリ

そう考えると、実は日本の果樹農作ってのは、「養蚕が衰退して、仕方なく始めた代替作物」という方が多いのかもしれない

青森や長野の「リンゴ」は、寒冷地だから「元は桑畑だった」ということはないと思うが、梨畑とかイチゴ畑とか、関東以西の果樹園は「怪しい」

前にもツイートしたが、「蚕を見たことがない子供が過半数」な時代に、「蚕」という漢字を教育漢字(小学校で習わせる漢字)にしておく必然性は皆無だと思う

もっとも、蚕というのは「もっとも効率的に、蛋白質を生産する手段」らしいから、バイオテクノロジー産業が発達すると、蚕を使ったバイオテクノロジー新素材、創薬産業が発達して、蚕が「復権」する可能性もあるらしい。そうなれば、山梨のぶどう畑も愛媛のみかん畑も、桑畑に逆戻り?