読書ノート・明太子&鯨

スケトウダラ:寿命10年以上、28年生きた報告も
 産卵は3年魚から
★太平洋岸のスケトウの方が日本海側よりサイズ大きい
根室、岩内湾、噴火湾で産卵
★卵の重さ:50〜200グラム、20〜200万粒
★成魚が稚魚を食べる共食い有
★北海道では流氷期除き年中取れる
 冬が産卵期なので高額
★脂肪分は肝臓に集中⇒生臭くなく欧米人も好む。
★鮮度が落ちやすい⇒練り製品化
★肝臓:肝油になる
★雌雄判定:100%の確度では判らない。経験とカンで判別
佐渡の別称「スケト」⇒スケトウダラ
スケトウダラはタラの仲間か?
 明治時代、タラ類に使う塩は免税扱い
 ⇒スケトウも免税にしてくれ、との要望
★1905大蔵省「スケトウはタラの仲間である」
★助宗ダラ 助=下級の意? 宗=宗谷の意?
★韓国ではかつて「北魚」と呼ばれた
 元々はあまり縁起いい魚じゃなかった
 タラより下魚とみられた。
 朝鮮王への進物のタラ魚卵の中に明太子卵混入して問題に
★明川郡の「太」という漁師が取った魚⇒「明太」に
★ロシア語も「ミンタイ」
★明太子:半島在住日本人漁業者の造語
朝鮮半島の海岸総延長:17,580キロ
 うち北朝鮮はわずか600キロ(海岸線平坦)
★朝鮮東海岸:湾曲少なく、水深急に落ち込み、河川流入少ない
★明太:チゲ鍋やキムチにも使われる
★明太の集積地:元山
 以前は釜山まで海路、後は陸路
 ⇒京元線開通でソウルまで直行
★北海道のラッコ・オットセイ猟
 2〜9月:休猟期⇒スケトウ猟に
★明太:北緯37度線以北で取れる
★日本内地漁民が半島へ移住
★今の韓国:スケトウダラ輸入国
★江戸時代:内臓除去して塩漬け⇒正月用の新タラに
★明治時代:本土の漁民が相次ぎ北海道に移住(メーンはニシン)
 スケトウは卵以外捨てていた
 本体は自家消費。保存難しいので出荷できず
 ⇒ニシン衰退後は漁のメーンに。
岩内町:動力船の拠点として成長
スケトウダラ素乾品:日本⇒半島
 明太子:半島⇒日本
★戦時中、出征兵士の「鯛」の代替品にスケトウ
 戦時配給の定番に
★戦時中:漁獲資源が回復
 (砲撃、魚雷等恐れて漁に出れなかった)
 ⇒敗戦当時に漁獲資源が相当回復
 戦後の食糧事情に貢献
★1954岩内火災(原因:洞爺湖台風)
 ⇒町の8割焼失、スケトウ漁にダメージ
★スケトウすり身技術の開発(戦後)
 ⇒スケトウ需要急増
★スケトウ漁獲
 1952=100、1972=1,453、2003=105
 14倍に急増し、急減して元に戻る
 (二百海里の影響)
★関釜連絡船就航以降、明太卵が朝鮮土産として定着
★朝鮮経済界重鎮:香椎源太郎(勝海舟の書生)
★樋口商店:釜山で明太子を土産販売⇒終戦引き揚げで閉店
 この味が忘れられないと下関人が戦後明太子製作
★昔の明太子の本土集積地は下関(博多ではない)
★本土への出荷:下関で再度トウガラシをまぶしていた
関釜フェリー:1970就航
★戦前の明太子:身がしまって固く、今より味が良い
★意外と戦前の明太子は安かった
★メンタイの眼球:朝鮮では酒の肴
★濃い色は京阪神へ出荷
 薄い色は首都圏へ出荷
★たらこ:「頭が良くなる」と戦前は子供の弁当に使われる。
★戦後の明太子四天王:
 「山根孝三」「高井英一郎」「前田一男」「川原俊夫」
★川原俊夫:釜山出身で博多引き揚げ
 ⇒「ふくやの明太子」(調味液型明太子)
★今や明太子業者の80%が博多に
★新宮町に明太子工場集中
★古平町:岩内町に並ぶたらこ産地
★たらこ類:卵膜に包まれる⇒
 卵膜毎に重さが違い、卵膜を壊せない。
 「たらこ100グラム」という売り方が出来ない。
 商品によりグラム数、価格まちまち
北日本では大ぶり(130グラム)な卵膜が好まれ、
 関東以南では小ぶり(80グラム以下)が好まれる
★元々は濃い色の方が「美味しそう」と人気
 ⇒健康志向で薄い色が好まれるようになった
★西日本:辛い明太子が好まれ、東京:マイルドな明太子が好まれる。
★おにぎり用:固い方がいい
 パスタ用:柔らかい方がいい
★安物の明太子:スケトウ以外の魚卵をブレンドしているケースも
★スケトウ白子:カマボコ原料や、天ぷら、酒のつまみに
★昔は中古の酒樽に入れて売っていた
★柏崎の塩辛:木樽で仕込み プラスチック樽よりウマイ
★魚卵:ビタミン類やDHAEPAが魚肉より多い
★スケトウの性比:産卵場にオス集まる⇒オスが70〜80%
★体重の7〜10%が魚卵
★未熟卵や過熟卵(産卵開始してしまった卵)も、業務用や鍋料理に使われる
★1本釣りのスケトウは質がいい
 底引き網:網にかかってしばらく経っているスケトウもいる(質低下)
★厳寒北海道:逆に「自然凍結」させないように留意する必要あり
 (「シバレ子」防止)
★冷凍保存は液体窒素で急速に行う
★鯛の卵は美味
★今の明太子:調味液味付け
 年配の人は「塩とトウガラシの、昔の味付けの明太子の方がいい」の声も
★夏の気温と日照時間次第で、トウガラシは辛さが違ってくる
★トウガラシ:実は一旦日本に伝来してから、韓国に伝来
★中国の水道水:硬水で飲めない
★日本酒等を加えた明太子あり
★隠し味に柚子を明太子に使う
海洋深層水を用いた明太子あり
亜硝酸ナトリウム使用
 塩タラコ製造には使用OK
 明太子製造には使用NG
★明太子消費:12月がピーク(歳暮)
★70歳以上の消費が多い
 ∵柔らかくて咀嚼不要なため
★消費最多は北九州市
 次が福岡市、大きく離され3位秋田市
 最下位=那覇市
紀宮:タラコ好き(岩内産タラコ)
★スケトウ:ニシン同様、資源変動が激しい。
★1997から、スケトウの漁獲上限が国際的に定まる。
 (TAC制度)
ベーリング公海:公海ゆえに、スグに乱獲されて資源枯渇
★明太子の製造直販:山陽新幹線開業で急増
★「ふくや」売上の半分が通販(含ネット)
★ネット上では、「福岡」でなく「博多」と表示する業者が多い。
★原料卵:好不漁で価格上下→投機的買い付け多い
 (数の子投機で失敗、など)
★1960ごろに、国内生産の中心地が下関から博多に移動
★明太子にコンブ類を添える:ナトリウムを排出して、健康的。
★沖縄料理:塩分少ない
 →ここに受け入れられる明太子の開発が望まれる。
★品質グレードランクが「可視化」されていないのが問題。
 外の箱、イレモノが豪華か否かが価格差になっている。
 (品質自体と価格が正相関じゃない)
★魚卵ブレンド:今後もっと様々なブレンドが試されるべき



★博多:昔は鯨肉の集積地
筑前煮にも鯨が使われた
★博多の明太子業者:元は鯨屋
香春町(山間):鯨食文化発達
捕鯨規制に危機感⇒明太子業へ転換
★明太子:元は朝鮮半島東側の食物
★1690年:福博で3.5万人の人口
★鯨油:殺虫用途も(ウンカ退治)
★玄界大島:元は捕鯨基地
★大正時代:鯨はイワシ並みに安かった
★大正以降:日本海側の鯨資源減少⇒福博の入荷量も減少
★東洋捕鯨:後の日水
★昭和7年の時点で鯨処理能力で博多は下関を圧倒
★博多漁港:1975に水揚日本一に
★鯨肉:卸売市場を通らない
 大洋、日水、極洋の大手3社は市場を通さずに特約店に直送
大洋漁業:下関本拠
 日水:戸畑本拠
 ⇒昭和30年代になって、大消費地の福博に移転
筑前:肉食禁止令の影響で鶏肉料理発達
★1980年時点で、福博は鯨を80%刺身で食べた
 (関門地域は塩鯨が多い)
★1977時点で福岡市は全国平均の5倍も鯨肉を食べていた
★1959年時点:鯨肉100gは鶏肉の4分の1の価格
 ⇒1972年に鶏肉より高くなる
 (1959〜1972で鶏肉価格は殆ど値上がりせず。
  ブロイラー産業の成功)
★日本唯一の鯨肉包丁メーカーが福岡にある
★下関:鯨の水揚げ地の色彩
 消費地は福博
★1966下関が日本一の水揚げに
 しかしその後、関門海峡の条件の悪さ(潮流早すぎ)で没落
★下関の設備が老朽化
 ⇒これを契機に福博移転
★香春のセメント:1999に生産ピーク
 しかし公共事業急減で工場閉鎖に
★炭鉱内:発汗で塩分不足
 ⇒塩鯨がぴったり
捕鯨各社:資料をどんどん廃棄している
★鯨発見者:捕鯨船内でも「特別手当」貰える
龍涎香:鯨の大腸の結石
 ・・・香料として希少、発見手当あり
★発見歩合、手当だけで巨人長嶋・王以上に稼ぐ猛者も
 但し3交代制、24時間勤務、睡眠3時間、上下階級社会
★芦屋:水軍基地であり、かつ市場あった
 近世は石炭の物流拠点、そして鯨油拠点
★戸畑埋め立て:日水が下関から戸畑へ移転
★日水:日本産業コンツェルン傘下(鮎川傘下)
★戸畑移転のハンデ:関門トンネル開通前は、鉄道輸送は
 一旦海峡を船詰め替えする必要あり
終戦時、日水の倉庫は戸畑しか残っていなかった
捕鯨船の大型化
 ⇒戸畑港の水深では対処できず
★ビキニ水爆でマグロ高騰:鯨肉ソーセージに需要シフト
★北九州の方が福岡より鯨肉消費量多い
★鯨缶詰:船内で生産していた
★九州:全国の鯨肉消費の半分を占めていた
 (祝い事に鯨肉食べる風習)
ヒゲクジラの新種発見:ツノシマクジラ下関市角島)
★鯨骨:肥料にもなった
長門市:古式捕鯨の基地
★東洋捕鯨(日水)
 かつては捕鯨シェア3分の2占めていた
★日水:1934に日本初の南氷洋捕鯨
★林兼商店:朝鮮通漁で成長⇒大洋捕鯨
★「林兼造船」という造船会社もあった
★戦後捕鯨船はGHQ許可マターだった
捕鯨では東洋捕鯨が先行したが、冷凍技術では林兼が先行
★下関:戦前には日本一の冷蔵施設都市に
★下関:水深が浅い弱点
 南氷洋捕鯨の大型母船が直接着岸できない弱点
★下関からの高速鮮魚列車
 「とびうお号」「ぎんりん号」
★下関に、大洋漁業直営の鯨料理店があった
捕鯨船:大洋、日水、極洋、いずれも下関で建造
★朝鮮通漁:韓国漁民から安く買い付け、日本で高く売る
 林兼商店はこれで成長
★アルゼンチン沖サウスジョージア島南氷洋捕鯨基地
ノルウェー捕鯨船:政府のライセンス必要
ノルウェー:夏に捕鯨、秋ニシン漁、冬にタラ漁
 (捕鯨専用船はない)
ノルウェー捕鯨:ロフォーテン諸島が基地
★かつては政府監督官が捕鯨船に同乗して監督
 今は全て船位置や発砲はコンピューターデータに記録されているため、
 同乗不要
ノルウェー:鯨肉は「畜産」扱い
 獣医師の食肉検査を受ける
ノルウェー捕鯨単独では産業として成立していない
 タラ・ニシン漁の片手間に捕鯨している状況
ノルウェー:今の日本人の10倍は鯨肉を消費
★2002年のノルウェー鯨肉生産額=わずか5億円
 「家内漁業」的であり、企業ビジネスでない。
 「商業捕鯨」とは呼べない
ノルウェーのアザラシ漁:もともとは毛皮目当てで、肉は捨てていた
 ⇒食べるようになった
★速力が速いボートで鯨を追い詰める漁法:鯨が体力消耗、味が低下
★世界の石油掘削船:90%がノルウェーの建造
★日本韓国には鯨食べる文化があるが、中国にはそのような文化なし
★韓国:混獲された鯨だけ食べる
蔚山で食べられる程度(戦前に捕鯨基地があった関係で)
南氷洋ミンククジラ:金属汚染がないので、安全度が高い