なぜ「アンパンマン」は「暗い」のか?

http://www.excite.co.jp/News/bit/00091155140127.html
アンパンマン」の暗く悲しい歌の世界
(エキサイトニュース)
まあるい顔に真っ赤な鼻とほっぺ、「ザ・健康優良児」な印象(?)のアンパンマン
先日、そんな「アンパンマン」に関する興味深い本をご紹介したが、作者・やなせたかしが描く「アンパンマン」の歌には、実はずいぶん暗い内容が多いことをご存知だろうか。

「生きるよろこび」を説く一方には、暗く深い悲しみ「死」がついてまわるのだ。
たとえば、『それいけ! アンパンマンのおもしろ音楽館』というDVDに収録されている9曲を見てみよう。
すべて作詞は、やなせたかし先生ご本人。その中で、「勇気りんりん」は、終始楽しい曲だが、他の曲はたいがい暗い。
いちばん有名な「アンパンマンのマーチ」ですら、幸せや喜びを歌うのでなく、わからないまま終わる人生はいやだ、と最初から後ろ向き。根っこの部分は明るいわけではなく、ネガティブな発想からスタートしているのだ。

アンパンマン音頭'99」では、自分の顔をたべてごらんと誘い、「顔がおいしい」とか食欲の失せるようなことを言う。しかも、彼が飛ぶ理由は「ひもじいひとを救うため」で、「何度死んでも」と軽く言ってのけるのだ。そんなこと言われちゃ、食べられませんよ。
「生きてるパンをつくろう」は、タイトルからしてゾッとするが、要はみんな食べないと死んでしまうという内容で、曲中に「ひもじい」が2回、「死んでしまう」が4回も登場。
生き死にのテーマが多いのは、さすがやなせ先生、「僕らはみんな生きている」の、『手のひらを太陽に』の作詞者だけのことはある。

「ドキン・ドキン・ドキンちゃんードキンのうたー」では、ドキンちゃんが自分の名前を尋ね、知らないという相手に「気の弱いやつは気絶する」と豪語。それだけの内容なのだが、どういうわけか映像は、原住民に「生贄」としてとらえられるイメージで、今にも食われそうな緊迫感が漂っている。
「ずっこけ! ばいきんまん」では、「運がわるい」「ずっこける」「負ける」「傷ついた」と、ネガティブワードぎっしり。ナイーブな受験生のようで、扱いにくいったらない。

生と死と、喜びと悲しみと、光と影と……そうした表裏一体のものを描くのが「アンパンマン」「ばいきんまん」の世界ではあるだろう。
それにしても、子どもが見るには、あまりに暗く、悲しすぎる曲が多いことは、気がかりだ。
田幸和歌子
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最近エキサイトニュースのネタが面白いのだが、この「 田幸和歌子」というのは
パブリックジャーナリストなのか?

だとすれば、なぜやなせ氏がこのような歌詞を付けるのか、そもそも
「自分の顔を食べさせる」という自虐的キャラをなぜ思いついたのか、少しは調べて欲しい。

氏は、ウルトラマンとか鉄腕アトムとか、カッコイイヒーローがもてはやされる傾向に
違和感を感じて、「自分の顔を食べさせる」カッコ悪いキャラを思いついたのである。

アンパンマンの初回は、ひらがなで「あんぱんまん」だったそうだが、
そのストーリーは
「戦争でひもじくなった人に、あんぱんまんは行って顔を食べさせたのでした」で
あったという。
そこにあるのは
「悪との戦い」ではなく、ただ奉仕するだけのカッコ悪いあんぱんまんの姿である。

あと、これは推測だが、「カッコイイヒーロー」というのに「胡散臭さ」をやなせ氏は
感じていたのではないか?
「鬼畜米英、八紘一宇」というカッコイイフレーズに踊らされた氏の戦争体験が、
「カッコ良さは、ともすれば危険である」というメッセージに繋がったのだろう。

余談だが、「あんぱんまん」改め「アンパンマン」の編集部での最初の評価は散々だったらしい。
「こんなネガティブなヒーローは受けない」というのが編集部の見方だった。
しかし、「アンパンマン」はじわじわと子供たちに受けていった。
子供たちは、そのネガティブさも含めて、ちゃんと評価していたのである。