5月17日
カレーが国民食になった一因にバーモントカレーがあり、バーモントカレーがヒットしたのは西城秀樹のお陰。つまり西城秀樹はカレー文化の陰の功労者。合掌 / “歌手・西城秀樹さん死去 63歳― スポニチ Sponichi Annex 芸能” http://htn.to/jxictNYp7XJ
子供のいる家庭の、カレーがメニューな日が、60年代までは「1ヶ月に1回程度」だったのが、バーモントカレーの登場後は「1週間に1回程度」に頻度が増えたと思われ/そのバーモントカレー世代が大人になってるので、そのままカレー消費量が増えて来ている
西城秀樹って、40代以上だとバーモントカレーでありYMCAであるのだが、30代以下の場合は「ちびまる子ちゃん」な訳だ/そう考えると、思い出伝承装置として、「ちびまる子ちゃん」は優秀なんだな
5月18日
アラフィフにとっては西城秀樹は「ハウスバーモントカレーの人」だが、アラサーにとっては「ちびまる子ちゃんの人」/今時の小学生(うちの子)にとっては「Yモバイルの原曲の人」なんだな。原曲知らなくてもYモバイルのCMは小学生も知ってる
その意味では、ハウス食品が追悼コメント出したように、ヤフージャパンも追悼コメント出すべきなんだろうな
5月19日
そういえば、石原裕次郎や美空ひばりが亡くなった際、上の世代は「裕次郎ロス感」「ひばりロス感」で嘆いていたが、自分は「誰それ美味しいの?」な無関心だったな/西城秀樹が亡くなったことで、ようやっと「裕次郎ロス感」「ひばりロス感」の真意が30年ぶりに理解できた気がする
石原裕次郎や西城秀樹級の大物で、かつ若くして死んだ大物アーティストというと、自分は坂本九位しか思い付かないが、坂本九って、本来なら裕次郎や西城秀樹並みに、その死が騒がれてもおかしくなかったんだな/航空機事故(一説には事件)という異常死だったから、それどころじゃなかったのか
ついでに家庭用カレーの歴史を調べてみると、今の「板チョコみたいなカレールーを鍋に入れる」のは、グリコワンタッチカレーが最初らしい。ハウスバーモントカレーはその後に登場したが、当時はグリコワンタッチカレーの方がシェア高かった/バーモントがシェア逆転出来たのは西城秀樹のおかげ
@tsuyu2011 グリコは板チョコ製造技術をカレーに応用したらしい
芸能界が西城秀樹への追悼コメントを出してるが、沢田研二の追悼コメントが出てこないな/西城秀樹は、スタート地点では「郷ひろみ、野口五郎と一緒の、新御三家扱い」されてたが、その後の芸能界でのポジショニングは、むしろ沢田研二と対比されるべきだろう
5月20日
バカネタ/昔、バーモントカレーのメロディーで「ハウス和歌山カレーだよ〜♪」と替え歌作ったなあ/「ヒ素と青酸、とろ〜り溶けてる」「真須美、カンゲキ〜」/当初はヒ素だけじゃなく青酸も入ってるとされてた
日本人にとって、バーモント州という地名は「カレーの街」という意味合いに変質してしまったな。ケンタッキー州が「フライドチキンの街」と思われてるようなもの。/バーモント州は「リンゴとハチミツの州」ではあるが、カレーの州ではない
家庭用カレーの歴史をみると、60年代には「オリエンタルカレー」が結構なシェア占めていたが、今や見るかげもない。何故オリエンタルカレーは凋落した?/昔は明治製菓もカレー出してたんだな。いや、今でも出してるのか?
北野エースとかに行くと、全国のレトルトパックのカレーが本棚状態で陳列されてる。通称カレーの本棚/レトルトカレーは世の中に100種類以上、100社以上が商品化してるのに、何故固形ルーは事実上の3社寡占なのか?/味の素とか、日清とか、大手食品メーカーは何故固形カレールー市場に参入しない?
レトルトカレー市場でそれなりにシェアがある大塚食品も、何故か固形ルー市場には参入してないからなあ。謎だ。
「リンゴとハチミツ」のカレーがあるのなら、「ミカンとサトウキビ」とか「メロンと黒糖」とか、別のコンセプトのカレーを大塚食品辺りが出しても、いいじゃないか?
ウチの家のカレーは、妻の趣味で、必ずトマトが入ってる。好き嫌いが分かれるのかも知れないが、自分は好きな味だ/であれば、カゴメ辺りがトマトカレーを商品化してもいいのではないか?
5月20日
西城秀樹、広島市出身で、本人もカープファンという情報もあるが、何故「北海道日本ハムファイターズ」でYMCA披露したり始球式出演してたりするのか、謎/そうか、ファイターズの北「広島」移転に備えたのか。
6月22日
西城秀樹が亡くなって1ヶ月経つが、「西城秀樹記念館を作れば?」とのツイートに同意/こういうのは、誰が主体になるのか?所属事務所か?遺族か?