なぜ樺太千島交換条約で千島を得たのか?

8月3日
浅田次郎「終わらざる夏」によれば、皇軍アッツ島敗戦の後、「アメリカ軍はアリューシャン、千島、北海道の順に攻めてくる」と想定し、北千島の占守島に精鋭軍を展開。しかし、予想に反してアメリカ軍はグアム、サイパンを攻略/何故アメリカ軍は千島攻略をしなかった?

8月7日
浅田次郎「終わらざる夏」によれば、帝国男子は戸籍によって「徴兵で入営する先 」が決まっていて、仮に東京に働きに出ていても、戸籍が田舎だと、田舎側の師団に入営させられたらしい。赤紙が地方にいる戸主に届けば、戸主は東京に働きに出ている男子に、赤紙来たから帰郷入営するよう指示

ということは、「徴兵制」「召集令状」の厳格な施行には、完全な戸籍制度が前提になってるんだな。東京に働きに出ていても、追っかけられるようになってないと、パーフェクトな入営が出来ない

現代社会で、仮に徴兵制復活の思考実験をする場合、まずこのようなパーフェクトな戸籍制度が出来るのかな?とも思う。

戦前は戸籍と戸主が、徴兵管理のハブ機能だった訳で、現代だとその辺がなかなか難しい/そもそも、本籍地なんかも、カンタンに移動できちゃうし/戦前は本籍地移動のハードルは高かったんだろうな

8月11日
浅田次郎「終わらざる夏」で、樺太千島交換条約について「一見、面積の広い樺太を取った方がトクに見えるが、ロシアを太平洋に出さない軍事上のメリット考えたら、千島を取った方がトクだった」との解説

しかし、「ヤフー!知恵袋」とか見てると、「何故日本は千島を取ったんですか?樺太取った方がトクなのに、日本はアホですか?」みたいな質問されてる/アンサーに「当時の日本の国力では、樺太領有をロシアに認めてもらえないかったのです」との解説

ということで、今のネットを見ていても、「何故当時の日本は、樺太より千島を優先したのか?それともロシアに樺太を奪われ、仕方なく千島領有で諦めざるを得なかったのか?」という問いに、正解が載ってなかったりする