公共工事利権誘導が減って、野党は戦いづらくなった

10月7日
野坂と後藤田の対談のテーマは「公共事業、土建屋自民党政治」。新潟3区がその典型/当時はそういう「土建屋政治、金権政治を認めるか、否か」が政治的対立軸となり、だから野坂は新潟3区から立候補した/今の「希望の党VS自公」って、そういう公共事業は対立軸に、ならないのか?

極論だが、「道路予算を、3年で半分にします」なんてのも、公約としてはありえる訳だが、そういう公約は希望の党から聞こえてこない。

この30年で、「新潟3区的な構造」が、かなり衰退消滅した、ということだろう。当時公共工事で回っていた地方経済は、今は後期高齢者の年金医療介護で、細々と経済回すのが精一杯

野党側からすれば、30年前なら「金権政治打破」「公共工事の無駄遣い」と批判してたら、3割程度は得票を期待出来てたのが、今や得票期待出来なくなった。梯子外された感じ

公共事業の癒着とか腐敗が、完全に一掃されたとは思わないが、30年前と比べたら激減してるのは、多分客観的には事実だと思う。ある意味では、コンプラ意識が社会に浸透して「健全化」したのだろう/社会が健全化すると、「野党は仕事が無くなる」

小池百合子都知事選で「成功」したのは、都政がオリンピックとか豊洲市場とかの「公共事業」「利権」を抱えていたから、「公共事業批判」の文脈が都民に通じたから/国政レベルだと、公共事業とか利権って影を潜めてしまってるから、公共事業批判の文脈が通用しない

野坂はロッキード後の角栄に対して「中央政界から退いて、新潟県知事になれ」と進言したらしい/その新潟県知事が、今の知事が「革新側」になってるのは感慨深い。つまり、新潟3区のお膝元からして、新潟3区的利権政治体制が崩壊してしまってる

新潟県知事が「革新側」になった大きな要因が原発政策な訳で、その意味では希望の党が「脱原発」をアジェンダセッティングしたのは、判らなくもない/しかし、脱原発アジェンダが通用するのは原発立地県だけだからなあ