【埼玉千葉が医学部過疎な理由】

※自分のツイートの転載
11月22日
職場に、数ヶ月遅れで雑誌「選択」が回って来る。その7月号の内容見ると、多分自分の知ってる人が選択記者にネタを提供してるんだろうなあ、と推察出来る
特に医療関係の記事、自分の知ってる人(医師)が常々ツイッターフェイスブックで書いてることと一緒
関西の某進学校についての記事があり、関西の進学校は藩校の伝統がないから実利主義だ、と記事解説。進学校の分布や医学部の分布を歴史的経緯と絡めて論じる知人らしい分析
知人は医学部に進学したが、確かに歴史も得意だった。その意味では理系バカじゃなかった
彼の主張が正しいのかどうか、門外漢の自分には判らない。ただ、彼の主張をワンサイドでそのまま掲載してしまう「選択」編集部は、ちゃんと編集機能、チェック機能が働いてるか、ついつい心配になってしまう
11月23日
あんまり詳しく書くと自分が身バレしちゃうじゃないか/知人はWikipediaに乗ってた・・/Wikipediaに載るか否かが、そこそこ有名人か否かのメルクマール
彼の見立てでは「西日本に医学部が多く、東日本に医学部が少ないのは、雄藩が多かった西日本に、明治政府が教育投資を傾斜配分したから」/これを立証するには、明治時代の各県の県民総生産の比率と比べても、なお西日本に偏重してるか、データ検証する必要あると思う
元々、西日本の方が人口も産業も明治時代は発達してた。しかも、後背地に朝鮮台湾、さらに満州があったから、戦前の政府が西日本シフト(逆に言えば東北軽視)していたのは致し方ないと思う
@aka1you だから彼の見立てでは、官軍につかなかった東北(伊達藩など)への教育投資が少なかった、と
彼の主張で、埼玉千葉神奈川が医学部過疎、医師過疎、という主張があり、それには概ね同意/ただ、埼玉県千葉神奈川の医学部過疎の原因を「明治政府の西日本重視教育政策」と結論付けるのは、いささか論理の飛躍
埼玉千葉神奈川が医学部過疎、医師過疎なのは、シンプルに、高度成長に伴う人口集中に、医学部政策が追い付かなかった、そう解釈するのが自然
@kamyapom マジレスすると、西日本の方が裏作出来る(冬に麦できる)から、表面の石高よりもリッチなんですね。裏作は石高カウントしない
そもそも埼玉県が人口集積したのは戦後の話。旧浦和市は、「47都道府県所在地の中で、市制施行が一番最後だった町」。確か昭和初期まで「浦和町」なんですね
彼は福島で精力的に活躍してるのには敬意を表するが、若干主張が強引な気がする。福島とかの医学部過疎の経緯を分析するのに、明治時代にまで遡る必要があるのかな?と
@kamyapom 瀬戸内海の存在も大きいのでは?西日本の藩は水運で大量に、早期に京や大坂に行けた/当時の技術だと、なかなか外洋(太平洋)航海は危険で、東日本にはハンディ
原武史先生(鉄オタな社会学者)の解説の方が、ストンと来る。曰く、「常磐線沿線、いわゆる浜通りは、東北新幹線開業前は、多数の優等列車が仙台盛岡青森へ走り抜けてたから、中通りとあまり格差なかった。東北新幹線で格差が決定的になった、優等列車も走らなくなった」
@kamyapom 自由民権運動の兼ね合いで三多摩が神奈川県から東京府へ移管されたりしてますから、東京外縁部はおしなべて明治政府と敵対的だった気もする
@aka1you で、借家が乗っ取られたり大家に追い出されないように借地借家法ができた、と。それで現代の不動産屋が苦労していると
@kamyapom 「神奈川県町田市」でGoogle検索すると、結構ヒットするのが笑える。結構しっかりしてるハズの企業が作ってるサイトでも「神奈川県町田市」だったりする
日本史を勉強する際に、同時にその時代の人口分布とか、産業分布とか、交通状況を並行して学習したら、より面白くなる/自分がそれに気付いたのは社会人以降。学生時代はそれに気付かなかったから、歴史の学習がツマらなかった
@kamyapom 境川を河川改修して、でも都県境は旧川筋のママだから訳わからなくなる
例えば、何故日本は満州に進出したか?自分は今の東北各州の人口規模(計一億以上)の固定観念があるから「わざわざ人が住んでるエリアに進入して大変だな」と感じた/「満鉄調査部」と言う本に「日本支配前の満州は人口300万人しかいなかった」の記載があり、「そんなに少なかったのか!」と驚いた
人口300万人なら、事実上殆ど無人地帯ですよ。ならば、当時の日本人が「白人がアメリカ西部を開拓する感覚で」移住した、というのがよ〜くわかる
@kaorurmpom ヨンサントオ改正までは、東北線常磐線優等列車格差は少なかったのでは?非電化時代は勾配少ない常磐線が有利だった/ヨンサントオ以降は複線の東北線が単線の常磐線より有利に。原武史は「新幹線開業以降」じゃなく「ヨンサントオ以降」と書くべきだった
東北線は大宮北側で高崎線と平面交差するハンディがあった/宮脇俊三は「東北線のダイヤは神様と呼ばれるスジ師じゃないと引けなかった」と解説
蒸気機関車時代は、産炭地の常磐経由の方が給炭コストは少なく済んでた
原武史氏の言説も多少強引な点はあるが、自分の知人の言説ほどは強引じゃない