横浜談義

11月18日
一行ネタ/横浜中心部は、その大半がGHQに接収されたらしい/私見だが、横浜が東京に対する独立力を奪われて衰退した一因に、このGHQによる接収の影響もあったのでは?

11月19日
横浜銀行の歩み」という本を借りてきた/大正時代の神奈川県内の銀行分布図がある/これを見ると、銀行分布が東海道線沿いと小田急沿いにあることがわかり、「青葉区」とか「港北区」の辺りは、そういうのがゼロの不毛地帯だった、とよく分かる

横浜銀行が「都市銀行じゃなくて、地銀のママ」だったのは、高度成長時に「他の都市銀行が、神奈川県内に猛進出」した影響もあるのかな、と/埼玉銀行は、他の都市銀行が埼玉にあまり進出して来なかったお陰で、順調に成長して「都市銀行扱い」してもらえるように、なった

11月20日
戦後の横浜に関する本読んでるが、戦後の横浜の「煤けた印象」は、横浜が「密輸のメッカだったから」との解説。香港経由の中華系の密輸で、薬物、洋酒、時計など/高度成長以降、密輸が下火になり、横浜のイメージが変わる。良く言えば健全になり、悪く言えば「大人しく」「ツマラなく」なった

今の池袋西口とかの煤けた雰囲気が、当時の横浜には満載だったということ。日中国交正常化以前は「国交のない中共のフロント」のイメージも、中華街にはあった

密輸ということは、アンダーグラウンド経済ということ。戦後、高度成長までは、横浜は結構「アンダーグラウンド経済」が大きかった/密輸が減り健全な横浜になる反面、アンダーグラウンド経済が減って東京に従属するようになった