夏目漱石はわずか12年間で文豪に上り詰めた★

夏目漱石って、作品を発表していた期間が実はあっという間の短期間だったと聞いて目ウロコ。初作『吾輩は猫である』を書いたのが37歳、未完作『明暗』を書きながら死んだのが49歳。わずか12年間も活動で、千円札の表紙に上り詰める文豪の地位を獲得/てっきり、20〜25年は活動してるイメージ

夏目漱石がわずか12年間の活動で文豪の座まで上り詰めた、ということは、60歳で定年退職して、『小説家になりたい、という若い頃の夢を果たしたい』というシニアが遅咲きデビューしても、72歳まで活動すれば文豪になり得る、という夢のある話な訳です。

夏目漱石クラスの知的リテラシーを持ってる人って、明治時代だと日本で数万人程度だったんだろうが、現代日本では数百万人程度はいるだろう。つまり、その気になれば、60歳で夏目漱石デビューできる潜在可能性がある人が、日本では数百万人はいる訳だ

夏目漱石の時代との最大の相違点は『平均余命』だろうな。明治維新当時、日本人の平均寿命はわずか37歳だったらしい。さすがに明治末期には50歳程度には伸びたとは思うが/明治維新当時の20歳より、今の日本の60歳の方が、平均余命は長い!!

『60歳定年は、第二の人生の始まり』という比喩は、比喩でもなんでもなく、明治維新当時から考えれば『成人人生期間より長い』訳です。

当時は正岡子規のように、文才がありながら早世した文人も多かったからな。正岡子規とか、もっと長生きしてたら、夏目漱石とは比較にならないくらいの超文豪になってた可能性もあった訳で/その他、文才あったのに20代で結核で死んで、記録にも残ってない文豪のタマゴも多数なんだろうな

逆に考えると、夏目漱石が文豪になったのは、『当時としては珍しく、12年間の活動期間を得られた位に、長生きできたから』かもしれない。夏目漱石より文才があったのに、結核とか種痘とかコレラとかで死んで、文豪に成り損なった文才も多数いたんだろうな。

夏目漱石が、40代になってから続々と作品を発表できるようになったのは、彼自身の文才と49歳まで生き延びた生存力のおかげでもあるが、『朝日新聞』という小説発表の場をうまく利用したのが最大の理由じゃないか?朝日新聞が文豪を産み、職業小説家という職業を産んだ

@hmmr03 現代の文豪に必要とされてるのは、漢文や古典の教養より、量子物理学とかひも理論宇宙学とか生命工学とかの教養な気がする。その意味では、現代の文豪の卵は日本に数百万人は存在する

夏目漱石は幕末の生まれだが、夏目漱石の世代が、「漢文を素で暗唱させられた、最後の世代」的な話はある。それ以降の世代だと、一応は明治近代な教育を受けていて、その分漢文とかを幼少期に無理矢理叩き込まれてなかったりする

夏目漱石って、多分泉繁千代さんと同世代、、/今の若い人は、泉繁千代さん知らないんだろうなあ