夏目漱石『こころ』より なぜ昭和天皇で殉死は出なかった?

5月3日

小説シリーズ/夏目漱石とか、太宰とかは、当時の高等遊民を描いた作品が数多い/現在、ニートワープアを主人公とした小説は、それなりにある/そうじゃなく、『現代の高等遊民』を主人公にした小説とか、ないのか?/東京の大地主で、賃マン数棟の管理で資産数十億で、でも人生満たされてない的な

実際に商社とかか外資に勤め、フロー年収が数千万な『パワーエリート』は、別に人生の苦悩もなくフェイスブックでエンジョイしている/そうじゃなく、年収は『自身の不動産管理会社の役員』だけで、税金対策でほとんど年収ゼロで、でも資産数十億な主人公が、生きる意味を問いただす

夏目漱石の本が当時でもヒットしたのは、つまり『高等遊民』が読者側にも結構存在したからだろうなあ/仮に、現代の高等遊民を小説化したとして、それに共感できる人、つまり『現代の高等遊民の総人口』は、どれだけなんだろうか?

夏目漱石『こころ』読んでると、当時は『屋敷を売りたくても、売れない』、なぜなら『近所の眼があるから』、とある。/『こころ』の家族って、時代が100年後ずれしたら、そのまま『空き家問題』『不在地主問題』『耕作放棄地問題』になってた

そもそも『こころ』で、なぜ『先生』は『私』に近づいたのか?多分、高等遊民同士の、共通のニオイを感じたんだろうな。

『こころ』『三四郎』を見てると、当時、貸室を斡旋する商売そのものが存在しなかったことがわかる。『こころ』では、駄菓子屋のカミさんに、素人下宿(=お嬢様の家の下宿)の紹介を依頼していて、別に対価報酬は払われてない

因みに『素人下宿』という表現がされている。それまでは、普通の旅館が、そのまま数年間、『長期滞在客』という建付けで、帝国大学生とかを下宿させていたんだろう/『こころ』『三四郎』を題材に、下宿の歴史や、不動産仲介の歴史を調べたら面白い

また、『こころ』とか見てると、当時の帝国大学生などが、企業(財閥とか)や官庁へ『就活』するルートが、定型化規格化されてなかったことがわかる。結局、口利きを依頼して反応を待つという、極めて俗人的手法が、就活のメーンルート/『新聞記者』というのは、その点で割と『いい口』だったらしい

明治大正の『高等遊民』は、大学を出たら、田舎に戻らされ、田舎で小作人を使い、田舎で顔役になり、田舎で見合い結婚して父親になる/今の高等遊民は、そのほとんどが首都圏に集中していることが問題

当時の日本は農業国家だったから、田舎のコメ地主が実家な若者が高等遊民になった/今の日本は情報社会だから、情報を生み出す土地の地主、つまり東京の地主の若者が高等遊民になる。

戦前田舎の『地主業』って、確かにヒマはヒマだが、それなりに『やること』がある。なので、『やることがなくて、プラプラしている』という状況は、田舎では発生しない。東京にいるうちはヒマで仕方ないが。

『こころ』を見ていると、カネがある主人公の父親でも、入院せずに自宅療養で、そのまま死んでいく。当時は、田舎部では『入院できるような病院』というのが6大都市以外では事実上存在せず、カネがあっても入院できなかったことがわかる

これは私見だが、戦前に地方に続々医学部(医科大学)が出来ていったのは、『カネがあるのに、入院できずに死んでいった』、地方素封家のプレッシャーがあったのではないか?地域の為云々というより、まず自身の入院先を確保したかった

地方の場合、看護婦の雇い入れで、素封家の危篤に対処してたようだ(『こころ』)。/これって、よく街角で見る『●●マネキン紹介所』のルーツか?

『こころ』では、『Kの自殺』を、新聞2紙が報じたらしい/当時は、別に有名人でも政治家でも軍人でもない人間の自殺を、マスコミが報じていたのか?/今は年間自殺1万人だから、毎日30人程度、自殺者が報道されなきゃならないが、そうなってない

それとも、『素封家の子供』ともなると、自殺等の動向を、新聞は報じざるを得なかったのか?/現代において、東大生の自殺だって、別にマスコミに報じられてない。自殺した東大生を、自分は知ってるが、新聞に出なかった/その意味では、現代は『自殺者にマスコミは優しい』

で、『先生』は、超長文の遺書を『私』に送る/ふと思ったが、『自殺』する場合に『遺書』を書く風習は、以前からあったのか?/ひょっとして、文学『こころ』で、『自殺には遺書』という風習が定着したのでは?

ここまでは前座。いよいよ、言いたい内容の核心に入る/明治天皇崩御にたいし、リアルで野木将軍が殉死し、バーチャルでは『先生』が殉死した/翻って、昭和天皇崩御の1989年1月7日に、昭和天皇に『殉死』して割腹自殺したウヨクが、どれだけいたのか?自分の知る限りはゼロ人だ。

つまり、右翼の『天皇陛下万歳』なんて、口だけですよ。昭和天皇崩御時に殉死自殺したウヨクがゼロ人だったことからも、それはわかる

不敬な投稿をすれば、遠くない将来に、平成天皇崩御が待っている。その際に、平成天皇に殉死するウヨク(サヨクかもしれない)が、果たして現れるかどうか、注目している

ただ、昭和天皇の、半年にわたる病状報道は、日本国内の他の闘病患者に対し、間違いなくネガティブな影響を与えたと思う。中には、昭和天皇の闘病報道で、予定より数か月死期が早まった患者もいたのでは?

実際、『こころ』では、『私の父』が、最初は元気だったのに、明治天皇の『御不例』報道を見て一気に体調を崩し、崩御報道を見て一気に危篤になった。実際、夏目漱石の耳に『明治天皇ご不例報道を見た患者が、気力を無くし亡くなった』ケースが入ってたんだろう/昭和天皇の際にも同じ話があった筈

報道の自由と反するツイートだが、今後予想される『平成天皇の闘病報道』では、日本全国の実際の闘病患者に対し、報道がどのような心理的影響を与えるか、そういう配慮が必要ではないか?

明治天皇崩御報道は、父親の寿命を縮め、野木将軍の自殺を誘発し、先生の自殺も誘発/自殺誘発といえば、岡田有希子をオジサン思い出しちゃう/岡田有希子で自殺の連鎖が起こった昭和日本は、昭和天皇崩御では自殺の連鎖を産まなかった。しょせん、新憲法天皇の存在意義は、そんなもの

大正天皇崩御でも、殉死は出なかったんだよね?

なぜいきなり『こころ』をしたか、と言えば、今日が憲法記念日な点もあるが、今読了した真保裕一『密告』が『現代版こころ』だと感じたから。主人公と先輩がお嬢さんを奪い合い、先輩は最後に『自殺』という決定的攻撃で主人公を打ちのめした。/多分、真保は夏目漱石『こころ』を意識した筈