レッドアローとスターハウス

10月26日

「レッドアローとスターハウス」読書中/多摩湖狭山湖エリアが、赤旗まつりの会場になっていく経緯が描写/私見だが、堤ジュニア(義明)がライオンズを誘致したのは、狭山丘陵を赤旗・日共から「取り戻す」目的もあったのでは?

原武史氏は、氏自身が小6の1974年を以て「レッドアローとスターハウス」の物語を完結されているが、その先の「続編」の方も相当に面白いのでは?堤ジュニアがライオンズというアイコンを武器に、沿線を日共から取り戻し、一方でパルコは三浦展を使い新所沢を第四山手というアイコンで取り戻させる

日本住宅公団が西武沿線を大規模団地のターゲットにしたのは、西武沿線が「他の沿線よりフラットな土地が多い」(造成費が掛からない)のと、「土地代が比較的高かった稲作エリアじゃなく、割と安い畑作エリアだった」ということなんだろうな。

西武線の「革新勢力」の系譜を、「団地系」(ひばりが丘・滝山団地)、「結核ハンセン病療養所系」(清瀬系)「民商系」(中野区野方付近)と3分類する原武史の見立ては、なるほどと思う。/この辺、泉麻人に分析させたらどうなるんだろう?泉麻人は目白文化村出身。ギリギリ西武文化圏じゃない

原武史の至言。「西武線共産党、中央線は社会党

多分、日本共産党の「民主集中制」というカルチャーが、かつての西武鉄道の「堤集中制」というカルチャーとシンクロしたんだろうなあ。

そして、西武独占エリアに敢然と侵入してきたのが「都営大江戸線」。名目は「グランドハイツ(光が丘)の開発」/都営大江戸線の「侵略」は、ボディーブローのように練馬区に効いてきている。豊島園の(西武の同意なしの)防災公園化計画は、その典型

メトロ有楽町線南北線が西武に乗り入れる&コクド資本の弱体化によって、西武沿線は「西武の論理(堤家の論理)」じゃなく「大手デベロッパーの論理」で動く「フツーの街」になりつつある。練馬の世田谷化/恐らく、ライオンズファンな子供の比率も、往年より減ってきていると思う。

自分はアニメは詳しくないが、たぶん「中央線に拠点を持つアニメ会社の作品」と「西武線に拠点を持つアニメ会社の作品」だと、テイストに違いがあるんじゃないか?/ジブリは両方の世界?スタジオは中央線だが、舞台は西武線

何書いてたんだ自分。西武乗り入れ先はメトロ「南北線」じゃなく「副都心線」の間違い。

@aka1you トトロの舞台は東村山町(当時)の結核療養所「保正園」だそうです。(「レッドアロー・・・」62頁参照)

原武史氏は、「中央線文化を語る書籍は多いのに、西武線文化を語る書籍が少ない」「堤家・コクドを語る書籍は多いのに、西武鉄道を語る書籍が少ない」のに不満で、「レッドアローと・・」を著作したらしい。

清瀬村」の全盛期は、患者数4,000名、医療スタッフ数3,000名、療養所総数11箇所の、大療養タウン(結核ハンセン病)となっていたらしい/今の感覚で言えば、亀田総合病院(スタッフ数3,000名)の鴨川市みたいなものか?

中野区野方の辺り、昭和30年代と今とで、ほとんど住宅地図に変化がないらしい。また、西武線の乗降客数も、当時と大差ないんだとか/あのあたり、「大手デベロッパー的開発」も、確かに少ないよなあ。優等電車も止まらないことがマイナス。

野方の辺り、関東バスが我が物顔で闊歩しているのは、昔は西武新宿線高田馬場止まりで新宿へ乗り入れてなかったからだろうなあ。直通で新宿まで乗り入れる関東バスに一定の需要があった。

私事になるが、自分は20年ほど前に田無に住んでいたことがあり、西武新宿線で2年ほど通勤していた。なので、原武史の皮膚感覚がよ〜くわかる

西武池袋線新宿線の、文化のビミョーな違いを、誰か評論してくれないかな?ちなみに戦前や終戦直後は、新宿線沿線の方が都市化していたらしい。(野方の辺りとか)

マイクロなネタだが、沼袋の辺りは空襲の被害はあったが、野方の辺りは空襲で無傷だったらしい。そのため、狭隘街区が現代に至るまで残存した

私見だが、野方辺りの停滞の一因に、「野方辺りが中野区北部だから」というのもあったと思う。なんだかんだで中野区役所の自己意識は「自分達は中央線帰属の自治体」と自己認識し、区の資源を中野・東中野の中央線沿線に集中させる

野方の先も、西武新宿線は「杉並区の北部」とか「練馬区の南部」とかをかすめるように通過している。つまり、西武新宿線沿線に区役所を構えている区は存在しない/その点、池袋線は沿線に練馬区役所がある。区役所は練馬駅周辺の利便性アップに奔走し、その結果都営線もメトロも来た

歴史のイフを言えば、「西武新宿線沿線を区役所とする区」というのが存在していたら、もっと西武新宿線は発展してたんじゃないかな?そういう区が存在しなかったから、西武新宿線沿線では殆ど再開発が進まない/ミニサイズの区になりますが、今からでも「野方区」を作るべき?

その結果、西武新宿線で「まともな駅前の駅」って、田無駅まで行かなきゃ存在しないからなあ。田無駅は、旧田無市の市役所所在地だから、まともに再開発された

あと、西武新宿線沿線は、「中央線の、あまりにも近すぎる」ことが、独自性を弱める結果になった気もする。あの辺り、中央線の駅までバスに乗っていく方が便利なケースもあるからなあ/中央線に近いから、開発が池袋線よりも先に進んだ、という面はある。

武蔵関駅の南西側、「吉祥寺○○」とアドレス詐称しているマンションが多いからなあ。本当は練馬区なのに(笑)

@aka1you 生臭い話をすれば、「あれは狭山事件をモチーフにしてる」という人もいます

西武新宿線だと、田無という街が、沿線の核になっている/池袋線だと、昭和の30年代まで、町らしい町は所沢までなかった/田無駅圏って、「西武的左翼エリア」とは異質な気がする。自民党が強そう

今気付いたが、東京西側区部には大工場が少ないのに、三多摩に入ると、急に工場が増えるんだな。京王線も中央線も西武線も/京王は仙川に入った途端にキューピーの工場がある/中央線は武蔵野市に入った途端に中島航空や横河電機がある/西武線田無市に入った途端に石川島やシチズンがある

井の頭線は少し前後していて、ギリギリ区部の久我山岩崎通信機がある/これは偶然じゃなく、多分必然。昭和初期に、東京市の境界までスプロールした結果、軍需工場はギリギリ区部の外に設けざるを得なくなった

だから、三多摩エリアは、世田谷区杉並区練馬区が想定してない、地元大工場勤務者、及び下請け工場勤務者が一定数存在する。/確かに「ひばりヶ丘団地」「滝山団地」居住者は、年収の関係で都心勤務ホワイトカラーが多かったが、別にこういう工場勤務者社宅が三多摩に存在してたことは付記すべし

石川島やシチズンがあった田無市はともかく、そういう大工場がない東久留米市とか清瀬市は、財政苦しかっただろうなあ/田無市がなかなか保谷市と合併しなかったのも、その辺の大人の事情?

東武東上線沿線は、この「区部を抜けたら大工場」の法則が成り立たないんだよなあ