なんでも掲示板 12年5月過去ログ その3

屋台村&会社の起源

投稿者:なかだ 投稿日:2012年 5月13日(日)16時33分8秒
返信・引用



今から20年ぐらい前、まさに管理人氏がいうところの形式のいわゆる「屋台村」なるものがあちこちにできてブームになったような。
管理人さん、ご存じではなかったでしょうか? それともそれとは違うイメージのものなのかな?

次に会社についてですが、さすがに金剛組は例外的に古いとは思いますが、個人営業ではなく組織として業を行う形態は、日本においても西欧においても数百年以上前からごく普通に存在していたのは事実。そのうち日本においては今も組織として綿々と江戸期以前から続いている会社もいくつかはあるようですし、江戸期からの老舗はそれこそごまんとある。
ちなみに世界最古の株式会社はオランダの東インド会社だそうで、1602年の創業ですからそこから数えても400年以上たってますね。

逆に、管理人氏の

「★会社制度が出来て、まだ200年も経過していない。」

というのは、何を起源にカウントしてるのでしょうか?


日本以外の家庭料理

投稿者:なかだ 投稿日:2012年 5月13日(日)17時24分49秒
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>中国の家庭に行くと、中華料理以外の料理が出るケースはあまりないだろうし、
>フランスの家庭に行くと、洋食以外の料理が出されるケースはあまりない。

そうなんですか?
ある程度の生活レベルの中国の家庭だと、結構いろいろな料理作ってるみたいですよ。知り合いの上海住まいのご家庭はそのようです。
仏蘭西はなんとなく仏蘭西家庭料理ばかりかもしれないが、そうでもないような気もする。
要するに仏蘭西も中国も美食文化の国ですから、それなりに色々なもの家庭で作って食べてるようにも思われます。

これがオランダあたりに行くと、寝ても覚めても同じ料理が出てくるような気がします。



Re: 日本以外の家庭料理

投稿者:くろだ 投稿日:2012年 5月15日(火)18時57分24秒
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> No.15010[元記事へ]

>>フランスの家庭に行くと、洋食以外の料理が出されるケースはあまりない。

> 仏蘭西はなんとなく仏蘭西家庭料理ばかりかもしれないが、そうでもないような気もする。

本題と関係ないからなかださんさらっと流してるけど、
「洋食」≠「海外(仏蘭西)の家庭料理」なんですよね。
海外料理の原形とどめてないのがたくさん。

肉じゃがあたりまでくるとそもそも洋食と呼んでいいのか悩みますが。


Re: 会社の起源

投稿者:diggy 投稿日:2012年 5月16日(水)02時04分47秒
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会社制度ができて○○年の話…。

個人商店としてではなく「組織として」業を行う形態は、金剛組の時代からあったわけですし、さらに言うと、もっと昔にもあったでしょう。(今も残っているのが金剛組だが、消滅したもの、記録すら残っていないものも含めればもっと古いのもあるはず。)

しかし、「経営と資本の分離」の手段としての株式会社は、なかださんのおっしゃる通り1602年のオランダ東インド会社なわけですね。日本で株式会社の仕組みができたのは、旧商法ができた1890年あたりでしょうか。確かに200年経ってないですね。

「経営と資本の分離」が株式会社の目的だとするならば、真の意味での日本での普及度はまだまだといったところだと思います。大企業にしか普及していない。中小企業ではたいてい、経営者が借金の連帯保証人になってますからね。これだと、どうしても資産と負債を一式として相続する前提にせざるを得なくなるので、「父ちゃん母ちゃん会社」→息子が跡を継ぐ…という枠組みから抜け出せない。

この枠組みなら、あとをついだ人がよほど新たな付加価値を生み出さない限り、管理人さんがおっしゃった理由により、だんだんジリ貧になって、淘汰されていくでしょうね。


アメリカのベンチャー企業とかだと、ゴールは「(1)会社の売り上げを拡大させて大企業になる」「(2)大企業に買収される」のどちらかであって、それにより大金持ちになることを目指すわけです。

その他の結末としては「(3)零細企業として細々とやっていく」「(4)会社をたたむ(解散/倒産)」なわけです。上記(1)〜(4)のうち、零細企業のまま残るのは(3)だけですし、それも時間の経過とともに(4)に向かう(まれに(1)(2)となる)わけですから、自然に零細企業の割合は少なくなる方向に向かう。但し、新たなベンチャーを作る風土もあるから、新たに零細企業が生まれる、という実態もある。

管理部門系の業務はアウトソーシングの仕組みが進んでいるから、その意味では、零細企業の非効率性は軽減される傾向にあるともいえる。

結論としては、歴史ある零細企業と言うのは淘汰される方向に向かう、しかし、新たな零細企業はどんどん生まれる、ということだと思います。それでいいんだと思います。



もろもろ

投稿者:スルッとKANTO 投稿日:2012年 5月16日(水)19時41分28秒
返信・引用 編集済



ああ、diggy様、いつもいつも的確なフォローありがとうございます。
概ねdiggy様のおっしゃるとおりです。

そういや「屋台村」ってありましたねえ・・・
ただ、あれって、遊休地の暫定活用的で、実際屋外のケースが多かったんじゃ?
自分のイメージは、どちらかといえば、
ヤマダ電機日本総本店8階に、居酒屋フードコート出来ました」のように、
ビルインの、割と恒久的な設備をイメージしていました・・・


★子供がオンラインゲームばかりやっていて、その反面テレビを見ない。
 せいぜいドラえもんを見る程度。

 自分が子供の頃などは、アニメやドリフなどばかり見ていて、
 学校でもそのネタで持ちきりだったのだが。
 テレビの視聴時間という観点では、
 子供は自分(の子供時代)の1〜2割程度しか、テレビを見ていないのでは?

 これって、20年後や30年後に、
 「昔こういう番組があって・・・」と思い出話に花が咲く、という
 「共視聴体験」を語れなくなる、ということでは?

 今の2ちゃんとか見ていても「往年のクイズダービーを語ろう」のような、
 「共視聴体験をベースとしたネタ」が結構あるようだが、
 それが出来ない「21世紀生まれ」は、ある意味カワイソウ?

★ボツネタ

 廃屋や空き家を使った「無人(古)本屋」って、出来ないか?
 田舎の廃屋とか、多摩ニュータウンとかの空き家に、
 「コンセプトに沿ってセレクトされた本」を収納しておく。

 店舗利用者は前もって「会員登録」し、会員情報は
 SUICAなどの電子マネーに書き込まれる。
 で、利用者は無人本屋のドアを電子マネーで開錠し、利用者は蔵書を探索する。
 (普段は電気も通っていないが、開錠した段階で電気が点いてICタグなども作動)
 思い通りの本を見つけたら、セルフ決済を行って、無人本屋を出る。

 万一、「本を万引き」しようにも、ICタグを付けておくので、
 無人本屋を出る時点で警報が作動する。
 (最新の図書館とかにある警報装置と同じ)

 というか、デポジット制にしておいて、
 「入店時に10,000円を差引いて、
  1,000円の本を持ち出した場合は、差額9,000円を電子マネーに入金する、
  何も買わない(=何も持ち出さない)場合は、10,000円を返金する」
 とすれば、そもそもセルフ決済も不要だし、万引き懸念もない。

 「多摩ニュータウンの空き家に鉄道本の古本屋、
  千葉ニュータウンの空き家に落語本の古本屋、
  鳩山ニュータウンの空き家にプロレス本の古本屋・・・」
 てな感じで、マニアはそういう空き家に行って、
 「実際の中身を吟味しながら古本が買える」ようになる。
 (実際の中身を吟味できる点が、アマゾンとの違い)

 或いは、会員制、ないし入場料制にしてもいい。
 「1日中鉄道本を読みふけって、結果買わなかったら、入場料の500円だけ取られる、
  買い物したなら本の代金も取られる」という感じ。
 でもこれって、著作権法に抵触?
 (民間が有料の貸し本業に参入できないのと同じ理屈)

 以前なら、
 「多摩ニュータウンの片隅にあるような本屋に行こうにも、そもそも道に迷う」
 というのがあったが、幸いなことにナビシステムが発達してきたから、
 その点の懸念も払拭される。

 以上は「本」で例示したが、ほかにも「コレクターグッズ」とか「フィギュア」とか
 「同人誌」とか「前衛芸術品」とかでも、このような無人店舗が成り立つかもしれない。
 要は、電子マネーを使った入退店管理、ICタグを使った決済を応用すれば、
 無人店舗が開ける、ということ。

 そして、
 「お目当て品を買いに行くのなら、交通費も厭わない」というマニア心理があれば、
 神保町のような店舗集積がなくても、マニアの方が無人店舗に行くんじゃないか、という仮説。

 この案のキッカケは、江頭2:50が、
 「いわき市に救援物資届けたついでに、福島第一に潜入試みた」というルポ本を著し、
 その本を「いわき市の本屋でのみ販売」としたこと。
 それを見て「いわき市まで買いに行きたい」というはてブコメントが多数あったため、
 「ならば、ブックツーリズムが成立する余地があるんじゃないか」と直感した次第。

 境港市水木しげる出身地)ならオバケ・妖怪に関する古本・漫画・同人誌を集積して無人店舗展開すればいいし、
 新潟市水島新司出身地)なら野球に関する古本・漫画・同人誌を集積して無人店舗展開すればいいし、
 北九州市松本零士出身地)ならSF漫画・古本・同人誌を集積して無人店舗展開する、
 そうすれば立派なブックツーリズムだ。

 ・・・でもやっぱり、様々ジャンルの古本屋が集積する神保町の方が、魅力かなあ・・・

★空想小説
 「大陸中国民主化され、世界唯一の独裁国家になってしまった北朝鮮は、
  中国からの援助も絶たれて孤立してしまい、
  「窮鼠猫を噛む」で米中露日韓へ核ミサイル1,000発をぶっ放す・・」
 ・・あまり出来のいい小説じゃないなあ。

 金正恩に取っては、
 「大陸中国民主化される」のは、悪夢以外の何者でもないだろうなあ。
 それこそ、大陸中国民主化を、あらゆる謀略を使って阻止するだろう。

 ・・・ということで、空想小説のネタ変更。
 「大陸中国内で、民主化運動が盛んになり、体制側も民主化容認VS独裁維持で
  喧々諤々になるが、孤立を恐れた金正恩が、様々な謀略を使って
  大陸中国民主化を阻止する」

★ところで、日米安保は、かつては
 「全体主義ソ連への防波堤、自由主義維持のコスト」で、
 今は
 「全体主義の中国への防波堤、自由主義維持のコスト」として「容認」されているわけだが、
 仮に大陸中国民主化され、「西側的価値観を共有できるようになった」ら、
 日米安保は「その歴史的役割を終えて」自然廃棄になるのだろうか?

 それとも、中国が「西側入り」しても、別の理屈で日米安保は維持されるのだろうか?

★小学校は、パーフェクトペアレンツを前提とした「愛情確認授業」を止めよ

 モンスターペアレンツが、自分の娘にDQNネームを名付け、
 その娘が小学校に入学したが、
 「自分の名前の意味を知りましょう」という授業を受けて
 「自分の名前に意味がない」ことを知り、ショックを受け、
 それを知ったモンペが
 「マトモな名前を付けた親に逆キレする」という話が、はてなブックマークにあった。
  http://gasoku.livedoor.biz/archives/51908606.html

  この話の真偽については、一部「ネタじゃないか?」との意見があるが、
  一応事実であると仮定して話を進めるが、
  そもそもこの手の
  「自分の名前の由来・意味を調べましょう」という小学校の授業自体に、
  問題があるのではないか?

  この授業の前提としては
  「親は、子供のことを考えて、最高に意味のある、最高の愛情を込めた名前を付ける」という
  「素晴らしき親」「パーフェクトペアレンツ」が前提になる。

  しかし、クラス40人の中で、1人くらい、いや数名くらい、
  「適当に名前を付けられた」というケースも、あるのが普通では?
  言い方を変えれば、「40人の中で、パーフェクトペアレンツでない親が数人程度いる」のである。

  本人は「パーフェクトペアレンツ」であると意識していても、傍目には
  「全然パーフェクトペアレンツじゃない」というケースも同様。
  まさにモンスターペアレンツDQNネームの親なども、それに該当。

  しかし、今の小学校の授業は
  「皆が皆、パーフェクトペアレンツである」という「神話」を前提として組み立てていて、
  それゆえに
  「パーフェクトペアレンツの無償の愛を子供に体感させる」という授業がなされる。
  「パーフェクトペアレンツの無償の愛を体感させれば、子供の情緒にプラスになり、
   パーフェクトチャイルドになる」という目論みなんだろうが、
  この授業計画は、パーフェクトペアレンツでない親が混ざっている時点で、見事に破綻する。
  その場合、後に残るのは
  「パーフェクトペアレンツ(とその子供)による、ノンパーフェクトペアレンツ(とその子供)への差別・イジメ」だけである。

  最近流行りの
  「10歳になったときの、2分の1成人式」も同じ授業展開。
  「親の愛情を子供に取材させて、体感させる」という授業展開だが、愛情希薄な場合、
  あるいは愛情をうまく伝えられない親の場合、授業計画は破綻する。

  で、
  「お父さんお母さん、いままで僕を愛情一杯に育ててくれてありがとう」と子供に語らせるのが
  この手の授業の「予定調和的展開」であるが、これって保守トンデモの「親守詩」と、
  やってることが何ら変わらん。

  いい加減、
  「パーフェクトペアレンツっぷりを子供に体感させる授業」は、止めにしてはどうか?
  現実世界は、文部科学省教育委員会が期待するほど、パーフェクトペアレンツは多くない。

  そもそも、「古き良き日本」では、結構子供はいい加減に命名されていた。
  一番目の子供だから「太郎」、二番目だから「次郎」、てな感じ。
  女児の命名なんか、もっとヒドイ。
  「もう子供なんかイラネ」「男児が欲しかったのに、女が産まれやがって」というホンネを隠さずに、
  おおっぴらに「トメ」とか「ステ」と命名されていた。
  これは現代インドの女児命名も同じですね。

  突飛な仮説だが、
  「名前に親の愛情が込められるべき」という思想は、
  ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」のヒットに起因するような気がする。
  あの歌以降、「●子」のような伝統的名前が減って、個性的名前が増えた気が・・・

★ツアーバス事故、ホテル火災の「再発防止対策」の本質

 ツアーバス事故、ホテル火災と、
 「法令違犯にも起因する事故」が相次いでいるが、
 そういう事件の再発防止として、行政は「規制の強化」を掲げている。
 (例=ツアーバスの運転手1人運行距離の短縮化)

 「規制強化なんて意味がない」とまでは言わないが、
 行政は「規制を強化すれば、自動的に事故も防止できる」と安易に考えていないか?

 今回の事故の教訓は、
 「規制を作るだけでは何の意味もなく、規制が遵守される仕組み作りの方がはるかに重要」
 ということじゃないのか?

 具体的に言えば、規制違犯の場合の罰則強化であり、規制違犯の通報制度であり、
 もっと言えば規制監視要員の大幅増員(=予算増加)である。

 最低賃金制度引き上げ議論とかでも感じたのだが、
 「そもそも最低賃金が守られてない現状を放置したままで、法令だけ書き換えても、
  実際の手取額はなんら変わらない」んじゃないか?

 行政側は「性善説、基本的に規制は遵守されるもの」として制度設計しているが、もはや
 「性悪説、基本的に規制は違犯されるもの」という前提で、警察的強制権で制度設計するしかないのでは?

 もっとお笑いなのは、
 「行政が、各業界団体に、再発防止の取り組み、法令順守の要請を行なった」というニュース。
 これなんか、行政が「一応は事故対策の取り組みをしましたよ」というアリバイ工作をした、という
 以外の何者でもない。

 陸援隊のような「確信犯的違反者」はそもそも業界団体なんかには加入しないだろうし、
 仮に入っていたとしても、業界団体から流れてくる要請には「馬耳東風」だろう。

 昔の「霞ヶ関と業界団体による、美しきカルテル護送船団」であれば、
 多分に「業界団体経由の行政指導」は奏功したと思うが、
 世間は業界団体のカルテル的体質を、そして業界団体と霞ヶ関の癒着を、許さなくなった。
 なのでツアーバス業界などでは「美しきカルテル護送船団」などは、とうの昔に崩れ去っているのだが、
 行政側はかつてのやり方でしか対策を打てない。(その対策は何ら意味がない)

 穿った見方をすれば、霞ヶ関が「美しきカルテル護送船団」を本能的に維持しようと思っているのは、
 「規制手法として、それが手っ取り早い、ラクチンだから」じゃないのか?
 大臣か事務次官が業界団体の長を霞ヶ関に呼びつければ、以上終わりだから。
 一方、護送船団なき業界での「実効性ある規制構築」は、ものすごい手間が掛かる。



Re: もろもろ

投稿者:diggy 投稿日:2012年 5月16日(水)22時53分26秒
返信・引用



スルッとKANTOさんへのお返事です。

>  それとも、中国が「西側入り」しても、別の理屈で日米安保は維持されるのだろうか?
>

ソ連→ロシアが「西側」入りしても依然としてアメリカ(および日本)の仮想敵国であることが変わりがない(緊張緩和はされたが)のと同様、中国が民主化されても、その政権が親米的になるとは限らないと思います。よって、中国の民主化日米安保の終了の直接の理由にはなりにくいと思います。

但し、別の理由、たとえばミサイルや飛行機の航続距離の延長等により、日本の基地の(アメリカにとっての)利用価値が低下すれば、安保の見直しはありえると思います。




> ★ツアーバス事故、ホテル火災の「再発防止対策」の本質
>

>  今回の事故の教訓は、
>  「規制を作るだけでは何の意味もなく、規制が遵守される仕組み作りの方がはるかに重要」
>  ということじゃないのか?
>

完全に同意します。

実効ある仕組みとして、保険の仕組みを活用するのはどうでしょうか。

  • 緑ナンバーの旅客営業車には、"対人+搭乗者傷害 無制限" の保険を強制保険とする。
  • 通常の保険と異なり、違法行為があったとしても保険は支払われるものとする。

(但しモラルハザードを防ぐため、一定の免責額は設定)

  • 保険料は、保険会社が個別に自由に設定できるものとする

このようにすれば、管理体制が甘い会社、法令順守が怪しい業者に対しては、保険会社は非常に高い保険料を設定することになるので、実質的に運営ができなくなり淘汰される。

保険会社には、陸運事務所あたりへの定期的な契約状況の報告を義務付けるようにすれば、無保険状態のバスはすぐに発覚するでしょう。あとは、白バスの摘発を強化することが必要になりますが。


会社の起源その他

投稿者:なかだ 投稿日:2012年 5月16日(水)23時51分14秒
返信・引用



なるほど、まず、日本においてという前提で、資本と経営の分離されたころ、というわけですね?
了解です。
屋台村についてですが、私が当時知ってた店はいすれも屋内常設でした。最近またそれに近い「ビル型横丁」みたいなのがはやってるという話もききますよ。

それから、家庭料理の話は? 日本の主婦に要求されるレパートリーの多さは、出典のえる話ではなく、個人の感覚てすか?確かにそういう傾向はあるかもしれませんね。
少なくとも料理がまずい国(イギリス、オランダなど)や、そもそもあまり家庭で調理しない屋台文化の発達した東南アジアの都会の家庭よりはレパートリーかなり多そう。
アムステルダムで、半月くらい暮らしましたが、あそこの人たちはみな朝と昼を同じもの食べて平気です。


Re: もろもろ

投稿者:くろだ 投稿日:2012年 5月18日(金)08時01分46秒
返信・引用



> No.15013[元記事へ]

> ★子供がオンラインゲームばかりやっていて、その反面テレビを見ない。
>  せいぜいドラえもんを見る程度。
>
>  自分が子供の頃などは、アニメやドリフなどばかり見ていて、
>  学校でもそのネタで持ちきりだったのだが。
>  テレビの視聴時間という観点では、
>  子供は自分(の子供時代)の1〜2割程度しか、テレビを見ていないのでは?
>
>  これって、20年後や30年後に、
>  「昔こういう番組があって・・・」と思い出話に花が咲く、という
>  「共視聴体験」を語れなくなる、ということでは?

いまの20代、普通にゲームの話で花咲かせてますけどね。