【7月18日→8月9日 戦前のエリート層の薄さ】

7月20日
★「会社」を「財閥」に言い換えた方が伝わる。確かに、当時の財閥は政治に近づき過ぎ、軍に近づき過ぎた。批判的ブコメしてる人は、鮎川とか中島とか知らないのかな? / “祖父の語るところによると - Togetter” http://htn.to/E8ZRaR
★@yzcyzf はてなでは「企業に戦争始める力ない」とトピ主否定のブコメ多い。はてな住民は戦後の常識でモノ考え過ぎ。戦前は企業人が多数閣僚や代議士になってる。企業経営者と政治の距離は今より遥かに近かった
★@chisamikan はてな住民は、なぜGHQが財閥解体を指示したのか、時代背景を詳しい知らないらしい。だから「企業に戦争起こす能力ないハズ」ととんちんかんな批判する
★@kumonopanya 当時はロビー活動なんて迂遠なやり方じゃなく、直接代議士や閣僚になってた
★戦前に企業(財閥)経営者と政治と軍幹部の距離が近かったことは、当時の関係者の日記や回想録の類を見たら実感できる。思うに、当時の指導者層は帝大卒と士官学校卒に限られ、人数が少ないインナーサークルになってたのでは?指導者同士、「知り合いの知り合い」だったりする
★一回、戦前の旧東京帝大の学生数と、今の東大の学生数を比較したい。今の方が相当学生数多い気がする
★感覚論だか、戦前はエリート層人口が1万人程度で、互いに「知り合いの知り合い」状態。今は100万人はいて、「知り合いの知り合い」では収まらない状態
★エリート層人口が増えた、と言うのは、日本が農業国家から工業国家、企業国家に転換し、技術者や中間管理職が多数必要になったから
★名著「満鉄調査部」を読むと、鮎川が関東軍革新官僚を利用して、旧財閥(三井三菱住友)に追いつき追い越そうとしている様子がよくわかる。関東軍革新官僚も、旧財閥と新興財閥(鮎川や中島)の争いを利用して、野望を実現しようとしてた
★ただ、昭和恐慌以前と以降だと、旧財閥以外のプレーヤーががらりと変わった。以前は鈴木商店とか渡辺銀行とか、結構金融資本主義だった。昭和恐慌以降、新興財閥は鮎川日産や中島飛行機日窒コンツェルン理研コンツェルンなど、産業財閥が中心に
★その意味では、金融財閥を潰した昭和恐慌が、太平洋戦争の遠因とも言える
★書名は忘れたが、昭和30年代に、新聞社が関係者に大戦過程の証言を採取する企画があった。軍関係者が「軍が停戦を検討しようとしたら、財閥関係者から横槍が入った」の証言があった
★戦前新興財閥史によれば、鮎川は当初、(姻戚関係にあった)筑豊の貝島炭鉱(日本一の石炭会社)を乗っ取ろうとしたが貝島の抵抗に愛知、久原鉱山に狙いを変えたらしい。鮎川が予定通り貝島を乗っ取り出来たら逆に久原には手を出さなかっただろうから、歴史が変わった?