登呂遺跡がリストラされ、中年が知らない遺跡が教科書に載る★

【増田投稿済】
9月14日

今日最大のジェネレーションギャップは、子供の社会(歴史)の教科書の記載に「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていたこと。われわれ世代にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュースの事象」であり、歴史教科書の事象では絶対ない。

吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。自分は大学生ないし社会人。だからこれら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない/たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。

なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?これら世代で吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア。

という訳で、「これらの遺跡は、昔の教科書には載っていなかった」「教科書の記述は、世代によって変化する、常識も変化する」「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事や商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。

我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う/今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情/吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。

・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。子供の記憶容量は有限だから、教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップ&ビルドも激しいらしい

となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしまう危険性がある。/というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供の教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有

一番歴史学習が大変だったのは、1999頃に歴史を学習していた世代じゃないか、という気がする。あの頃は三内丸山も教科書に掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた/その後、毎日新聞のスクープで、旧石器時代の殆どが教科書から削除された

遺跡発掘数は景気や公共工事バロメーター。吉野ヶ里や三内丸山クラスの遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、そのこと自体が「失われた20年」を象徴している/或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?

昨日「登呂遺跡が教科書から載らなくなった現代」をツイートしたが、実は「登呂遺跡の教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい/登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書記記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり「日本書記の否定」

まあ、実際の学問レベルでは、日本書記を否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書に掲載されることがなかった。義務教育には日本書記や古事記が掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された

つまり、日本書紀古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する、そういうナンセンスな歴史教育は終了した、そういうシンボルとして登呂遺跡が存在した。天皇人間宣言と同趣旨

だから登呂遺跡教育は、「もはや戦前ではない」とアピールする効果/となると、登呂遺跡の教科書引退は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果。登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた

GHQが必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする

縄文時代旧石器時代の存在は、日本書紀古事記と真っ向対立。多分、戦前の教育では縄文や旧石器時代は存在しないことになってた

だから、最大70万年前の旧石器時代の遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってた

そもそも日本書紀古事記の世界では、神がイザナギイザナミを作って、それから世界が出来た。だから進化論の世界とも、恐竜の世界とも同居できない。多分、戦前は「恐竜の存在」は義務教育では認められなかった筈