楡家の人びと

6月3日
北杜夫「楡家の人びと」読了。戦前のブルジョアの生活ログとして貴重/一つ勉強になったのは、日独伊三国協定締結前は、日本の世論は「反イタリア」だったと聞いて目ウロコ

エチオピア王子嫁取り事件」というのがあって、日本人を嫁取りしようとしたエチオピアに対し、イタリアが介入して反対したらしい。そのために日本世論は「親エチオピア、反イタリア」だったらしく、イタリアのエチオピア侵攻には、日本世論では非難相次いだ

「楡家の人びと」って、そうか、小説としては有吉佐和子「紀ノ川」と近似してるんだな。名家を代替りで描く

「楡家の人びと」最初の方で、「第一次」大戦の戦勝祝賀パレード・祭りが描写されてるが、「独逸軍国主義」を揶揄する出し物もあったらしい/逆に言えば、大正日本は、「自らは軍国主義じゃない」「独逸みたいにはなりたくない」と考えてたということ

6月4日
「楡家の人びと」読んで気付いたが、明治大正までは、名家という名家は、学問できる若者を「書生」として囲いこんで、先々秘書にしたり片腕にしたりしてた/いつから「書生」という文化は廃れたのか?

ポスドクを書生として囲い込みできれば、ポスドクの待遇改善に、、ならないか?

6月24日
学習院」って、現代では「格が明治・立教・法政・青山・中央レベルの大学」というイメージ。早慶上智には負けるイメージ/「楡家の人びと」読むと、少なくとも「女子」の場合、戦前は「学習院が女子の最高峰」的な書かれ方されてる。実際そうなのか?