読書ノート 満鉄調査部 8

★大連特務機関の安江大佐「ユダヤ人植民地を作るべし」
★松岡の部下、島野
 「ユダヤ人は植民地には向かない」
満鉄調査部切ってのユダヤ通、小辻節三
 ・・・杉原ビザの日本国内期間「7日間」を
 8ヶ月に延長させた
★満鉄:主な付帯事業を満業に取られた
 →石炭液化事業へ進出
満鉄調査部門:大連、上海、天津、新京、ハルピン
 ・・・各々が独自調査を実施、連携もなく重複もあり
 →再集権化、「大調査部」へ
 調査部2,000名に、「転向者」も大量採用
 尾崎秀実や伊藤律
★大調査部発足と同時に松岡は満鉄を去る
 このころには関東軍からの研究依頼も減っていて、産業調査もなくなった
 →本来やりたい調査が出来るようになった
★日本軍非占領地での「抗戦力」調査
 ・・・毛理論「日本軍を奥地まで引っ張り出す」
 この調査では本社より上海が先行
★このころの満鉄調査部
 変なしがらみがなく、淡々と事実からレポートを出した
 これが一番怖い
★一番調査部を怖がったのが東条→弾圧へ
満州:インフレが大問題に
 →調査部レポート
 「重工業化より農業改革を重視すべき」
満州重工業・・・利潤の殆どを日本に持っていく
 →満州の産業・資本発展せず
★満鉄レポート:ある意味、満業の否定
 陸軍が反発
★昭和16年「開戦時の戦争能力検証レポート」
 →「2年半で戦争終わらせなければ駄目」の衝撃レポート
 極秘に50部印刷、連番振って厳重管理していたはずだった
 (→ゾルゲが入手)
関東軍参謀部と満州財界若手幹部の勉強会「新京会」
 満鉄、満業、満州中銀、満州電々などが参加
 ・・・関東軍シベリア占領を研究
 財界若手幹部を、シベリア占領時の司政官にするつもりだった
★満鉄や関東軍の上層部・・・ソ連ナチスに降伏すると信じ切り、
 その機にシベリアに行く予定だった
 (そのために関特演を実施)
 →占領地の行政の青写真を用意する必要に迫られた
★調査室若手
 「ソ連は簡単に降伏しない」
 ナチスルーマニアの石油しか押さえていない
 →バクー油田を押さえられるか?
 バクー油田の途中は山峡地域・・・防衛側(ソ連)が優位
★日米開戦なら、満業の生産物が軍需に取られる
 →満鉄はレールの交換すらままならなくなる、と予測
私見:東条が満鉄調査部を弾圧したのは、正直に
 「2年半しか持たないレポート」を書いてしまったから?
★ドイツの手持ち石油量
 参謀本部推測「9ヶ月」→モスクワまで行ける
 満鉄調査部推測「4ヶ月半」→モスクワまで行けない
 4ヶ月半、とレポートした具島は、後に逮捕される(東条の影響)
独ソ戦:兵力損傷はドイツ軍が上
★ドイツのウクライナ占領・・・食料基地にする予定だったが、
 ソ連がトラクター・コンバインを持ち去った
 →耕作出来ない
バクー油田防衛・・・英軍もイランから側面支援
大東亜戦争開戦の前提
 ドイツ〜バクー〜インド〜インドシナ〜日本のルート成立が大前提
参謀本部の読み
 「日本のマレーシア進出で、アメリカはゴムや錫の調達に支障」
 しかしアメリカは人造ゴムの合成に成功
 また、錫はボリビアから確保
満鉄調査部
 「満州に北海道式農法を導入すべき」
 しかし日本から来た農政関係者は本土式農業を開拓者に「指導」
 →非効率なママ
★内地の大学教授
 夏休みに満州視察によく訪れた
★満鉄中央試験所:即金的研究から離れ、純科学的研究に没頭
満州中央試験所:ロングレールを開発
★過熱汽筒油:特殊油、SLに必須
 アメリペンシルバニアソ連バクーでしか産出されない
 第一次大戦のドイツ敗戦の一因が過熱汽筒油不足?
★昭和15年、アメリカは過熱汽筒油の対日輸出を禁止
 日本のSLのアキレス腱に
 昭和18年、過熱汽筒油合成工場が出来る
 (満鉄中央試験所が合成)
★満鉄技師の各務鉱三:シュツットガルト留学後、カガミクリスタル創業
★山本条太郎:中央試験所にマグネシウム研究命じる
 (航空機の材料になると看破)
あじあ号:自動炭投式
 窓は防音防寒、窓の大きさも従来の3倍
 座席はボタン操作
関東軍あじあ号構想に反対。「それよりも軍事輸送強化しろ」
オイルシェール:海軍に納入するが、品質が悪かった
 →工場長が引責でピストル自殺
オイルシェール巡り、満鉄内で機械屋と化学屋が対立
★「海軍、石炭液化に成功」と大々的に新聞報道(実際は大失敗)
★満鉄・阿部式の石油液化:こっちの方が優れていたが、
 海軍はメンツを保つために阿部式を差別
★阿部式の日本初の液化石炭:記念に3本のビンに入れられる
 1本は伊勢神宮
 1本は宮内庁
 1本は母校の島牧村軽臼小学校に
 →軽臼小学校分だけ現存
★氷学:「氷結した河を、どうやって渡河するか?」
★満鉄中央試験所を以ってしても、大慶油田は発見できなかった
 戦後、ソ連も発見できなかった
 結局、中共自らが発見(日本で学んだ技術者が発見)
★東条による満鉄弾圧(満鉄事件)
 →後難を恐れ、その後の調査部は、翻訳程度の仕事しかしなくなった
★満鉄事件の前に「企画院事件」が昭14にあった
ゾルゲ事件で、後藤憲章検挙
 (尾崎秀実の同期、元数学教師、統計の神様:満鉄の貨物能力を諳んじる)
 諳んじた貨物能力知識を元に、尾崎に
 「輸送力的に、関東軍のシベリア侵入は不可能」と「茶飲み話」
 ・・・それが検挙理由?
★満鉄事件:東条の腹心、加藤少将が44人を検挙
満鉄調査部資料:終戦後、ソ連ポポフ教授が全て接収