鹿児島の男尊女卑と旧士族支配

http://twilog.org/shinjukujiro/month-1508/allasc-10

8月28日
これ、原発再稼働支持派こそ、この知事を断固批判すべきなんだよね。反原発派からの「こんな封建的知事だから、再稼働が認可された」という攻撃に反論できなくなる。 / “鹿児島県知事 伊藤 祐一郎氏の「女子にサイン、コサイン、タンジェント…” http://htn.to/gWxoKF

南日本新聞がGJなのは勿論だが、一方で、こういう地方政治家の劣化を指摘できない「中央紙」記者の存在意義を疑う。朝日毎日読売共同は何している? / “「サイン、コサインを女の子に教えて何になる?」鹿児島県知事の発言を乙武洋匡氏が批判…” http://htn.to/rXhHJ2

朝日は報じたのか/こういう発言をした方が、鹿児島では「むしろ、支持率がアップする」と計算しての確信犯だったりして / “女子教育「コサイン教えて何になる」 鹿児島知事、撤回:朝日新聞デジタルhttp://htn.to/RnZ6V9

8月29日
知事の信念は「公立男子」全寮制一貫校の楠隼をこの御時世に設立してる点からもお察し/鹿児島の男子大学進学率が九州の中では高いのは、ラサールが引き上げている可能性 / “データえっせい: 県別・性別の大学進学率(2015年春)” http://htn.to/iawc2wDE5vs

鹿児島県女子って「四大進学率は全国最低」だが「短大まで含めた進学率は低くない」のか。これ、「カネがないから」とかの理由じゃないよね?

鹿児島辺りだと「福岡の大学に進学する」なパターンが多そうだな。新幹線も出来たことだし/で、「女子は県内の短大で、よか」

因みに、今回の件で一気に有名になった「楠隼」は、島津藩の藩校の教育がモデルらしい。さもありなん。

母校の高校の日本史の先生が、「鹿児島で島津藩が600年も支配できたのは、つまり鹿児島の経済生産性が低いことの象徴ですよ」と言ってたなあ

子供の社会科の教科書見て初めて知ったが、鹿児島県の農業って、昭和40〜50年代にシラス台地に大規模用水路を開削したことで、一気に発展したらしい。自分が小学校の頃には、そういうことは「新し過ぎて、教科書には無かった」

あと昭和50年代だと、鹿児島空港テクノポリスやってたりとか。稲盛氏が故郷に京セラ工場建てたりしてた

あと、喜入の石油備蓄基地とか。石油ショックが契機/志布志の開発は、あれは何だっけ?新産業都市だったっけ?

沖縄がもっと早く日本に返還されていたら、ロケットセンターは種子島じゃなくて沖縄に設置されてたんだろうな。赤道に近い方が有利なんだから

昭和な時代だと、まだまだ喫煙率は高かったですから、葉タバコ農家なんかが鹿児島では多かった訳です。/で、鹿児島出身の政治家が(タバコ税を決める)自民党の税調だったりして、後はお察し

基本的に一次産業がメーンな鹿児島県を後背地としながら、鹿児島市は人口が50万60万と、かなり過大な人口を抱えていたりする。多分、官庁セクターが肥大化してたんだろうな

忘れてた。鹿児島県においては「自衛隊」は重要な「事業主」ですよ

京都と鹿児島は、何か縁があるのか?稲盛氏が工場作った以外にも、「島津製作所」がある

九州新幹線は、今は新大阪止まりですが、京都まで乗り入れてもいいのかも

私見だが、志布志〜関西のフェリーが、鹿児島県農畜産業の近代化に多大な貢献をした筈。高速道路が未整備な時代、フェリーによって鹿児島県の農畜産業は関西市場と直結した

更に私見だが、関西市場と同規模の市場を持つ釜山都市圏に対して、志布志から直行フェリーを周航させれば、釜山そして韓国市場に農畜産物をダイレクトに出荷できる

「鹿児島は男尊女卑は勿論、士農工商もある」な話、分からなくもない。だから産業は「士」(役所と自衛隊)と「農」だけなんだよ

鹿児島県庁とか鶴丸高校辺りに行くと、多分「お前の先祖は薩摩藩の何だった?」みたいな会話してるのかも。ヤダヤダ。

実際、伊藤知事自身が「薩摩藩の上級武士の家」らしいから、そういう「血筋の良さ」を売りにして知事に当選したんだろうな。

これは前にもツイートしたが、保守の権化のような鹿児島で、よくラサールのようなカトリックが開学できたよな?/多分、終戦後のドサクサだから開学出来たんだろうし、ラサール側も「日本で一番保守的な鹿児島県で、カトリック洗脳をスタートさせる」積りだったんだろう

薩摩藩の上級武士な家系の家だと、そもそも「あんなヤソの学校になんか行くのか?!、先祖に申し訳立たない!」とラサール進学を反対されたんじゃないかな?「悪いこと言わんから鶴丸に行け、親戚皆鶴丸だろう?」な感じ/その意味では、よくラサールに進学できたなあ

だから、自分の中の理解では、「鹿児島県内の秀才は、学力的にラサールに行けないから、ラサールは県外出身が多い」のではなく、「鹿児島県内の秀才は、学力的にはラサールに行けるが、親戚の反対が強いから、ラサールに行かないかり、ラサールは県外出身が多い」

これも推測だが、ラサールに行く鹿児島県内の秀才は、「士農工商」の「農工商」出身が多いんじゃないかな?「士農工商」の「士」な出身の秀才は、いろんなしがらみで鶴丸に行く

「ラサール」と「鶴丸」の生徒のクラスタ分析してみたら、いろいろ面白い社会学の知見が得られそうだ

もっと言えば、ラサールは「鹿児島県において不遇だった、農工商クラスタの秀才を救済する」目的で開学したのかもしれない/戦前の鹿児島だと、「農工商クラスタの子供なんか、三角関数は不要」だったんだろう

戦前の鹿児島においては、教育は「士農工商の士の男子」の為だけのエリート教育だったのが、戦後ラサールによって「農工商」にも開放された。次は女子の番

この辺、あくまで自分の「推測」でラサール鶴丸論を書いてるが、フィールドワークで誰かその辺の事情を暴いて欲しい

鹿児島出身の人と話したことがあるが、聞いてもいないのに、「先祖が薩摩藩の●●で、、」なことを語ってた。鹿児島県のエリート層の中では、先祖の話はお天気の話と同程度には「話のマクラ」になってるんだろうな

先祖が活躍したのは山口長州藩も同じなんだろうが、山口県出身者は鹿児島県出身者ほどには先祖語りはしない。やはり、交通の便がいいから、考え方が内弁慶じゃないのだろう

鹿児島の宗教事情を語るには、「廃仏毀釈で、仏教が壊滅したエリア」という事情を忘れてはならない/戦後ラサールが開学したのも、「仏教が壊滅しているから、キリスト教が付け入ることが出来る」と計算したからでは?

ラサールは「カトリック」だから、つまり男尊女卑だったりする

ただし、「少子化対策」な観点だと、鹿児島的な「女子に三角関数が不要」なやり方の方が、合計特殊出生率は高くなるんだよな、、

鹿児島県って、「宮崎県における都城、延岡」「長崎県における佐世保」のような「県内ナンバー2の都市」が皆無なんだよね。つまりは鹿児島市一極集中/高知県に似てるのかも

楠隼開校問題、伊藤知事自らが昨年秋の記者会見で「県外から生徒を集めるには全寮制にならざるを得ない。私の頭の中では、中学生の女の子が親元を離れることはなかなか難しいと思うから、おのずから男子校になります」と説明してる。つまり知事は「確信犯」だよ

寮がメーンな私学でも、愛光とか佐久長聖は共学でやってるけどな

楠隼は、海陽みたいに私立でやっときゃ責められなかったのに。稲盛辺りのポケットマネーで作らせれば良かった

鹿児島って、明治時代まで、県土が「侵略」されたことが皆無なんだよな。つまり、鎌倉以来600年間の主従関係、家柄が一切破壊されることなく明治時代になり、しかもその後も他県との交流が希薄だった/そりゃ、男尊女卑どころか、「先祖の薩摩藩での家柄を問う風土」になるわな

地理的に隔絶されてる沖縄の場合、あまりの貧しさから「他県への移住」が割と多かった。大阪の大正区とか/鹿児島の場合、そこまで移住は(高度成長期までは)多くなかったから、他県との人的交流も希薄で、封建的価値観がそのまま残ったんだろうな

シラス台地で農業生産性が低い薩摩藩が、維新をするだけの経済力を蓄えられたのは、つまり密貿易と琉球侵略なんだろうな

『鹿児島が男尊女卑だなんて地域への偏見』というツイートも散見される/これ、男尊女卑の度合を可視化した指標が存在しないから、このような反論が来るんだよね。18歳女子に対し、『進学就職の際、親や親戚からジェンダー的理由で進路変更を余儀なくされましたか?』な全国調査をすればいいのに

鹿児島の男尊女卑って、どうももっと生活感覚の部分で存在してるようだな。『女は表玄関から出入りするな、勝手口しか使ってはならない』『風呂も食事も、家の長である主人が先で、次が息子、奥さんと娘はその後』みたいな『ルール』が存在したりする

これ、東京の家庭だと、『パパのお風呂の後は汚いからイヤだ!』と娘に言われて、ダンナの入浴は最後になったりする・・・

弘兼のマンガ『加治隆介の議』というのは、確か舞台は鹿児島1区だった筈/確かに、鹿児島的な男尊女卑・封建的な風土でなきゃ、あのマンガは成立しない(笑)

『この理屈では『商人の子に学問はいらない』となる』/実際、戦前の鹿児島って、そんな感じだったらしい。鶴丸は旧藩士の指定校の様相 / “女性に数学は不要?鹿児島県知事の女性蔑視、学問蔑視発言に思う。” http://htn.to/4NSp52

http://blog.goo.ne.jp/kouka-h/e/866d3f713212a396a3f7bdbe47c9741…を見ると、旧士族は鶴丸高校に通い、旧庶民は甲南高校に通う、のような『暗黙の棲み分け』があるらしい/理屈の上では、『学力のある旧平民の子供』が鶴丸高校に合格したら入学は許可されるが、『居心地が悪いから、行けない』のだろう

http://www.koutaro.name/machi/kagoshim.htm…を見ると、江戸時代以前では鹿児島の総人口の25%が『士族』だったらしい。なので、『鹿児島人が、日常会話で先祖の話題をする』のは極めて当たり前と言える。/但し、『相手方も25%に属している場合』に限る

『士族25%、庶民75%』という配合は、実に『微妙』な関係を構成する。士族の側は、『三角関数を施すような教育は、25%に施せば十分』という意識になりがち

因みに、鹿児島全県で『士族は人口の25%』だったのだから、県庁市役所地銀大学関係者の多い鹿児島市内だと、『士族系の人口は30〜40%』なんじゃないか?

多分、鹿児島市役所とか鹿児島県庁とか鹿児島銀行とか鹿児島大学とか南日本新聞とかで、『士族出身のAさん』と『平民出身のBさん』がいて、両方とも実力が互角だとしても、Aさんの方が「士族だから・鶴丸出身だから」ということで出世が速くなり、県の政財界は旧氏族で占められちゃうんだろうな

@aka1you 初対面の自分に『先祖は薩摩藩の武士で・・・』と自己紹介してきた人によれば、薩摩の武士は『郷士』と言って半農半官だったらしい。だから総人口の25%を占めた/まあ、ぶっちゃけ『支配階級と被支配階級』だよね

伊藤知事の発言を、単なる『女性蔑視』とだけ解釈して批判するのは物足りなくて、もっと薩摩の歴史、現状の鹿児島の政財界の『旧氏族支配体制』にまでさかのぼって検証して批判する。これができるのは朝日毎日読売の『中央マスコミ』だけだと思う

あと、明治時代に鹿児島から『資本家』『財閥』が生まれなかったという点が、まさに鹿児島の『士農工商』体質を体現していると思う。教育には熱心でも、殖産には全然熱心じゃなかった

熊本も九州だからそれなりに男尊女卑的なんだが、戦前の熊本は『政府機関の九州ブロック支所が集中した都市』だったから、適度に転勤族が流入して、人的交流も生まれて、旧藩士階級の政財界独占のような傾向は薄まって行ったんだよね。夏目漱石なんかも転勤族で熊本に来た

多分フェイスブック側に、薩摩の藩士家系だった人とかいそうだが、そんなことはもう気にしないようにする

@aka1you 戦時中まで九州の中心都市は熊本でした。福岡でも小倉でもない。陸軍師団が熊本に常駐したのが大きい/熊本が空襲で焼かれ、比較的空襲被害が軽かった福岡に政府機関が移転し、その後そのまま福岡が九州の中心に推移しました。

@PLANETES11 @aka1you 戦前まで「北九州エリア、熊本市、福岡市」の順、高度成長までは「北九州市、福岡市、熊本市」の順、高度成長以降は「福岡市、北九州市熊本市」の順です。なんだかんだで石炭と鐵鋼は凄いです/早晩北九州市熊本市に抜かされるだろう

@PLANETES11 @aka1you 山陽新幹線の博多開業の影響も大きい。あれで民間企業は博多に九州支社を置くようになった

@PLANETES11 @aka1you 新聞社なんか、朝日も毎日も、建前的には西部支社は北九州市なのでは?

@PLANETES11 @aka1you 北九州市は門司、小倉、戸畑、若松、黒崎の集合体ですから/政令市で人口減少は北九州市だけだろう

あと、鹿児島の不幸は「大河がない」、つまり「水力発電電源が無かった」点。大河があれば、日窒により工業化された水俣、延岡のような産業都市が出来たのに

水俣や延岡が重化学工業化したのは、「九州は台風がやって来て、水力発電水量が豊富」で、かつ「山岳の高低差が適度にあったから」だろうな。山岳の高低差が少なければ、水力発電が出来ない/山岳の高低差がキツ過ぎると、逆に戦前の技術じゃ発電所施工できない

実際、黒部川電源開発は、戦後にならなきゃ出来なかった

確か小倉は原爆投下都市だったのが、前日の若松か戸畑かの空襲の煙の影響で、標的が急遽長崎に変更された/当初の予定通り、小倉に原爆が落ちていれば、松本零士さだまさしの運命は逆転してたのだろうか

幼い頃、自宅の窓から「明星」とか「雲仙」「西海」「彗星」とか九州夜行を目にして過ごしていたので、九州は幼なゴゴロに響いてた

確か、「あかつき」は筑豊本線を経由してた筈。直方とか飯塚とか、それなりの都市だったんだろうなあ

成城石井で酒を買って、店先で飲みながら、戦前戦後の九州を論じなから本を読む。至福の時である/40分後には子供の相手をしなきゃならない

この辺の九州の皮膚感覚は、鈍行とか急行で庶民(労働階級)がやって来てた関西圏なら肌で判る。九州から関西飛び越えて東京まで行くのは、大体鶴丸高校なエリート階級

昭和30年なら鹿児島の次男坊は北九州筑豊エリアを目指し、昭和40年なら鹿児島の次男坊は北九州を飛び越えて京阪神を目指した。さんふらわあも就航したし/現代なら、東京を目指すか福岡天神を目指す

自分は関西人の一人だが、関西人が九州に抱く感情って、東京人が東北に抱く感情に似ている

九州新幹線が新大阪まで直通するのはある意味当然で、流動として熊本とか鹿児島から関西にやって来てた人が相当数存在するから

歴史のイフだが、もし山陽新幹線九州新幹線が同時に開業して直通してたら、博多天神エリアは発展せずに、鹿児島の次男坊は現代でも関西を目指していたかも。福岡の発展は「新幹線のターミナル効果」の賜物

新幹線の博多開業と同時に、国鉄九州は「門司始発ダイヤ」から「博多始発ダイヤ」へ変更した。このことを知るのは鉄道マニア以外には少ない

炭鉱エリアは総評の牙城、国鉄九州は国労の牙城/国鉄に入った藤井フミヤが、いきなり配属初日に佐世保に行かされ、「アメリカ空母寄港反対!」と反対運動させられたのは有名な話(だよね?)/フミヤは国鉄に幻滅して、国鉄退職して音楽に専念した

福岡のカルチャー史には詳しくないが、天神が若者の街になったのは、恐らく80年代90年代、西鉄高速バスが発達してからだろうな。つまり、国鉄九州が弱体化して、軽チャーな天神文化が九州を席巻した/なんか、東急セゾン軽チャーと同じノリ

これも歴史のイフだが、東北新幹線の終点を長い間「盛岡」にしていたのは間違いだったかも。「仙台」にしておけば、ターミナル効果で、仙台も福岡並みの拠点都市になっていたものを、、

山陽新幹線の終点が「岡山」の時代があと数年続いていたら、間違いなく中四国の拠点都市は広島から岡山にシフトしていた

熊本県と鹿児島県の間が交通の難所だったことを、歴史とか地理で教育すれば、「なぜ鹿児島県は明治以降も他県から文化的にも経済的にも孤立して、保守な文化が持続したか?」が理解できると思うんだよね。鉄道敷設は難工事で、しかも今の肥薩線周りだった

ただ、難工事つまり山岳区間だった、ということは、現代においては「用地買収がラク」ということになり、九州新幹線は「難工事区間新八代以南が、長大トンネルで先に開業できてしまった」のは最大の皮肉

熊本が保守的、封建的と言われたのは、多分に熊本にあった陸軍の影響だったと思われる/戦後は、その辺はかなり緩和されたんじゃないかな?地理的に福岡とか長崎とも交流あるし/陸の孤島な鹿児島県とは事情が違う

まあ、民俗学的には面白いかもね。鹿児島の名士の家とか行けば、多分薩摩藩伝来の家宝がごっそりだろうし、その家にまつわる面白い話(まだ民俗学が収集していない話)が聞けそうだ。(ただし、郷士だった25%のみ)

民俗学的には、集団を規定するのは「通婚範囲」/福岡とか熊本だと、県外との通婚がかなり広まり、かなり封建な色彩が薄まって行く/鹿児島県の場合、かなり通婚範囲が狭いのでは?滅多に県外の異性と通婚しないとか

9月2日
鹿児島の男尊女卑、「昔から、日本で一番薩摩藩が男尊女卑だった」のではなく、「昔は日本の何処でも男尊女卑で、鹿児島は日本の平均レベル」だったのが、「明治以降、更に戦後、鹿児島以外の日本は男女同権化したが、鹿児島だけ取り残された」が実態なのでは?

思い出した話。今でこそ沖縄県は「日本一出生率が高い県」だが、戦前はなんと沖縄県が「日本一出生率が低い県」だった/沖縄以外の日本が劇的に出生率急減したのに対し、沖縄の出生率はあまり下がらなかったから、相対的に「出生率が高い県」になっちゃった/鹿児島の男尊女卑も同じ?

9月5日
先週、幼い頃、九州へ郷愁を感じていた、とツイートしたが、北陸や東北日本海側にも郷愁感じてた。窓から青森行きとか富山行きとか見えてたから/窓から「東京行き」があれば、東京への憧れも沸いたんだろうが、物心ついた時には、大阪から東京への「在来線の」列車は殆どなかったからなあ

幼稚園時代から、時刻表で九州とか北陸とかのページよく見ていたから、お陰様で大体の地方の地理をマスターできたんだなあ