不動産よもやま話(24)超高層マンションのインフレ化

不動産よもやま話(24)超高層マンションのインフレ化
(なんでも掲示板 05年07月 投稿済)

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(無題)  投稿者: スルッとKANTO  投稿日: 7月 4日(月)23時14分27秒

超高層マンションのインフレ化

http://www.sankei.co.jp/news/050704/boo006.htm
>【書評】『団地っ子の同窓会』眞形隆之編
>“未来都市”のノスタルジー
>平屋の日本家屋にすむ私にとって、二階家はステータスだった。
>二階家にはピンポンチャイムがあり、洋式トイレがあった。
>お誕生会を畳敷きの座布団で開催するのははなはだ意気が上がらないが、
>二階家のフローリングのダイニングルームにはバタークリームの
>バースディケーキがよく似合う。なにしろ二階より高い建物は周辺にはなかった。
>だから、昭和四十年代、五階建ての「団地」に住んでいる子は特別な存在だった。
>整然と並んだ建物はどれも同じようで夜中に間違った棟に入っていきそうな予感があった。
>他人を拒絶するような頑丈で重そうな鉄の扉、近所の人が行きかう、路地代わりの
>コンクリートの階段。その固く閉ざされた住空間は、外部からはうかがいしれない。
>団地行きのバス路線は昔ながらの「字(あざ)名」ではなく、
>「東西南北」「第一、第二」などデジタル的な冠詞をつけたバス停が多く、
>地元の人間からみると異邦人が住む未来都市。その生活がうらやましく
>憧(あこが)れだったが、嫉妬(しっと)がない交ぜになったアンビバレンツな
>気持ちがあり、敬して遠ざける存在でもあった。

このデジタル地名がインフレ化して、今では逆に旧郡名などのアナログ地名が
評価されるようになってきています。

で、インフレ化といえば、住宅の階数もそうでして、恐らく40年代などでは
5〜10階建ての建物とかは、たとえ東京とか大阪でも「希少価値」があったのです。
(従って、その建物は街のどこでも見えたし、その建物から街全体が見渡せた)

それが今では、特に東京都心部では、5〜10階では「低い」とすら感じてしまいます。
眺望はおろか、日照も×なケースすらある。
感覚的には、昭和40年代当時の5〜10階建てに相当するのは、今では
20階建て以上でしょうか、眺望的には。

となるとあと30年後には20階建ても眺望が×となって、60階建てとかでないと
眺望が効かなくなったりして・・・

あと、産経新聞によれば、関西で05年以降に完成予定の超高層マンション
(20階建以上)は近畿圏86棟、うち大阪市内54棟。

大阪市内でも、「覚えきれないほどの超高層マンションが林立」する時代になりそうだ。

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