ベトナム人女児殺害事件と、ニュータウン黄昏の「黛クン」

4月15日
女児殺害事件の容疑者が「六実の地主」説が流れてる/「ニュータウンは黄昏れて」の黛クンのなれの果ては、ああなっちゃうのかな?とも思ったり

ニュータウンは黄昏れて」黛クンは、主人公に求婚したが逃げられ、だが主人公の女友達と結婚する/あれ位の偏執者でもカネの力で結婚できて子供も産まれたのだが、その後の人生が平穏で済まされないんだろうなあ、ということが六実の地主を見れば判る

ニュータウンは黄昏れての黛クンは、夏目漱石小説テーマの「高等遊民」の現代版なんだな/ということは、黛クンも、漱石高等遊民も、一歩間違えれば女児殺ししてしまうのか

ここからは責任ゼロな発言だが、六実の地主、或いは「多重人格者」で、殺害した人格と子煩悩人格が同居していて、一方が出現したらもう一方の人格が封印されてる、なんてことないのかな?/旧家の娘が多重人格で犯罪起こす、宮脇明子の「ヤヌスの鏡」を思い出す

ヤヌスの鏡」、原作マンガの舞台は「N市」となってるが、名古屋であることはバレバレ。藤ヶ丘とかの地名が出てくる/テレビドラマでは「ロケが楽だから」という理由なのか東京に舞台が変更されたが、あれはナゴヤのママにして欲しかった

女児殺害の件、日経報道では「自称不動産賃貸業」という容疑者プロフィールになってる/なぜ不動産賃貸業の前に「自称」が付くのか?不動産賃貸業はパチプロみたいな「虚業」「恥ずかしい業種」なのか?

まあ実態は、不動産賃貸業は「日々、殆どする仕事がない」という無職状況なんだろうな/だから、ニュータウン黄昏の黛クンも、「社会人の居場所」として、大学院生という肩書を選んだ

そういう意味では、「社会人としての居場所が欲しい」から、PTAの会長に立候補したのかも知れない

だから、本人からすれば、「自称、不動産賃貸業」と報道されるより、「小学校PTA会長」として報道されたかったのかもしれない/実際、不動産賃貸業の仕事より、小学校PTAの仕事の方が多かっただろう