大阪万博が日本の企業グループを作った

これは仮説だが、大阪万博は、いわゆる「メインバンクを中核とした、日本の6大企業グループ」の形成の、格好の触媒の役割を果たしたのではないか?万博で「扶桑パビリオン」「古河パビリオン」てな感じで、企業がメインバンクを中心に集結して出展

万博の前の段階では、三井三菱住友以外の企業は、そんなに「グループ」で囲いこまれてなかったと思う。戦後の財閥解体で求心力が弱まり、或いは戦後生まれ、戦後育ちな企業も多かったから

それが、万博を機に、「お前、三井パビリオンに出展するのか、扶桑パビリオンに出展するのか、白黒ハッキリさせろ」と、富士銀行がサッポロビールを脅していた訳です

大阪万博が「日本株式会社」を作り上げた。日本株式会社の仕上げをした

何故大阪万博の直前に、メインバンクを中心とした株式持ち合いが深化したか、といえば、当時「外資脅威論」が盛んだったから。IMF8条国に移行して、資本の自由化を迫られていたから、「持ち合いで防衛しなければ、外資に蹂躙される」という国論が醸成された

この辺のニュアンスは、実家にあった、多分石油ショック直前に発行された、父の持ってた日本経済概説みたいな本を読んだから体得できた。当時の本が、必死に外資の脅威を主張していた。「外資の前には、日本企業なんてひとたまりもない」

高度成長を為し遂げた筈の日本株式会社が、なぜ殊更にベトナム戦争で疲弊してた筈のアメリ外資を恐れていたのか?/恐らく、1ドル308円という「ドル高」だから、「アメリカ企業が日本企業を買うのはカンタン」だったんだろうなあ

もし大阪万博がなかったら、或いはその関係で株式持ち合いがなかったら、或いはニクソンショック後の猛烈な円高がなかったら、日本の資本地図は、相当外資が占めてた80年代になっていただろうな

あと、1966の山一危機も痛かったな。この影響で、日本の資本主義は、株式市場が先導する「経済学の教科書通りの資本主義」じゃなく、銀行が支配する異形の資本主義に変質した

大阪万博で完成された日本株式会社、企業相互の株持ち合いシステムは、70年代80年代に深化し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」となって80年代末期に絶頂を迎えた/その反動で、失われた20年も経験。失われた20年の間に日本株式会社の持合いシステムは崩壊

果たして「外資に対抗するために、株式を持ち合って、メインバンクを中心に結束しよう」とした60年代の日本株式会社の選択は、長期的には正解だったのか?企業グループ結成がなければ、バブルもなかった代わりに、失われた20年もなかった