大志を抱く青年は、戦後は東京を目指したが、戦前は満州を目指した

5月25日
こういうデータ考察こそ面白い。「団塊ジュニア人口を獲得出来たか否かが、人口減少県になったか否かの分水嶺」という指摘は目鱗/今極点社会で消滅しかけてる自治体は、団塊世代の流出阻止に失敗した自治体 / “戦後、人口は増えていない | …” http://htn.to/AzzY79L
またはてブに「明治維新に成功した勝ち組の県ほど、人口減少が早い」というパラドックスを指摘してる点が興味深い。鹿児島山口高知など/「明治新政府で立身出世しやすい為、軒並み人材が東京へ流出したのでは?」仮説が提示
明治の藩閥政権は、露骨な地元への利権誘導、公共投資誘導はしなかった、ということか?/明治時代は、まだ日本は農業社会だったから、公共投資乗数効果が表れない、利益誘導はしたが、それが人口維持に結びつかなかった、ということ?
藩閥にとって変わった政党政治は、露骨な利益誘導政治。あれは大正以降の、それなりに資本主義が発達した社会だったから有効だったんだろうなあ
出生率パラドックスが生じた可能性もある。鹿児島や山口などの勝ち組県は、「明治新政府で美味しい思い」をした県民が多かったため、県民所得水準が上がり、その為に出生率が「下がった」とか。
「大志を抱く地方青年は、東京だけを目指す」というのは、実は戦後の価値観でしかない/戦前は、「東京を目指す」青年の数倍の数が「満州を目指し」ていた
戦前の帝都(東京)は確かに地方から見たら魅力的だったが、反面、財閥や華族藩閥などの「旧勢力の巣窟」の都市だった/だから、有為な青年は、「旧勢力のしがらみのない、実力本位」な満州を目指した
だから戦後の東京一極集中という現象は、「満州を失った副作用」という側面もある。もはや、青年は東京しか行き場がなくなった
「戦前は、人口流出の受け皿は帝都じゃなく満州だった」仮説、これはあくまで仮説なので、国勢調査データで検証してみたいのだが・・
つまり、満州って、日本人にとっては「新大陸」だった訳です
ツイートしたかどうか忘れたが、自分の母親は満州生まれなんだよね/引き揚げ時に迷子になったらしい。中国残留孤児になってた可能性も
北海道民の県民性に「因習に縛られない、合理的」てのがある。結婚式なんかは会費制で合理的/実は満州移民も、県民性は北海道と同じように「因習に縛られずに合理的」だったらしい
@azrc1 満州以外の中国本土、上海なんかもいたでしょうね。「大陸浪人」なんて言葉も/南米と、あとハワイとか
アカデミックな世界や、技術の世界でも、満州は「因習に縛られない、合理的な新世界」だった。満鉄などでは、内地でも(帝大などのしがらみが理由で)導入できない世界最先端の技術を、次々と導入して生産効率を高めていた
自分は帝国主義には否定的ですが、「満州社会の合理性」の部分は、もっとポジティブに評価すべきだと思う。満州は「内地では出来ないことをトライアルする、一種の特区だった」訳で、戦後日本に「特区の成果」が導入されて社会改善に繋がった効果は否定出来ない
現代日本の閉塞感って、満州みたいな「しがらみのない新世界」を持ってないことにも起因する気もする/だから「新世界確保の為に、侵略しろ」とは言わないが。
戦前の国民が、「満蒙は日本の生命線」という松岡洋右の言葉に激しく共感したのは、経済的メリット・帝国主義的メリットだけじゃない「精神的メリット」も感じていたからだと思う。戦前国民は、「満蒙に、因習に縛られない理想郷がある」と信じていて、「アルカディアを失いたくなかった」