職業詩人と「車輪の下」

11月6日
杭関係で買った週刊新潮から/川上未映子曰く、「日本社会では、職業作家の存在は許されても、職業詩人の存在は、社会的に許されない」/川上未映子がママ友に「自分は職業作家になる前は、職業詩人だった」とカミングアウトしたら、「そんな職業、あり得ない」と大爆笑だったらしい

日本には「職業作家」は100人とか200人はいるんだろうが、「職業詩人」って、10人いるのか?高校教師とか、他に本業持ちながらでなきゃ、詩人稼業は出来ないイメージ/「僕、作家を目指すんだ」はあっても、「僕、詩人を目指すんだ」は、なさそう

谷川俊太郎なんかも、詩だけでは食べていってないから、スヌーピーの翻訳なんかで食べてるイメージ/現代で「職業としての詩人」というと、「作詞家」になるのでは?秋元康なんかは、詩人として最高の報酬稼いでる

芭蕉とか蕪村とか一茶とか子規とか、短歌や俳句「だけ」で生計建てられたのかな?

短歌とか俳句って、定年シニアが「生き甲斐」「ボケ防止」で、スパム的に大量生産してるからな。職業詩人が、定年シニアの物量攻勢に勝てるか?

@sayakatake なるほど、短歌俳句を嗜まない一般人には可視化されてないワールドがあるわけですな/幼児を持つママ友ワールドとは重ならなさそう。川上未映子も苦労する訳だ

週刊新潮に「へルマンヘッセの車輪の下」の書評もあったな。「昭和30年代の中学生は、通過儀礼的に、皆読んでいた」らしい/「通過儀礼」と言われる位にポピュラーな書籍って、今あるのかな?なぜ「車輪の下」は、中学生に読まれなくなった?

男子小学生あたりだと、「かいけつゾロリ」シリーズは、かなり通過儀礼的に読まれてるイメージ/「妖怪ウォッチ」は、子供を持ってないクラスタにも、流行ってることが認知されてるが、「かいけつゾロリ」は、実際に子供がいないと、その普及度は実感しにくい

江戸時代までは、短歌とかが出来ることが「教養のメルクマール」だったから、上流層はみな、短歌をたしなんだ。なので、職業短歌人の需要もあった/バブル期に、「自身は必要ないが、モテのマストアイテムだったから、クルマが売れてた」のと一緒

へルマンヘッセの車輪の下が、昭和30年代な中学生にウケたのは、「学制改革で、中学教育が一気に義務化された」のと、相関あるのでは?戦前は、そもそも中学に進学してたのは、その世代の1割程度しかいなかった

中学教育の義務化に伴い、「中学生の為の小説」が教育的に求められた中で、へルマンヘッセの作品がニーズにマッチしたのかも。

「江戸時代以前の句会歌会は、一種の異業種交流会だった」との指摘に目ウロコ

へルマンヘッセの時代、ドイツの少年にとってのエリートコースは「神学校から牧師」だったらしい/昔のドイツって、結構宗教社会だったんだな。エリートが医者科学者政治家官僚にならなければ、社会の発展が遅れるのに

以前問題提起した、「学力上位1%が、どの職業に進むのか?」問題

学力上位1%が宗教に就職してた社会が、何かの契機で世俗化してしまい、宗教者の社会的権威が低下してしまったら、その学力1%には「耐えられない」だろうな。「こんなに必死にガリ勉して神学校に入ったのに、その見返りがないなんて、、」

また週刊新潮から/国会図書館にもない戦争資料が、熊本第八師団戦史研究室にあるらしい。中世の九州における戦を網羅

週刊新潮から/「なぜ、大学の応援団の応援対象は、球技ばかりなのか?例えば柔道とか相撲とかを、応援団は応援しないのか?」という目ウロコなコラムがあった

、、という感じで、たまには週刊新潮なんかを買ってオモチャにするのも、面白い。メーンは「管理組合必見!首都圏主要駅別、支持層深度マップ」だけど