【7月18日→8月9日 日本はドラマが多すぎる】

★震災以降を境に数字が下がってるのか?仮にそうなら、「震災以降、不急不要の視聴を控え、選別視聴してるから」の仮説成り立つ。ドラマは視聴リストラの第一候補 / “なぜ宮城地区「ドラマ」視聴率が低いのか? (…” http://htn.to/uYZzeg
★昨日「あまちゃん」「半澤直樹」が高視聴率でも全然見る気がしない、と書いたが、根っ子には「ドラマは不急不要」と言う偏見が自分にはある。恐らく震災経験者も不急不要なモノに時間を費やしたくない
★バラエティーはなんだかんだで「情報は取得できる」から、不要とは言い切れない。まあダラダラして時間勿体ないから、2倍速視聴や10倍速スキップが妥当/ドラマだとそもそも「情報」がない
★「ドラマには情報がない」と書いたが、変な話だが数十年前のドラマを視聴するなら「情報」は取れる。先日社内旅行で植木等の昭和30年代ドラマをバス内視聴したが、「当時はキャバレーが流行ってた」「当時はサラリーマンもビル屋上で昼休みにバレーボールしてた」と言う「情報」が取れた
★10年20年のロングスパンで見たら、ドラマ視聴率・映画視聴回数・小説読書量、つまり「フィクションの消費量」は全国的に低減してるのではないか?フィクションは不急不要なモノ。一方現代人は処理すべき情報量が急増。だからフィクションを消費する時間的余裕がない
★日本が経済規模の割に美術市場規模が極端に小さいのも、多分同じ理由。美術を楽しむ余裕なく、不急不要とみなされる
★中国で美術市場が急拡大してるのは、家庭に電化製品とか入ってきて「可処分時間」が急増、時間的精神的ゆとりが産まれたから。そして美術品がステータスシンボル、利殖商品だから/早晩、中国も美術品離れを起こす
★そもそもテレビ局はドラマを作り過ぎ。一シーズンにせいぜい1本だけ制作放映して、他は5年前10年前20年前30年前ドラマをゴールデンタイムに堂々と再放送したら、制作費ゼロで案外視聴率稼げる
★テレビ局はいわゆるF1層をメーンターゲットにしてるが、F1層にとって、25年前のドラマは「産まれてないか、記憶にない」。だからF1層をターゲットに25年前ドラマを放映しても「既にこれ見た」とクレーム受けることなく、初モノ扱いしてもらえる
植木等時代のドラマは、まだ高度成長前だったから、画面に描かれてる生活は今より明らかに貧しい。だが25年前ドラマなら、今との違いは「ネットやスマホがあるかないか」の違いだけで、他は現代とほぼ同じだから、現代F1層に違和感なく通じる
★日本のキー局のゴールデンタイムの編成には、目に見えないルールのようなものが存在する。例えば20:30スタート、21:30スタートの番組はない。逆に言えば20時台21時台に30分番組は存在しない
★「番組はデイリー又はウィークリー」というのも隠れたルール。「何を当たり前のことを?」と思われそうだが、韓国ではドラマを「火曜日の夜に放映、次回作を木曜日の夜に放映」と週2回ペースで放映するらしい。番組はウィークリーが常識、の思い込みは捨てた方がいい
★30年前は「ゴールデンタイムの番組は、いわゆる「ジャストタイム」、21:00や22:00にスタートする」が不文律だったが、ニュースステーションが21:54開始で不文律破ったため、なし崩し的にジャストタイムルールはなくなった
★ジャストタイムと言えば、昔は博多行新幹線は東京駅をジャストタイムに発車していた。国鉄時代の思い込みで「看板列車はジャストタイムに出発すべき」
★ところが、ジャストタイムの分かりやすさが災いして、新大阪迄しか行かない客までもが博多行のジャストタイム新幹線を利用するようになり、無駄に混雑するようになった。
★当時は出張切符の手配を事務の「女の子」が手配するのも日常的で、課長が「女の子」に大阪出張切符の手配を依頼したりしてた。「どの新幹線にしますか?」と聞かれると、「10時の新幹線にしてくれ」とオーダーする。
★課長の側は「アバウト10時の新幹線なら、別に9:50でも10:10でも構わない」と言う考えだったが、頼まれた女の子は「ジャスト10:00の新幹線じゃなきゃ、課長に怒られる」と思い込んでるから、律儀に10:00の博多行新幹線で新大阪までチケット買う
★このジャストタイム新幹線混雑問題は、鉄道作家の宮脇俊三氏が初めて指摘したと思う。その後、確か民営化した頃にジャストタイム新幹線は新大阪行きになり、博多行はジャストタイムから外れた