【読書ノート】定時発車

★熱帯地域の鉄道の敵=路盤の緩み
★寒帯地域の鉄道の敵=油圧の凍結
★明治政府=需要を度外視して鉄道建設
 国威発揚と技術の蓄積を目指す
 (明治政府にとって、一種の「アポロ計画」)
 ・輸送需要や軍需がついてきたのは明治中期以降
  明治初年は軍部は鉄道建設に反対していた。
★途上国への鉄道支援・・・大半がうまく行かない
 ・メンテナンスができない
 ・部品購入費がまかなえない
 ・技術者が「実入りのいい」自動車業界へ転職する。
★江戸時代の時鐘システム=世界随一
 時鐘がなければ、赤穂浪士の討ち入りはうまく行かなかった。
★分単位の時刻概念・・・明治政府が学校教育で植え付けたもの。
 (時計の読み方とか)
★日本・・馬車文化の経験がない(馬車は禁止)
 徒歩文化からいきなり鉄道文化になった。
★日本の江戸時代の庶民・・ヨーロッパ庶民に比べると、実は旅行をよくしていた。
 徒歩旅行のリスク(遅い・危険)も理解されていた。
 →鉄道のメリットがスグに理解できた
東海道筋を始めとして、日本の諸街道には小都市が鈴なりになっていた。
 →鉄道開設の際、駅を「こまめに」作らざるを得ない。
 →アバウトな鉄道ではなく、きめ細かい鉄道に「ならざるを得ない」
 ※駅が多いことは、実は回復運転には有利
★日本の鉄道が正確になったのは大正時代から
 ・輸送量が急増して「正確に走らざるを得なくなった」
 ・私鉄との競争
★大正4〜5年 「定時運転運動」がなされた。
 山陽鉄道出身の結城弘毅(後に「つばめ号」「あじあ号」に参画)
★大正時代に、全国の鉄道の規程の統一化が図られる。
 それまでは線区によりまちまち
 (国有化前の私鉄時代の規程が、会社によってアメリカ流だったり
  ドイツ流だったりしたため)
★大正時代 技術のブレーク
 ・自動閉塞技術
 ・空気ブレーキ
 ・自動連結器
 ・自動ドア
 ・電化
★敗戦・・・鉄道省内の守旧派=電化反対派が一掃される。
 戦後は電化に積極的に。(定時運転に役立つ)
★SL=定時運転には不向き
 機関助手(石炭くみ)の腕と体調次第によって、SLが遅れることも。
★戦前の列車
 定時で運転されていたのは優等列車のみだった?
 (率先して腕のいい機関助手が送り込まれた)
★電化=技量の均質化に役立つ
セイコー=昭和27年に
 「秒針零位規正装置付鉄道時計」を開発
 →時計が秒単位で正確になった。
★因みに大正9年に国立天文台が調査した結果、
・東京駅の時計は4秒進み
白木屋の時計は2分進み
・銀座・服部時計店の時計は2秒遅れ
★湘南「電車」採用の理由・・・東京駅の容量不足
 機関車方式だと付け替え手間が必要になる。
★平成10年前後・・電車がよく遅れた
 昭和30〜40年の各鉄道施設が一斉に寿命を迎えたから?
★電車の遅れに文句を言い始めるようになったのは、昭和の後半からでないか?
 腕時計が普及しないと、文句も言いようがない。
 昭和39年で普及率97%
淀橋浄水場=明治32年竣工 コレラ対策として
★日本の通勤定期代 勤務先負担システム・・・都市と鉄道の発達に貢献
★昭和の大典の際、東京駅はお召し列車専用となり、他の全列車は
 神田又は有楽町折り返しになった。(東京駅「封鎖」)
お召し列車・・・乗務員の家族まで健康診断を受ける
★お召し新幹線・・・停車位置に1センチの誤差しか許されない。
国鉄の電力消費量=沖縄県1県分の電力消費に相当
★事故マニュアル=むしろ「暗記しないように」とされる。
 間違えて暗記されるのが一番怖い。
 必ずマニュアルを見ながらオペレーションする。
★非常時の代替ダイヤとして「カゲスジ」が用意されている。
★基本ダイヤに対して、その日の状況により「実施ダイヤ」が用意される。
 実施ダイヤは日毎に違う。
★ダイヤ用紙・・・何百回も消しゴムで消せるように、丈夫なケント紙を使う。
★マラソンが人気が出たのは、テレビ中継されるようになったから。
 それまでは「見てもつまらないスポーツ」だった。
★首都圏で最も乗客が少ないのは水曜日の午後
★鉄道指令=事故に遭遇して興奮している運転士を「なだめる」役割もある。
 運転士には滅多にない経験でも、指令にとっては「日常茶飯事」
★鉄道会社の非現業部門社員
 =非常時の応援要員になるため、必ず「マイ制服」を持っている。