なんでも掲示板 12年7月過去ログ8

Re: セコムの安否確認システム、使えない

投稿者:くろだ 投稿日:2012年 7月27日(金)22時40分52秒
返信・引用



> No.15308[元記事へ]

> が、そのメールの受信が、自分と同僚(隣席)で10分のズレがあった。
> 恐らく社員1万人なので、1万通を一斉に送信することができないので、
> 10分とか20分とかの送信タイミングズレが発生したのだろう。

送信タイミングじゃなくて、ネットの経路の差に一票。

 


無条件降伏まで突っ走った大日本帝国旧体制に、自分は感謝する

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月29日(日)10時00分26秒
返信・引用



 8月は終戦の季節なので。
 1941に真珠湾で開戦し、当初は連戦連勝だったが、1943辺りから敗色が濃くなった。
 選択肢としては、そのまま「本土決戦」まで突っ走らずに、ミッドウェーとか
 ガナルカナル、フィリピン争奪戦辺りで、アメリカと講和する、という選択肢もあったかもしれない。
 (欧州でヒトラーが交戦状態だったので、日本単独の講和が可能かどうか微妙だが)

 しかし、歴史にイフは禁物だが、
 「1943頃に、中途半端に講和休戦する」より、
 「1945まで玉砕で突っ走って、無条件降伏に追い込まれた」ことが、
 数十年後の日本にとっては、結果的にハッピーだったと思う。

 数値は腰溜めの数値だが、
 「A=開戦前の4分の3の国力の状態で1943頃に休戦し、その後5%の経済成長の日本」と、
 「B=開戦前の2分の1の国力まで落ち込んで1945に無条件降伏し、その後10%の経済成長の日本」。

 確かに一時的に辛いのはBで、それこそ飢餓線上スレスレだったのだが、
 数十年のスパンで考えるとどうか?

 Aの場合  戦前=100  Bの場合
 75.00  1943
 78.75  1944
 82.69  1945  50.00
 86.82  1946  55.00
 91.16  1947  60.50
 95.72  1948  66.55
100.51  1949  73.21
105.53  1950  80.53
110.81  1951  88.58
116.35  1952  97.44
122.17  1953 107.18
128.28  1954 117.90
134.69  1955 129.69
141.42  1956 142.66
148.49  1957 156.92
155.92  1958 172.61
163.72  1959 189.87
171.90  1960 208.86
180.50  1961 229.75
189.52  1962 252.72
199.00  1963 278.00
 ということで、当初は苦境だが、1956頃にはBの体制の方が経済規模で優位になり、
 以降その差は拡大していく。

 Aの体制だと、軍部はそのまま温存され、治安維持法大政翼賛会も温存。
 農地解放もされず、財閥温存。

 GDPに対して軍事費の圧迫は著しく、又外交も困難を極め、自由に資源調達できず、自由貿易も望めない。
 ひと握りの中産階級と多数の貧農、という体制下なので内需も拡大しない。
 言論の自由は制限され、それによる萎縮効果で、科学技術の進展も緩やか。

 結局、一時的には辛くても、「膿を出し切って、高度成長できる自由体制」に舵を切った方が、
 長期的には国力は増す、ということになる。

 大戦で散った300万人の犠牲者には申し訳ないが、
 結果的に旧国体が解体に追い込まれたことによって、高度成長体質になった、その意味では
 日本が「徹底的に太平洋戦争を戦った」ことが、その後の日本のためになった、と感じている。

 逆説的だが、頑迷に本土決戦に固執して自爆した、旧日本の支配層には
 「感謝の念で一杯」である。
 あなたがたが1943頃に中途半端に講和していたら、今頃自分の家族も、自分も、貧民のママだっただろうし、
 こんなところで冷房つけながらネットできる豊かな社会には、決してなっていなかっただろう。 


支那事変がなかったら・・・

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月29日(日)10時17分45秒
返信・引用



 先ほどの投稿とは逆の話だが、仮に支那事変が発生していなかったら、
 中国共産党が大陸統一することなく、国民党政権が維持されていたかもしれない。
 (もっとも国民党政権と言っても多数の軍閥に分裂していたから、
 蒋介石一派の政権になっていたかどうかは微妙だが)

 歴史にイフは禁物だが、中国大陸の人から見れば、
 日本の対支「進出」(まあ侵略だが)は、
 「中国に民主主義・資本主義が育ち始めたタイミングで攻め込みやがって、
  結果共産党独裁体制の大陸になってしまった」ということで、恨み骨髄だろう。

 仮に支那事変が起こらなかった大陸を想像してみると、
 今のインド程度には、民主主義が成長した国家になっていたのではないか?
 インドもイギリス植民地から脱したのだから、1930年代までの半植民地状態を、
 中国自力で解消しているんじゃないか、と想像するのだが。


もろもろ

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月29日(日)11時01分36秒
返信・引用



★地域毎のグルーポン

 かつて「みんなでまとめて購入して割引ゲット」と
 いうグルーポンというサイトがあった・・・今でもあるのか?

 しかし、共同購入しても、配送は別々になるから、その分は高くつく。

 なので、スマホ等の位置情報技術を使って、
 同じエリアの数人がまとまって共同購入して、
 それを自分の足で取りに行く、という「地域毎のグルーポン」はできないか?

 しかし、代表購入者がまとめて品物を預かる、となると、
 見ず知らずの家に取りに行かざるを得ない・・・

 なので、宅配ロッカーがあるような大規模マンションに
 住んでいる人を代表購入者にして、
 代表購入者は品物を宅配ロッカーに入れておいて、
 購入者はそこへ取りに行く、というのが、いいのでは?

★震災ログは早く作成するに越したことない。

 ダイヤモンドオンラインで大川小学校特集がなされている。
 当日の教職員の行動、児童の行動について、
 学校側の説明が、以前当事者が発した発言と齟齬している・・・てな内容。

 確かに齟齬は大問題だが、年月が経過していくと、人々の記憶の風化・変質も
 進んでいくのも事実である。
 なので、なるだけ早く震災ログを作成することが、震災の検証には不可欠である。

 この掲示板で、
 「阪神大震災を体験した京阪神1,600万人(激震地300万人+強震地1,300万人)は、
  早急に体験記ログを作れ」
 と自分は訴え続けたが、元々は自分が言いだしっぺなのでなく、今は亡き小松左京が言いだしっぺである。

 小松左京毎日新聞の連載「大震災」で、
 「震災ログを付けて欲しい、今それを集計するのが大変だが、
  一方で忘却してしまえばログ作成が不可能になる」と訴えていた。

 小松左京氏も、京阪神1,600万人のうち、仮に10%の160万人が震災ログを
 作ったとして、それを体系立てて解析する手法は持ち合わせていなかっただろう。
 「集計手段はないが、それでも、忘却されるとマズイ、その前に・・・」という思いだっただろう。

 今回の場合、激震地300万人と同程度の震災体験したのが
 岩手〜茨城・千葉の推定500万人。

 「阪神」強震地1,300万人と同程度の経験をしたのが、帰宅難民等に陥った首都圏3,500万人。

 で、激震地300万人より「深刻な体験」をしたのが、東日本沿岸津波地域の推定100万人、
 及び福島県200万人

 重度の体験者300万人+中度の体験者500万人+軽度の体験者3,500万人、計4,300万人。
 小松左京が呼びかけた人数よりはるかに多い人数だし、重度体験者も多いので、ログの取りまとめは
 困難を極める・・・はずであるが、一方で技術は進歩し、
 「マイニング分析」「ビッグデータ解析」が進展しつつある。

 なので、何らかの形で体験をテキストライズしておけば、
 それが乱雑な発表物(例:ツイッター)であっても、ビッグデータ解析の「チカラ技」で、
 何とかなるのでは?

 兎に角今は、「テキストライズを先行」すべきだ。

★上医師の本を読んでいると、結構「先祖代々、医者」という家系って、医学界には、結構あるのね。
 「先祖は江戸時代藩医だった」という医師とか。

 カンブリアに出ていた亀田総合病院の亀田理事長もそうだった。
 あれは亀田氏だけなのか、と思いきや、結構医師の世界ではママあることのようだ。

 あと、「スーパードクターK」という漫画も、そういう設定だった。

最低賃金生活保護の逆転現象が問題となっているが、
 最低賃金×法定労働時間の積が、生活保護支給額より少額、だから問題ということですよね?

 実際には、最低賃金勤労者って、法定労働時間を大幅超過して勤務するので、
 総手取額は生活保護支給額を上回っている、そういうことじゃないのかなあ?
 法定労働時間に対して超過労働=過労を奨励する気はないが、
 「職がないので、生活保護支給額が上限」という生活保護者より、
 「超過勤務したら、手取り額に増額の余地がある」というワーキングプアの方が、
 経済的な「伸びしろ」はあるような気がする。

 そもそも、最低賃金を遵守していない中小企業が多発しているので、
 最低賃金だけ引き上げても、遵守率が低下するだけで、あまり意味がない気が・・・

★7月の「私の履歴書」はキッコーマンの茂木氏だが、
 普通「私の履歴書」は、生まれた時から順繰りに書き起こすのが通例。
 しかし、茂木氏の履歴書は、いきなり初回に「アメリカ進出のエピソード」を連続で紹介し、
 その後、生まれた時に遡っていた。

 自分が記憶する限り、初回に生まれた時のエピソードを書かずに
 社会人になってからのエピソードを書いたのは、茂木氏以外に記憶がない。

 以前
 「私の履歴書ゴーストライターの作文」と揶揄したことがあったが、
 茂木氏の場合は、それなりに自分のアタマで考えて、
 「初回にアメリカ進出エピソードを書いた方がウケル」と判断した、ということだろう。

 今後、マンネリ化した「私の履歴書」の文体を打破して、
 壮年時のエピソードから書き起こすとか、生年時のエピソードはカットするとか、
 様式にとらわれない「履歴書」が続出しそうな気がする。

★因みに東武野田線は、キッコーマンが作った鉄道らしい。
 戦時合併で東武に強制合併されてしまった次第。

★日経夕刊にビートルズ特集があるが、
 「アルバム」というのはビートルズが始めたらしい。
 「編曲」もビートルズが始めた。
 「プロモーションビデオ」の元祖もビートルズ

★日経によれば、ウナギ高騰の原因は、資源枯渇にも原因があるが、
 「養殖業者側が企業体で、でも需要側がウナギ料理店など零細で、
  力関係が川上優位だから」と解説していた。

 逆に言えば、他の魚の値段が低迷しているのは、
 「漁師の側が個人で、需要側がスーパーなど大手で、
 力関係が川下優位だから」とも言える。

 ということは、漁師が結集して企業体になれば、魚価を引き上げられる?

★韓国の財閥はあらゆる部門に進出し、百貨店とかキムチ製造とかにも進出しているのだが、
 不思議なことに「金融」には進出していない。
 「現代銀行」とか「サムスン証券」というのは存在しない訳だ。

 日本の場合は、「三菱銀行」「住友銀行」「富士銀行」とかが旧財閥グループの
 中心にいて、グループを束ねる格好になっていたが、そのようなことは韓国ではなかった。
 言い方変えれば、韓国は創業者が束ねているから無問題、一方日本は財閥解体
 財閥家による統治・求心力がなくなったので、銀行が代理統治していた、ということか。

 なので、日本のメガバンクは、「銀行不在」の韓国に進出して、
 「日本的メガバンクのシステム」を移出しようとしているらしい・・・

★ふと思ったが、都内の公教育は、小学校・中学校は区立(多摩は市立)、
 一方高校は都立な訳だ。
 小中と高校で運営主体が異なってくるので、私立一貫校に対して有効な施策が打ち出しづらい訳だ。

 他の道府県でも、小中は自治体立、高校は道府県立、というところが多数派なので、
 他の道府県でも同様の問題は抱えているが、私立が強い東京ではよりその辺が問題になるわけだ。

 その辺の問題を解決すべく、都立の中高一貫校が出来てきているようだが、
 思い切って、区立小学校、区立中学校を全て都立移管してみてはどうか?
 教職員自体は区じゃなく都が採用している筈だから、それとの整合性も合う。

 23区内とか、生活圏が被っているから、
 「世田谷と杉並の区境に住んでいるから、杉並区の小学校に通うより世田谷区の小学校に通う方が便利」
 とか
 「中野区の小学校に通っているが、練馬にマンションを買った、でもそのまま中野区の小学校に通わせ続けたい」
 のような要望は、結構あると思う。
 それを行政区で縛り付けるのは、住民サービス的には、「?」と思う。

 さらに言えば、都立小学校が数百校もあれば、その中で
 「火曜日・水曜日を休みとする都立小学校」なんて、ニッチな需要にも答えられることができる。
 火曜日水曜日休みの小学校というのは、百貨店や住宅メーカー勤務者を保護者とする家庭にとって、
 ニーズがあると思う。


Re: もろもろ

投稿者:くろだ 投稿日:2012年 7月29日(日)20時34分59秒
返信・引用



> No.15313[元記事へ]

> ★因みに東武野田線は、キッコーマンが作った鉄道らしい。

県営鉄道→北総鉄道(京成系)です。
育てたのがキッコーマン

 




私も

投稿者:まる 投稿日:2012年 7月29日(日)22時31分23秒
返信・引用



日経の私の履歴書で、関連を読みましたが、
キッコーマンが作った」とは読めませんでした。

> ★因みに東武野田線は、キッコーマンが作った鉄道らしい。




具体的に知りたいですね

投稿者:あじあ号 投稿日:2012年 7月29日(日)23時00分9秒
返信・引用



>「県や医大側が、民間の活躍を疎ましく思った」
当時の現地を知りませんが、無茶苦茶感謝すると思いますよ。普通は。
>「活動の足を引っ張るようなこと」もあったと思う。
具体的には何でしょうか?それを知って議論しないといけないのでは?
よく、「行政が妨害した」という記述に出会い、具体的に調べると、
不明だったり、(しかるべき理由があり)支援しなかったりということが
しばしばなので。


(無題)

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月30日(月)18時56分11秒
返信・引用



http://toubunoda.sblo.jp/article/2779584.html

東武野田線は埼玉県と千葉県を結ぶ環状路線ですが昔は、旅客営業
>だけでなく、貨物輸送もしてたってみなさん知ってました。
>何を運んでいたかと言うと、醤油なんですって。千葉県の野田はむ
>かし、醤油の醸造が盛んでその醤油を日本全国に運ぶために、醤油
>の醸造組合が呼びかけ東武野田線が出来たということわたし最近し
>りました。
>その醤油の醸造組合の大元があのキッコーマンなんですね、だから
東武野田線は醤油電車、キッコーマン電車なんです。

http://itot2.jp/u-noda/16

>醤油業界が野田に与えた影響は非常に大きなものであり、
>このころには醤油業者たちが出資して銀行や鉄道などの生活基盤が整備された。
>現在野田市民の日常の足として使われている「東武野田線」も、醤油業者による
>請願と出資によって開通したものだ。
>その後も野田の醤油産業は発展を続け、1917年(大正6)にはこの地の醤油醸造家が
>大同団結して「野田醤油株式会社」を設立、この会社が現在のキッコーマンへと至る。



Re: (無題)

投稿者:くろだ 投稿日:2012年 7月30日(月)19時05分0秒
返信・引用



> No.15317[元記事へ]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%AD%A6%E9%87%8E%E7%94%B0%E7%B7%9A#.E5.8D.83.E8.91.89.E7.9C.8C.E5.96.B6.E9.89.84.E9.81.93

建設費は県債を募集して充てることとし、醸造組合は20万円でその県債を引き受けた。

該当の崙書房の本を読むことをお勧めします。

 


「作った」の定義

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月30日(月)19時14分3秒
返信・引用



確かに建設主体は県かも知れませんが、
「建設して欲しい」と請願し、なおかつ「建設費を出した」(全額じゃないかもしれませんが)のですから、
「作った」と表現しても、そんなに見当ハズレじゃないでしょう。

「俺、家を建てたんだよ」と自慢している人に、
「お前が建てたんじゃなくて積水ハウスが建てたんだろう」と茶々入れるのに似ている気がする。
確かに物理的に建てたのは積水ハウスだが、発注したのは「俺」ですから。


Re: 「作った」の定義

投稿者:なかだ 投稿日:2012年 7月30日(月)19時16分27秒
返信・引用



スルッとKANTOさんへのお返事です。

> 確かに建設主体は県かも知れませんが、
> 「建設して欲しい」と請願し、なおかつ「建設費を出した」(全額じゃないかもしれませんが)のですから、
> 「作った」と表現しても、そんなに見当ハズレじゃないでしょう。


だから最初からくろださんは「キッコーマンが育てた」と書いてるのでは?


書き方のスタンス

投稿者:なかだ 投稿日:2012年 7月30日(月)19時23分22秒
返信・引用



管理人さんの書き方は、いつも正確さは二の次で、ややセンセーショナルにあおる。
これは、つまりマスコミ、それもどちらかというとゴジップ系記事の手法。
これに対し、理系投稿陣は、正確な方向へと軌道修正する。

ってな感じですな。
管理人さんは、日刊ゲンダイ的な手法がお好きなんですか?


Re: 書き方のスタンス

投稿者:tama 投稿日:2012年 7月30日(月)20時24分8秒
返信・引用



> No.15321[元記事へ]

そりゃあ、川島令三のような輩を持ち上げている方ですし。

> 管理人さんの書き方は、いつも正確さは二の次で、ややセンセーショナルにあおる。
> これは、つまりマスコミ、それもどちらかというとゴジップ系記事の手法。
> これに対し、理系投稿陣は、正確な方向へと軌道修正する。
>
> ってな感じですな。
> 管理人さんは、日刊ゲンダイ的な手法がお好きなんですか?


「作った」の定義

投稿者:まる 投稿日:2012年 7月31日(火)00時18分59秒
返信・引用



キッコーマンの醤油を運ぶために建設されたのかも知れませんが
それをキッコーマンが作ったと言ってしまうと、
国鉄飾磨港線は新日鉄が作ったとなってしまいます。

別府鉄道のように、鉄道の創業者と会社の創業者が同じなら
そう書いてもいいかも知れませんが。


http://blogs.yahoo.co.jp/dfm92431/63609862.html


あじあ号様の宿題1

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月31日(火)22時35分38秒
返信・引用



「育てた」という表現も、違和感あるのですが。

語感として、「育てた」というのは「設立に関与せず、設立後に関与」という語感だと思うのですが、
野田線の場合は、「作った」の定義に該当するかどうかは兎も角、設立には関与していますから。

〜〜〜〜

あじあ号様の宿題は、上先生の著書の引用で回答とさせてください。
(上先生、転載ごめんなさい)
とりあえず4点転載しますが、これ以外にも様々なエピソードあります。

※いっそのこと、上先生が8月25日に東大で講演しますから、あじあ号様も参加されてはいかが?
 (JR東海のあの人が幹事役です)

1.いわき市透析患者 県外輸送問題
 (9〜10頁)

常磐交通社では患者輸送には福島県の許可が必要と考え、県の担当者に問い合せた。
一方、県は「厚労省の指示があれば許可できる」と回答した。
ここに至って、われわれは厚労省と交渉しなければならなくなった。
(中略)
私たちは、困り果てた。ここで登場したのが、梅村さとし・参議院議員民主党)である。
(中略)
われわれの依頼を受けて、梅村氏は厚労省幹部にコンタクトした。
そこで返ってきた答えは予期せぬものだった。
「先生たちの勝手な行動は厚労省で評判が悪い。正規のルートを通じて話を挙げてほしい」
「東北全体の患者搬送システムを作るのが先。
 それができたら、いわきの透析患者も利用すればいい」と言う。
だがそんな仕組みができるのを待っていたら、いわき市の透析患者は亡くなってしまう。
厚労官僚がこのように考えているのであれば、われわれのような民間人はいかんともしがたい。
彼らを動かすには、政務三役から指示を降ろすしかない。
梅村氏は与党の医師議員だ。医療担当の政務三役に
「民の活動を官が邪魔してはいけない」と掛け合い、うまく調整してくれた。
解決のキーワードは「厚労省は聞かなかったことにしましょう」だったらしい。

2.相馬市健康診断問題
(149〜150頁)

余談だが、今回の活動は、地域からおおむね好意的に受け入れられたようだ。
ただ、福島県や一部の研究者には不満が溜まった。
知人の福島医大関係者からは「先生たちの活動は、福島県では評判が悪いですよ」と助言された。
また、立谷市長によれば、福島県から「勝手に玉野地区の健康診断を行うこと」について
「問い合わせ」があったらしい。
もちろん、立谷市長は「相馬市が市民の健康を守るために健康相談会を行うことの、
どこに問題があるのか?」と切り返したそうだが、
普通の市長なら怖じ気づくだろう。
独自に医師が確保できなければ、嫌でも福島県の意向に従わざるをえないからだ。

※村山註:福島県は県人口に対し医師数が少なく、福島医大(県立)が相当数医師を供給している。
 よって福島医大福島県の意向に従わざるを得ない病院が多い



あじあ号様の宿題2

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 7月31日(火)22時36分29秒
返信・引用 編集済



3.小児被曝線量公開問題
(179〜182頁)

小児の被曝線量を公開するうえで一悶着があった。
データ開示を拒んだのは、総務省から出向している村田崇副市長だ。
2011年4月に副市長に就任した。赴任時の年齢は36歳。当初の評判は良好だった。
鳥取県からWBC(村山註:ホールボディカウンター)を借り受けたのは、彼の功績だ。
ところが、南相馬市役所で仕事を続けるうちに、変質してしまったようだ。
発端は、坪倉正治医師が桜井市長、村田副市長の二人に送ったメールだ。
坪倉医師は、WBCの件で御世話になった早野龍五。東大大学院理学系研究科教授からの言葉を伝えた。
「震災後、南相馬市に食品の放射線調査をやろうと申し出た。
 学校給食を丸ごとミキサーにかけて放射線量を測定するという方法だ。
 費用はこちらで負担する。これまで、南相馬市からは回答がない。どうなっているのだろうか」
という内容だったらしい。
南相馬市で、食品の放射能調査が重要なことは言うまでもない。
桜井市長は青天の霹靂だったようで、即座に早野教授との面談をセットした。
ところが、村田副市長は、このメールが面白くなかったらしい。
坪倉医師に対して
「特別職に対して原因を調べろという趣旨のメールになっていますから、
 私に対してはともかく、市長に対しては失礼極まりない行為であり、また、今回のような意見を
 お持ちでありながら、組織として総合病院がどのような庁内調整をされているのか
 全く見えてきません。言葉は良くありませんが、これでは単なる一職員による感情任せの『ちくり』
 としてしか扱うことができません。
 ご自身の責任や立場を踏まえられた行動をお願いしたいと思います」とメールを返した。
さらに、以下のような意見も付け加えた。
「この際申し上げますが、WBCや尿検査の問題など、市民を巻き込むような話題において
 重大な守秘義務違反を繰り返されていることは、極めて遺憾です。
 これらの問題について何らの反省や状況報告がなされないままで今回のようなメールを頂戴し、
 上から職員を押さえつけるような事態が生じれば、ますます総合病院の立場は苦しくなるものと思います。
 これらに加え、県や県立医大に多大なご迷惑をおかけし、これら対応を総合病院でなく市の側で
 負わされている現状を考えると、市職員としても、感情的にどうしても総合病院を敬遠せざるを
 えなくなるのではないでしょうか」
このメールを見て、坪倉医師はショックを受けたようだった。
誰が読んでも露骨な恫喝である。しかも、南相馬市立総合病院の医師たちの活動が、
村田副市長にとっては「福島県や福島医大に迷惑をかけている」と映っているらしい。
(中略)
村田副市長のメール問題は、さまざまなメディアで報道された。
特に、朝日新聞の人気連載である「プロメテウスの罠」は繰り返し取り上げた。
事実を知った南相馬市民は、村田副市長に対し、
「一刻も早く霞ヶ関に帰って欲しい(南相馬市民)」と激怒した。
メディア報道は村田副市長や市役所の幹部に効いたようだ。
早野教授からのオファーを黙殺していた南相馬市教育委員会は、即座に早野教授に
食品の放射線調査を依頼した。
一方、村田副市長はメディア報道に対し、頬被りを決め込んだ、
南相馬市立総合病院の医師たちに謝罪することはなかった。

4.民間による除染問題
(240頁)

福島市の阿部光裕和尚や南相馬市高橋亨平医師は、地道な努力を続けている見本だ。
ただ、彼らの存在は、地元行政にとっては面白くない。
莫大な予算が計上されているのに、除染は進んでいない。
阿部和尚の所業は彼らの面子を潰してしまう。
福島市の職員は「寺の敷地内に勝手に放射性物質を保管することは法律違反のおそれがある」と発言したという。
独自に除染技術を開発できないだけならまだしも、自発的に除染する市民の足を引っ張るとは論外である。