宗教・非科学ブレーク(13)悪があの世も支配する

宗教・非科学ブレーク(13)悪があの世も支配する
(なんでも掲示板 02年12月 投稿済)

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悪があの世も支配する 投稿者:スルッとKANTO@管理人  投稿日:12月22日(日)05時08分43秒

「ここは・・・」

永眠したマザー・テレサが気が付くと、そこは地獄絵図だった。
マザーテレサは熱と痛さの拷問で激しい叫びを挙げながら、
必死に考えた。
「私はあんなに貧しい人に尽くしたのに・・・地獄へ落とされるとは、
 まだまだ修行が足りないのかしら・・・」

そこに悪魔がマザーテレサを呼び止めた。
「おい、マザーテレサ!これをよ〜く見ろ!」

悪魔はマザーテレサに望遠鏡のようなものを手渡した。

すると、そこに写ったのは、ヒトラー麻原彰晃が極楽を
エンジョイしている姿だった。

マザーテレサよ。
 人間って、けなげだよな。
 『善行を積めば、天国に行けて、悪事を働けば地獄に落とされる』と
 信じ切っている。
 ホントは、この世は悪魔が支配していて、善行を行ったヤツが
 地獄で苦しみ、悪事を行ったヤツは天国へ行けるのさ。

 一番の馬鹿者はイエス・キリスト。奴は今、最上級の拷問を受けているぜ。
 それでも奴はまだ「こんなに苦しいのは善行が足りないからです。」と
 言っている。笑っちゃうぜ。
 
 この世もあの世も悪が全て、と素直に認めればいいのに。
 ホント人間ってアホだわ。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・
さあ皆さん、これでも善行を積みますか?

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死後の世界 投稿者:あじあ号  投稿日:12月22日(日)20時00分28秒

死後の世界については、今も昔もまったくわかっていません。
ところが、しばしば宗教家は、現世で善行を積めば、死後、よい待遇をされ、
現世で悪事を行えば、死後苦しむとたいてい言います。
ローマの哲学者ポリュビオスによると、ここで述べたような死後の世界があると
信じこませないと、悪事を止めることができなくなるため、死後の世界というものを
宗教家や権力者がでっち上げたのだということです。
(カールせーガンの著書より)
信じない奴(だまされない奴)はこういうこと↑になるわけですよ。

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Re:死後の世界 投稿者:cornucopia  投稿日:12月23日(月)03時07分54秒

> 死後の世界については、今も昔もまったくわかっていません。

「死後の世界」の存在を仮定すると、唯物論的解釈をするまでもなく、
矛盾が生じてしまいます。人間の基本設計図が遺伝情報(核酸)で
ある以上、死後の世界があるとすると、少なくとも全ての生物および
生物か無生物かはっきりしないウイルス等まで死後の世界が存在する
ことになります。核酸自体は単なる物質ですから、人間に死後の世界が
存在するとすると、無生物にまで死後の世界が存在するという矛盾した
ことになります。

> ところが、しばしば宗教家は、現世で善行を積めば、死後、よい待遇をされ、
> 現世で悪事を行えば、死後苦しむとたいてい言います。

釈迦は死後の世界を説いてはいません。

生活の中の仏教用語
逝去
http://www.otani.ac.jp/read/ot401.html

少なくとも原始仏教では、「死後の世界」や「霊魂」なるものの説明は
一切していません。

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Re:死後の世界 投稿者:あじあ号  投稿日:12月23日(月)07時27分18秒

>「死後の世界」の存在を仮定すると、唯物論的解釈をするまでもなく、
>矛盾が生じてしまいます。
そりゃ、まあそうですが・・見た人はいないということで・・
>釈迦は死後の世界を説いてはいません。
そうですか。不勉強でした
そういえば、仏教の教えにまともに接することなんてないですね。
数年前、英語の勉強の為新約聖書を読んだのですが、何を言っているのかさっぱりわから
なかった記憶があります。

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意識(心)はどこに存在するのか 投稿者:まる  投稿日:12月23日(月)12時34分17秒

>人間の基本設計図が遺伝情報(核酸

現代の科学では人間の精神活動は全て脳の中で行われる
化学物質と電気信号のやり取りに過ぎないということに
なっています。
しかし、突き詰めるとどうしても1点解釈できない部分が
出てきます。意識(心)、すなわち自分を自分と認識している
意識とは何なのかという疑問です。生命現象が論理的回路を
流れる信号に過ぎないとすると、高度なロボットは自分を自分と
認識する我々と同じ意識(心)をもっていておかしくないのですが、
現実にはありえないのでしょう。
何で同じ論理的回路で頭脳が構成されていながら人間だけが心を
もつのか。よくわからない問題です。

死後の世界があるとすればそれは遺伝情報でなく、脳内の記憶情報が
一種のソフトウェアとして、死後の世界にも持ち込まれるということ
になるでしょう。

ニューロンコンピュータを開発して人の脳内の記憶情報を全てソフトウェア
化して、コンピュータ内で実行すればその人の生命活動は永遠に継続する
ことになるのでしょうか。

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アナロジー 投稿者:まる  投稿日:12月23日(月)12時43分30秒

SF的発想ですが

ネットワークでつながれた仮想空間上にソフトウェア
として人工生命を構築することが出来ます。ウィルス
的なものは既に世に放たれているのはご存知でしょう。
もう少し高度化して画面上で進化、発達をとげる仮想空間上
の生物とすることも可能です。
その仮想空間上の生物はいくら高度な進化を遂げたとしても
現実世界の我々を認識することは不可能です。
仮想空間上の生物が我々を認識できないのと同様、我々は
死後の世界を認識できないのかもしれません。
仮想空間上の生物にとって我々は「神」ですが、我々にとって
そういう「神」が存在するかは否定することも肯定することも
出来ません。

私は不可知論者になってしまいました。

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Re: 意識(心)はどこに存在するのか 投稿者:cornucopia  投稿日:12月24日(火)00時55分24秒

まるさま:
> 生命現象が論理的回路を流れる信号に過ぎないとすると、
> 高度なロボットは自分を自分と認識する我々と同じ意識(心)を
> もっていておかしくないのですが、現実にはありえないのでしょう。
> 何で同じ論理的回路で頭脳が構成されていながら人間だけが心を
> もつのか。よくわからない問題です。

SFですと、その点は実にあっさりクリアしていまして、心(魂)を持つ
人工知能、つまり、人工実存(artificial existence)が登場しています。
例えば、
小松左京 虚無回廊シリーズ
http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/200005/4894566907.html
http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/200005/4894566915.html

 ところで解離性同一性障害、いわゆる多重人格(2つ以上の
同一性、あるいは人格状態が存在する精神疾患)ですが、自己の
認識と統合作業がうまく行かない病態といえます。

あじあ号さま:
> 数年前、英語の勉強の為新約聖書を読んだのですが、何を言って
> いるのかさっぱりわからなかった記憶があります。

 ホテルの引き出しに入っていることの多いギデオン協会寄贈の
新約聖書ですが、読んでいるひとはいるのでしょうか。
読んでいると眠くなりますから、ホテルのアイテムとしては、
それなりに役立っていることになります。安ビジネスホテルだと、
有料ビデオシステムが大抵ありますが、こちらは新約聖書と対極の
世界を提供するアイテムです。

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Re:アナロジー 投稿者:cornucopia  投稿日:12月24日(火)01時27分44秒

まるさま:
> 我々にとってそういう「神」が存在するかは否定することも
> 肯定することも出来ません。

極論になりますが、
「宇宙の総ては今から1分前に、神がお造りたもうた。」

 わたしが1分前以前のことを覚えているのは、神がそのように
私も含めて、1分前に宇宙を造ったから。。。

> 私は不可知論者になってしまいました。

絶対神は、不可知そのものです。

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創造論 投稿者:あじあ号  投稿日:12月24日(火)01時55分42秒

>「宇宙の総ては今から1分前に、神がお造りたもうた。」
日本には少ないですが、聖書の創世記を信じ込んでいる人が結構欧米にはいるらしい
です。
古生物の化石など地質学的な証拠をいくら持ち出しても、それも神が作ったといわれた
ら反論はできませんね。反論不能=正しい ではない一例です。
類例:ここに幽霊がいる。通常の観測機器では感知不能。いると信じている人だけに
姿が見える。・・・反論できます?

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よくある 投稿者:まる  投稿日:12月24日(火)09時00分30秒

論ですよね。

アダムとイブを作ったときに、赤ん坊の状態で作ったのではない。
大人の状態で作ったのである。だから、1分前に作った創造された
という説も否定できません。

光の粒子性、物質の波動性が量子力学で導入されたとき、
宗教家はここぞとばかり、物質の波動性を
>「宇宙の総ては今から1分前に、神がお造りたもうた。」
の概念に結び付けようとした。

キリスト教で言う「連続的創造」、仏教で言う「刹那滅」に
当たるとか・・・。

とにかく反論不能、すなわち知ることが出来ないものは議論
しても仕方がないというのが私の意見です。

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知ることができないもの 投稿者:まる  投稿日:12月24日(火)09時03分50秒

科学的に「知ることができない」と証明できるものがあります。
電子顕微鏡の写真は何でカラーに出来ないんですかと初学者
に聞かれて思いました。

電子の色 なんてのは存在しません。

神うんぬんを議論するのは、「電子の色」を議論しているのと
同じかもしれない。

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原始仏教における死後の世界 投稿者:あじあ号  投稿日: 1月 3日(金)00時39分24秒

>釈迦は死後の世界を説いてはいません。
ブッダは、結構死後のことに触れていて、悪い行いをすると死後悪いところにいくと
繰り返し述べているようですけど、私の誤解かなあ。
ブッダのことば」中村元訳(岩波文庫):ブッダの言行のオリジナルに近いものからの翻訳
より

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Re:原始仏教における死後の世界1 投稿者:cornucopia  投稿日: 1月 5日(日)02時13分12秒

あじあ号さま:
>「ブッダのことば」中村元訳(岩波文庫):ブッダの言行のオリジナルに
> 近いものからの翻訳より

原始仏教ですが、例えば以下に簡潔にまとめられています。
http://www.kosaiji.org/Buddhism/early.htm
あじあ号さまが引用された上記の書籍は、スッタニパータ(教集)の
日本語訳です。スッタニパータは、パーリ語五部のうちの小部
(クッダカ・ニカーヤ)の第5にあたります。

> ブッダは、結構死後のことに触れていて、悪い行いをすると死後悪い
> ところにいくと繰り返し述べているようですけど、私の誤解かなあ。

たとえば、同書の 第三 大いなる章 10 コーカーリヤおよび
詩編第657-678詩で「紅蓮地獄」についてブッダが言及したという伝聞に
ついてかなり詳しく触れられています。この詩編の基準だと、釈迦を含む
ほとんど全ての人が「紅蓮地獄」送りになってしまいます。

ところが、第三 大いなる章 8 矢 第574-593詩では、
「生まれたものは必ず死ぬ」という厳粛な事実(生者必滅)について
詠まれています。つまり無常そのものを詠嘆し、かつ悲しみを超越する
方法を述べています。決して、死ぬと地獄に落ちるぞと、脅してはいません。

一方、第5 彼岸に至る道の章 7 学生ウバシーヴァの質問
第1075-1076詩では、

                • -

「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、
そこなわれないのでしょうか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。
あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
師は答えた、
「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論議するよすががかれには存在しない。あらゆる
ことがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまった
のである。」

                • -

つまり「ニルヴァーナ(涅槃)に入った聖者については、議論しない。」と
答えています。

さらに、詩編第837詩では、

              • -

師は答えた、
「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということが
わたくしにはない。諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、
諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の
安らぎをわたくしは見た。」

              • -

全ての内容がブッダの思想?に忠実だとすると、とても同一人物の思想とも
思えず支離滅裂そのものです。

初期教典といえども、当時の弟子達の口誦の過程でバイアスがかかったと
考えるのが自然でしょう。

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Re:原始仏教における死後の世界2 投稿者:cornucopia  投稿日: 1月 5日(日)02時35分09秒

お釈迦様
http://www.kosaiji.org/Buddhism/syaka.htm

無我の思想

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html

上の引用先のページにでているように、初期仏教教典では、形而上学的な
難問に関しては、沈黙を守り無回答、「無記 (アヴィヤーカタ)」を
貫いたということになっているようです(十難無記あるいは十四難無記)。

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原始仏教における死後の世界  投稿者:あじあ号  投稿日: 1月 6日(月)01時50分06秒

cornucopiaさんあけましておめでとう
いやあ、博識いたみいります。
論語」も、その成立過程については、色々研究がなされているようですが、ブッダ
教えというのは、オリジナルは、言っては悪いですが、あんまりよく分かっていないと
いうことなのでしょうか? 正直がっかりと驚きです。素人より

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古代インドの思想書であるUpanishad 投稿者:あじあ号  投稿日: 1月 6日(月)03時29分07秒

昭和末期に、高校の生徒会雑誌に、分担で色々な宗教のことを書こうということに
なって、私はたまたま興味のあったインド哲学のことを書きました。
米国のペーパーバックのペリカン文庫から出ているUpanishadを判りもせんのに読んで、
解説を書いたのですが、当然「Aum」という言葉(サンスクリット語ではよく使う言葉)
を用いて、色々書きました。
のち、高校の同級生が某宗教団体の大臣になって、騒動をおこしましたが、今から考え
ると、ぞっとする話です。

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RE:悪があの世も支配する 投稿者:..\(@^o^)/..  投稿日: 1月 7日(火)00時28分13秒

すみません。遅レスというか、疑問に感じたので質問なんですが。。。
12月22日の「悪があの世も支配する」という話は、「善行をするな」という意味でしょうか。
それと、まだ生きている麻原が極楽にいるというのが不思議です。
それともこれは何かの例え話なんでしょうか。 それに、

>『善行を積めば、天国に行けて、悪事を働けば地獄に落とされる』

というのは、マザー・テレサが信じたイエスの教えにはないと思います。
エスは人の心の内面を重視したのであり、
善行を積めば天国に行ける→天国に行くために善行を積む という発想は、
エスが諌めた自己愛・偽善者の愛(偽りの愛)ではなかったでしょうか?

エスが何よりも重きを置いたのは信仰心であり、仏教的な因果応報論とは異なります。
信仰心を伴わない、形式だけの善行は否定していたと思います。 

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Re:原始仏教における死後の世界3 投稿者:cornucopia  投稿日: 1月 7日(火)01時12分04秒

新年の御挨拶を忘れていました。
あじあ号さま。あけましておめでとうございます。

> 素人より正直がっかりと驚きです。素人より

私も素人です。。。

> ブッダの教えというのは、オリジナルは、言っては悪いですが、
> あんまりよく分かっていないということなのでしょうか?

 スッタニパータですが、「ブッダの言行のオリジナルに近いもの」と
いうあじあ号さまの捉え方でよいのではないでしょうか。ただし、ブッダ
直接の言行「金口(こんく)の説法」を同定するのは、ほとんど不可能
でしょう。

 実はSFの世界では、この点はクリアされていまして(笑)、A.C.Clarke の
Childfood's End (地球幼年期の終わり)では、サイドストーリーとして、
「古代より地球人類を観察していた宇宙人が、過去の事象を閲覧できる
テレビ受像機を貸与する」くだりがあります。宗教の誕生する姿を観察する
ことにより、結果として、信仰のほとんどが消え去り、宗教の没落の時代を
迎えることになります。生き残ったのは純化された仏教の一種のみ・・・

> 米国のペーパーバックのペリカン文庫から出ているUpanishadを
> 判りもせんのに読んで、解説を書いたのですが、当然「Aum」という言葉
>(サンスクリット語ではよく使う言葉)を用いて、色々書きました。

 最初に Aum の名を聞いたとき、私は仁王門の阿吽像や狛犬弘法大師
連想したのを覚えています。

 普通のひとには、あじあ号さまのような高尚なことは無理にしても、
若い時に少なくともある程度は「精神世界への魂の彷徨」をおこなった
ほうがよいのでしょうね。私はガキの頃、カソリック系教会に毎週日曜日に
通い、聖歌などをうたっていました。おかげでマリア(聖母)信仰が
あることを知りました。

 モルモン教の勧誘につかまったとき(最近はつかまりませんが、減った
のかな)、相手をするのが面倒なので仏教哲学について話(私は素人ですが、
相手がアメリカ人の場合大抵私より素人)をすることにしていました。
辟易するらしく、大抵あっという間に退散してくれました。そういえば、
ハーレ・クリシュナもあまり見かけなくなりました。

 ところでアメリカの現大統領が演説の最後に、キリスト教の神を持ち
出していました(神の御加護を。云々) が、日本でそんなことをすると、
大騒動になるのではないでしょうか。

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Aum他 投稿者:あじあ号  投稿日: 1月 7日(火)22時57分52秒

これは古代インドのサンスクリット語梵語)の言葉で、聖なることを意味し、
欧州に伝わり、ラテン語 A-men になり、日本に伝わり、阿吽(あうん お寺にいる
一対の狛犬の名称で、あ と うん という)になりました。
また、古代インドの言葉(水)が日欧に伝わったものとして、Aqua(アクア) と
「あか」(船底に溜まった水を意味する)があります。

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特高警察 投稿者:あじあ号  投稿日: 1月 7日(火)23時02分15秒

オウム話でついでに、
戦前、政治警察として高等警察や特別高等警察というのが警視庁や県警察部に
ありましたが、これは、
フランスやドイツでは政治警察のことを、高等警察(hocheit Polizei 独)
といい、通常の刑事警察のことを普通警察と行政法学では呼んでいたことの影響です。

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アウグスティヌス 投稿者:あじあ号  投稿日: 1月 9日(木)02時24分51秒

>ところでアメリカの現大統領が演説の最後に、キリスト教の神を持ち
>出していました(神の御加護を。云々) が、日本でそんなことをすると、
>大騒動になるのではないでしょうか。
なった。森前総理:「日本は天皇中心の神の国だ」発言

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Re:アウグスティヌス 投稿者:cornucopia  投稿日: 1月16日(木)23時47分49秒

私:
> ところでアメリカの現大統領が演説の最後に、キリスト教の神を持ち
> 出していました(神の御加護を。云々) が、日本でそんなことをすると、
> 大騒動になるのではないでしょうか。

あじあ号さま:
> なった。森前総理:「日本は天皇中心の神の国だ」発言

神道政治連盟国会議員懇談会・森首相のあいさつ<要約> 
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/mori/youshi/16-2.html

 「神の国」ですが、上の発言を見る限り、神仏どちらも許容しています。
神仏習合」「多神教的性格を持つ神道」「他の某政党の存在」にのった発言の
ように見えますが、森前総理の場合は、宗教としての「神道」を心に抱いている
(自己の魂の依拠するところにしている)かというと、疑問を感じます。
単純に「信心が大事」と考える、リップサービス的発言です(一国の総理が
それでは困るのですが)。多分、森前総理は「キリスト教を信じるなら、
しっかり信心しなさい」と答えると思われます。

 現アメリカ大統領の場合、対タリバンアルカイダ作戦時の「十字軍云々」の
確信犯的発言を見るまでもなく、彼の心の中で他の宗教を許容しているとは、
とても考えられない。彼は心に「絶対神としてのキリスト教の神を抱いている」
ので、他は入り込む余地がない。「キリスト教の神を抱いていないひとまで、
国家の指導者が宗教対立と意図的に誤認識させようとしている戦争行為に
協力しなければならないのか。」ということになります。比較的多くの
アメリカ人(主として古くからのキリスト教を信ずる移民の子孫の少なくとも
一部)も、大統領と同じ考えではないでしょうか。

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 以前確か管理人氏が疑問に感じていた点、上記引用先の森前総理の「おてんと様は
見てるんだ」ですが、昔の特段の宗教心のない日本人に多かった考え方では
ないでしょうか?つまり、「悪いことをしても、おてんと様が見ている
(だから悪いことはできない)。」
おてんと様=御天道様ですし、昔の日本人は朝起きると太陽を拝む習慣が
あったはずです。

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