100歳に銀杯を贈る意味

そもそも、本人たちは銀杯なんて貰って嬉しいのか?邪魔なだけだったりして / “「100歳の銀杯、税金のムダ」 厚労省事業、識者指摘 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース” http://htn.to/Cpv8xgfU

100歳の祝い銀杯の件、費用が8000円って「安すぎる」のでは?/単に銀杯の物理的製造コストが8000円ってだけで、銀杯対象者を探しだす役所の人件費コスト、銀杯を送付するためのコスト(宅急便じゃなくて手渡しなら相当なコストになる)も含めたら数万円はする筈

昔なら100歳を過ぎるような長寿な人は、それなりの家に住んでたから、銀杯送られても「収納場所」があった。それなりの金持ちじゃなきゃ、100歳まで長生き出来なかった/今だと、貧乏人でも100歳まで生きてしまう「リスク」があるわけで、そうなると銀杯が狭い家では邪魔になる。

銀杯贈呈は、実は敬老目的なんかじゃなくて、「非実在高齢者」、実は既に死んでいたのに、遺族が死亡届を役所に出さず、年金を横領する、という犯罪の摘発が「隠れた真の目的」なんじゃないか?

100歳超えに銀杯なら、3人以上出産したママには金杯を贈呈すべき。

銀杯を贈呈しようと役所の人間が出かけたら、「今日はお爺ちゃんの具合が悪くてね、、、」と家族に言われ、玄関先で銀杯を手渡す。でも実はお爺ちゃんは10年前に、とっくに死んでた、というパターン