【初期の住宅公団は丁寧な仕事してた】

2月18日
三浦展の「奇跡の団地阿佐ヶ谷住宅」にあるネタだが、日本住宅公団は昭和33年頃までは「丁寧な仕事」をしていた。スカイラインを考慮して「団地中央は中層住宅、団地周縁は低層住宅」を配棟。画一感を弱める為に、配棟角度を各棟微妙に振っていた
また、「エレベーターなし5階建は非人道的」として、団地階数は4階建に止めた
今でも大規模開発だと「いかに配棟するか?」が知恵の出しどころだが、「配棟が重要」というのは阿佐ヶ谷住宅にルーツ
ところが、昭和35年以降、いわゆる高度成長以降、日本住宅公団は「質より量」を求められ、画一的5階建EV無し住宅を量産する羽目に。スカイライン云々は無視、「最大限建てられる配棟」を詰め込む
日本住宅公団が「質より量」路線を取らなければ、団地インフラは「豊か」になっていたかも/高度成長が「年10%成長が10年」という短期集中じゃなく、「年5%成長が20年」というサスティナブルな成長だったら、日本住宅公団も質を維持できてた気がする。惜しい。
団地が画一的だったから滝山団地が生まれ、滝山コミューンが生まれ、その結果政治学原武史が生まれた。因果関係