東浩紀「東京から考える」へのツッコミ

【2014年1月23日〜25日のツイートを転載】
「思想家」の東浩紀北田暁大が街について対談した「東京から考える」と言う本をナナメ読みしてるが、ナナメ読みで充分。街についての理解が三浦展原武史と比べたら月とスッポン。
東浩紀氏は一時住んでた西荻窪を「全共闘崩れとサブカルのまどろんでるテーマパーク」と容赦ない。「子連れに厳しい街」と総括/似た立ち位置の高円寺を三浦展は「意外と子育てに向いてる」と評価
というか、この本の最初の方は、東大自慢、日能研自慢のように見える。「自分は日能研渋谷と東大駒場に行ってた(本郷行かず)から、渋谷が地元」なんだそうだ
160頁辺り、足立区荒川区について書いてる。足立区が16号線的風土、「ファスト風土」になってるが荒川区は違う、とは書いてるが、なぜ荒川区ファスト風土化しなかったか、までは書いてない/多分三浦展なら、戦前から市街化してたか戦後の市街化か、王電による沿線開発の有無を書く筈
83頁辺りの青葉台の解説も皮相的。原武司氏なら、重松氏との対談で、東急的開発と西武沿線の団地開発と京王多摩ニュー開発の違いを解き明かしてくれる
東浩紀の名前を初めて知ったのは、3.11の時。東浩紀が「伊豆」に疎開したと聞いて「コイツはアホか?」と思った。出身は東大だが/疎開自体を非難してるのではない。あの状況下では、最悪事態を想定して避難するのにそれなりの理由はある/避難先を伊豆にしたのが「アホ」
少し地理をかじった人間なら、日本海側の冬の積雪が、海沿いより山に多いことが理解出来る。季節風は「山」にぶつかって大量の雪を降らす/それと同じ理屈で、福島第一からの放射能雲は、関東山地にぶつかって、そこで黒い雨が降る/つまり東京より(山地である)伊豆の方が黒い雨は降りやすい
実際、都内より「福島から遠い筈の」南足柄辺りで高い放射能レベルが観測された。それはそういう理屈/このエピソード聞いて、「思想家の東ナントカは、気象や地理は弱いんだろうなあ」と感じた。海老蔵みたく九州まで逃げろっつーの。
バカにしつつも東浩紀の本を読んでる/笑ったのが83ページのくだり。東浩紀猪瀬直樹の愛読者で、猪瀬の「土地の神話」を読み込んだ/東は「鉄道会社が建売開発分譲し、通勤させ、デパートで買い物させるライフスタイルは東京独特で、東急が始めた」と猪瀬が書いてた、と言及
いうまでもなく、私鉄沿線開発のビジネスモデルの元祖は五島慶太でなく阪急の小林一三。東は「東京独特」「東急が元祖」と書いてるが、「関西にもある」「阪急が元祖」/気になるのは、猪瀬の「土地の神話」の記載がどうだったのか。正しく阪急元祖と書いてたのか、誤って東急元祖と書いてたのか
いづれにせよ、「東京から考える」記載内容は、必ずしも正しいとは限らない、ウラをとらなきゃならない、と言うことがわかった/三浦さんや原さんの著書だとそんな苦労は無用。
ただ、自分はどんな本からでも、「学ぶべき点」を探し出すようにしてる/「東京から考える」で学ぶべき視点:「子供から見た街の視点」。例えば、対談相手の北田は藤沢居住だったが、藤沢から見たら「横浜が大都会」で、東京は「滅多に行かない世界、メディアでしか知らない世界だった」
藤沢の高校生は、横浜で遊ぶことはあっても、渋谷や新宿に行くことは滅多になかった。横浜が東海道筋の子供〜高校生の「都会役」を引き受けた格好。こういう視線で街を見ることは自分はなかった
恐らく中央線筋は立川が、常磐線筋は柏が「都会役」を引き受けてるんだろう/人間、幼少時の記憶は鮮明。だから「母国語」「お袋の味」になる。幼少時の憧れの都会は「マザーシティ」
そう考えると、自分の幼少時のマザーシティは「高槻」になる。郡部の島本町の幼稚園児から見たら、高槻は大都会だった/その先に梅田と言う大都会があるらしかったらしいが、実際に行くことは滅多になかった。伝説の都会
今振り返れば高槻も単なる「郊外都市」でしかないが、小さい子供の視点だとそうなる
@aka1you なぜクレヨンしんちゃんのパパ(商社マンらしい)が春日部在住なのか不明/ポラスグループの商社かもしれないが
@aka1you 飯田系パワービルダー建売じゃなく、ワンランク上のポラス系建売なイメージはある/以前伊勢崎線プラウドシーズンが出たのは、春日部じゃなく越谷でしたっけ?
プラウドシーズン、最近は北総づいている気がする
「東京から考える」162ページ、東浩紀は東雲高層マンション購入検討したが、2ちゃんねるのスレッド見て検討やめた、とある/これ2ちゃんねるじゃなくてマンションコミュニティ掲示板のことじゃないかなあ?
止めた理由:「旧住民VS新住民」「都営住宅VS民間マンション」「分譲VS賃貸」「低層階VS高層階」のいろんな対立関係に恐れおののいた、とある/東浩紀って、案外ナイーブなんだなあ