なぜ、英仏は1945以降、中国租界を回復しなかったのか?

4月11日
戦前の世界史で、上海の租界を学習する。イギリス租界やフランス租界/で、「いつ、租界がなくなった」のか、を学習した記憶がない。租界を皇軍が進駐して、事実上消滅したのか?

1945に皇軍が敗北して、大陸から撤退。なぜその際に、イギリスやフランスは、租界の権益回復を図らなかったのか?/インドシナなどは、フランスは日本軍撤退後に、ちゃんと植民地支配を回復させている

皇軍武装解除して、日本へ引き揚げ。国民党と共産党の内戦再開/なぜその際に、イギリスやフランスは、上海の租界権益回復な為に軍隊を中国に派遣したかったのか?/香港は回復したのにね

ということは、蒋介石が抗日にした「見返り」に、祖界の解消をイギリスフランスが同意したのか?

1945年8月に皇軍が撤退した後に、上海の支配権をイギリスフランスが回復させていたら、その後の中国史は相当変わっていた筈。列強の中国の半支配状況は20世紀の終わりまで続いていただろうし、中華人民共和国は成立しなかっただろう

抗日戦争に疲弊し、かつ互いに内戦していた国民党と共産党に、イギリスやフランスを追い払う余力はなかった筈。イギリスやフランスは、日本軍がいなくなった上海を再侵攻していたら、必ず勝てていた

非常に帝国主義な話をすれば、第二次大戦後に、上海等の中国権益を回復しなかったのは、イギリスフランスの、「20世紀最大の失策」だったのでは?

推測だが、蒋介石は英仏租界の解消に向け、欧米、特にアメリカへ様々なロビイスト活動をやっていたと思われる。ロビイストの枠にとどまらず、『英仏へ租界回復を諦めるようにアメリカが動かなければ、租界撤廃のためにソ連に頼る』という『脅し』もやっていただろう

が、蒋介石は大陸の実験を毛沢東に奪われた。蒋介石の『欧米利権解消のための行動』は、毛沢東が全て隠ぺいしてしまった。そのため、『なぜ、租界がスンナリ解消されたのか?』の真相は、歴史の闇に埋もれてしまった。

実際、スターリンは『共産党毛沢東が、中国の実権を握る』とは本気で考えてなかったらしい。なので、蒋介石との間でも、それなりのパイプはあったものと思われる

・・・というような『素朴な、歴史の疑問』に対して、ストレートに回答できる歴史関係者が、日本にどれだけいるのか?こういう疑問に解決できないと、『租界の解消は、日本軍のお陰』という訳ワカラン因果関係になってしまう。

結構、日経の社会面の文化記事、歴史記事も、目からウロコなケースがある。先日、『歴史に埋もれた旧南洋諸島』の連載記事で、目からウロコが落ちた

『日独伊三国同盟』は、今の日本人から見れば『スンナリ締結された』と誤解していたようだが、実は相当難航していたらしい。その原因は旧南洋諸島の存在だったという話。

南洋諸島は、元々はドイツ領。第一次大戦の結果、日本の信託統治に入った/ところが、ヒトラードイツが大躍進。その結果、『ドイツが、武力で以て南洋諸島の回復を図るのでは?』という『ドイツ脅威論』が懸念されていたんだとか。自分が全く習わなかった歴史。

因みに、ドイツも山東半島とかで権益持っていたが、第一次大戦で奪われてしまったよね。なので、『ドイツは中国を侵奪した』という印象は薄い/今BMWとかのドイツ企業が、相当中国に進出している。これって『イギリスフランスと違って、ドイツはあまり中国を食い物にしなかった』という印象の効果大

つまり、ドイツは早々に中国から撤退したことの『メリット』を、100年後に享受している。

タイ国鉄の歴史の本が面白かったな。イギリス領ビルマが鉄道を国境へ敷設。フランス領インドシナも国境へ鉄道敷設。脅威に感じたタイ国王は、『ドイツ』に対して鉄道敷設への協力を要請

日本敗戦で関東軍満州撤退。その後の満州エリアをスターリンは『侵略する気マンマン』だったらしい。歴史次第では、『満州ソビエト共和国』として、ソ連邦満州が組み込まれていた可能性も/それをうまく追い払ったのが中国、という話を聞いたが、蒋介石だったのか毛沢東だったのか、覚えてない

ウィキペディアで調べると、1943年の英中友好条約で、イギリスは中国における治外法権撤廃を約した、とある。蒋介石を連合軍に組み入れるための見返り/この条約成立の舞台裏を知りたい。イギリス最大の利権である在中利権を、カンタンにイギリスが『諦める』だろうか?

第一次大戦のドイツと日本といえば、バウムクーヘンの話を思い出す。バウムクーヘンは、ドイツよりも日本の方が有名なお菓子になってる。/バウムクーヘンを日本に伝えたのは、ドイツの捕虜

小説を構想するとすれば、『蒋介石が上海のユダヤ資本を使って、うまいことイギリスに対して租界の撤廃を認めさせた』的なストーリーがスマート。そこに『スギハラ・サバイバル』を絡ませると、更に小説が面白くなる。

地政学的な話をすれば、ドイツが植民地獲得競争に出遅れたのは、『大西洋が遠い』『大西洋に達するまで、ドーバー海峡を通らなければならない、イギリス・フランスの監視下をかいくぐらなければならない』という地理的ハンディが、結構大きかったんじゃないか、と思う。

大航海に乗り出した国の最初が『スペイン・ポルトガルだった』というのは、地理的には『当然』だったんですよね。彼らが、一番アフリカにもアメリカにも近いロケーションだったから。

ただ、海洋地理学的には『イギリス・フランスがドイツより有利』でも、徐々に『空』のウェイトが高まってくれば、相対的優位は薄まってくる/今や、イギリスもフランスも、『大欧州の辺境』だからな、大欧州のランドセントラルはドイツ

シーパワーであるイギリス・フランスが徐々に衰退して、ランドパワーであるドイツが躍進する/同時に、シーパワーである日本が衰退し、ランドパワーである中国が躍進しているのは偶然か?