夏目漱石『門』

8月19日
本当は、昨日は読破した夏目漱石「門」について、今までの文学評論家が言及してない疑問点をツイートする予定だったが、エアコンリモコン問題に特化してしまった

夏目漱石「門」、主人公が「友人である安井の恋人(お米)を奪う」という不倫を働き、その為に世間から身を潜めて暮らす、という設定と「されている」/では、「安井とお米の間柄」は、世間公認の間柄だったのか?

安井はお米を主人公に紹介する際に「妹」と紹介してる/そして、主人公とお米との関係が世間にバレた際、主人公は広島に逃亡したが、同時に安井も京大を退学させられている。これは何を意味するのか?/安井とお米の仲が「世間公認」ならば、安井までが退学させられる必要性はない

結論から言えば、実は「安井とお米の間柄」も、「人知れぬ間柄」だったのではないか?例えば、既にお米には別の許嫁がいたにも関わらず、安井と恋仲になって駆け落ちした、とか

少なくとも、「安井とお米の間柄」は、「二人の両親が認める間柄では無かった」ことは確かだろう。だから、主人公には「妹だ」と紹介せざるを得ないし、バレて京大退学に追い込まれた

仮に許嫁がいたと仮定すると、お米は「許嫁のもとから安井のもとに逃げ、更に主人公のもとに逃げた」ということになり、一層「業が深い」ことになる

少し考えれば思い付く疑問点だが、何故今までの漱石評論家は、この点に気付かないのか?

因みに3人の赤子や胎児を死なせてしまい、「もう子供を作れない」と嘆くお米は、まだ齢30未満/現代社会の平均初産年齢は30歳突破。思えば遠くに来たもんだ

夏目漱石の小説では、「甥っ子の学費生活費を使い込む叔父」が多数出てくる/こういうトラブルが多発したから、信託銀行の財産信託が発展したんだろうな。現代なら何らかの形で財産信託を活用するだろう

これもツイートしたが、夏目漱石「道草」を読むと、民事の財産調停を行う「弁護士」の重要性がよくわかる。「道草」は、民事弁護士が僅少だった時代だから物語が成立する

「門」、崖のうえの大家のお嬢様が、夜な夜なピアノを弾いている/恐らく、夏目漱石は「ピアノ=金持ちのアイコン」という比喩を日本で初めて用いた作家だと思う

また、主人公の買い物で「ゴム鞠」が出てくる/多分、ゴム製品は江戸時代には日本に殆ど存在しなくて、ゴムは「文明開化の象徴」だったんだろう/小説「紀ノ川」でも「アルミニューム」が文明開化の象徴として描かれている

夏目漱石の小説には、「いつクビになるかビクビクする下級役人な主人公」が多数出てくる。「門」もその一つ/「公務員はクビが無くて気楽な稼業」という「常識」は、実は戦後の常識でしかないことがよく分かる。当時は「親方日の丸」なんて言葉は無かったのだろう

「門」の中に「鎌倉のようなハイカラな場所」という表現がある/現代では鎌倉は「伝統の街」という固定観念だが、明治時代は逆に「ハイカラなリゾート地」だったことが、よく分かる

海水浴の習慣がない日本人に対し、横浜居留地の西洋人は、鎌倉の砂浜で海水浴を始めた。その結果、海水浴の習慣が日本人にも広まった/だから、鎌倉は、当時は最先端の「西洋仕込みの、海浜リゾート地」だった訳です

今の湘南エリアが「高級住宅地」になってるのは、根っ子では明治時代の「西洋人によるリゾート利用」が下敷きになってる/確か「こころ」でも「彼岸過迄」でも鎌倉は出てくる

「門」を読むと、このころから上流で西洋かぶれな家では「ママ/パパ」の呼称が広まっていったことが判る。崖の上の家では「ママ/パパ」を使ってた

伊藤博文暗殺のニュースが「門」の主人公に伝わるが、文庫本解説によると「伊藤博文は、暗殺時点で、引退寸前の存在」であり、「暗殺されたことによる、政界へのダメージは、実は大きくなかった」らしい

「門」の奥さんが、「なぜ伊藤公は、暗殺されたんでしょうかね?」という会話があるが、これは「その時代の人の、代表的な感想」らしい。政治的には「意味のない暗殺」/現代で言えば、既に引退同然の森喜朗を「オリンピック会長だから」と暗殺したようなもの

これに対して主人公は「伊藤公は、暗殺されたから、歴史に残るんだよ」と意味深な切り返しをしている/実際、そうなんだろう。明治政府は、政治的には重要じゃない伊藤公の「暗殺」の事実を逆利用して、日韓併合へ追いやった。

それ以降、伊藤博文は紙幣に載るほどの「後世に残る人物」に祭り上げられたが、それは「暗殺された」からという理由も大きいのだろう。自然な大往生だったら、そこまで持ち上げられたかどうか。

自分が明治〜昭和の小説を好んで読むのは、そういう「歴史の授業では習わないような、当時の皮膚感覚」を知りたくて、読んでいるんだろうな。

「門」では、主人公の弟も相次ぎ夭逝し、妻(お米)も3人の子を出産前後で亡くしてる/当時は、上流階級と言えども、多分「3人に1人は、成人前に死んでいた」社会だったということか?

http://www1.mhlw.go.jp/toukei/10nenga_8/hyakunen.html…を見ると、明治初期で、新生児死亡率8%、乳児死亡率15%。これに幼児死亡率が加わるから「3人に1人は死んでた」のだろうが、いささか多すぎでは?

これは私見だが、幕末〜維新の時期って、「体制変動のあおりで、医師そのものの絶対数が少ない・医療システムが崩壊」という状況で、それが死亡率に影響したのでは?藩医は失業するし、そもそも「漢方医⇒西洋医学」の切り替え時期で、医師養成過程が整備されていない

例えば、お米の子供を診察した医師などは、時期的に「西洋医学を学んだ医師」なのかどうか、微妙な時期だったんじゃないかと思う。多分、免許持った西洋医師と、非正規な漢方医が併存してたんだろうな。

因みに「門」というのは、新聞連載の関係上、先にタイトルを新聞読者に告知し、ストーリーを「後付け」したらしい。よく強引に後付できななあ/次の新聞連載作家を漱石が指名したんだとか。「お前、この月から連載頼むな」という感じ